「不足を疑う」こつ————そこに「何かをのせない!」+「○○だったら嫌だな」の向きを取らない  | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

 

ついにパート10になりました。三度聞きましたが、奥が深い。

 

⭐️コメントと質問に答える、という回でした。その中で「潜在意識と顕在意識」との関係は? の問いもありました。

 この質問者は、かなり「不足の疑いかた」に肉薄していて、「顕在意識は願いを発した瞬間に、できあがりの形をもう持っているのではないか。それを動的に実現するのが潜在意識ではないか」と。

 

 この発想はおもしろい、と108さんも。ほんとうは「すでにアル」 そうなのか?

 

 なお顕在意識と潜在意識の関係について、!08さんは

「自分も昔はいっしょうけんめい瞑想状態に入って、念じて、潜在意識に刻み込もうとした————が、うまく行かなかった」

「それよりは肩から荷を下ろしたほうがいいです←真意はあとでわかった

 

 真理は、仏教の世界や「顕在意識VS潜在意識」の理論から進化し、すでに新しいフェーズへ来ているとのこと。

 

「潜在意識は「別の領域」ですか」という問いに対しては、「それは違うものです。だからわざと「別の領域」という新しい言葉を使った」

 

⭐️その「別の領域」とは————すでにある「実像」なのだそうです。(夢を見ていて、はっと目が覚めたような)

 

 そして、「不足を疑う」ためには、「あれ、そうかな」と「何のストレスもなく思うだけでいい」

 

「不足を疑う」ときに失敗するのは

「何かをのせている」から、だとのこと。「こうすればうまくいくだろう」とか「こうなってほしい」とか「よけいなものをのせている」(肩に荷をのせている)

 

⭐️つまり「期待」とか「こうなってくれ」という念じる気持ちとか、そういう余計なものがブロックになっている。

 

 うん、これは奥平亜美衣理論だと

 

「こうなってほしい」と願うのは、「そうなっていないと思っているから→つまり、そうなっていない現実がやってくる」

 

 ということになります。QED

 

⭐️まとめると、「疑う」には「いっさいのストレスなく」「肩から荷を下ろし」「楽になる」ことが重要。

 

 願望が強くなると、それはエネルギーが加圧されていくわけですから、ある意味、成せばなる、の力学で動くところもあるでしょう。必死に念じる、唱える、○○をやる・・・・・・

 

 しかし、これまでのいろいろな達人の言葉を読んだり聞いたりしてくると、それはバシャールのいう「旧型」のやりかただとわかります。時間と苦労と必死さが伴う。

 

「必死に念じなくなったとき」に物事が叶うという真実

 

⭐️バシャールなら「あってもなくてもよいと思う」ことであり、「それが叶わなくても、別によい、すでに幸せである状態になる」

 

 と、物事はコロッと転ぶらしい。

 

⭐️だから「○○を疑う」をやるには、「容姿のことは一番ハードルが低くてかんたんですよ」と108さん。

 コメントの中に、「自分はブスだと思ってきたけれど、違うんじゃないか、とふと疑ってみたら」その翌日から次々いろいろな人に「美人ですね」と褒められはじめた、というものがありました。

 

 これはたしかに、それまでふつうに暮らしていたので、「不美人である」が切実すぎる問題ではなく、「ほんとにブス?」と気楽に疑ってみたからの成功だと思います。

 

 ちょっとこれはやっても損はない!

 

 別に何も言われない状態から

→最近、若々しいですね

 くらい言われたらいいし、言われなくてもこれまで通り。

 と思いながら、よそごとのようにどーでもよく、ストレスなく「疑ってみる」といいのでは・・・・・・

 

 望みさえしなければ「充足」にクラリと向くというパラドックスはなんど聞いても忘れます。

 バシャールも「結果に執着しない」と口を酸っぱくして繰り返していますし、これが願望達成の逆転からくり。

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⭐️さて、ここでさらなる天の助け、「「不足を疑う」を集中追求しているリールゥさんのブログも出ました。ちゃんと「疑っている」かどうかを見極めるコツがある、という耳寄りな話が。

 

 

 

 

————以下引用

「こんなちっぽけな事かもしれないけれども、「既にある充足を受け取る」って、ただ、単に自分が邪魔しなければ、簡単に受け取れるもんなんだな~と思ったわけよ。

 

 単純に、「○○だったら嫌だな~」と思って、それを受け入れるのは、不足が当たり前の世界を受け入れている事になるよね?あっ

 

 だから、ホントに、そう思う習い性の思考パターンが出たらば、

 

 ちょ、待てよ!

 

 と気が付いて、その不足に向いている事を疑い、「○○だったらいいな~」という、望む未来から、自分の体験する「向き」を決める!

 

 ただ、これだけでも、日常は充足にまみれるんだよ!

 

 108さんも、「○○だったらいいな~」と思っている時は、「既に叶った次元にいる」と言っていたしね。

 

(中略)

 

 ホントね、自分のエゴが割り込んでくる思考を見てみると、「○○だったら嫌だな」が多い!

 

 「○○だったら嫌だな」 「○○だったらいいな」 で、自分が「不足」の立ち位置か?「充足や既にある次元にいるか?」を、簡単に割り出せるので、ぜひ、日常で、自分の思考を観察してみようぜ!」

 

⭐️これはすごい! 「○○だったら嫌だな」と思いながら、「疑って」いるときは、不足の立ち位置にいる。「○○だったらいいな」と思いながら、「疑う」のは充足の立ち位置にいること。

 

 すなおな願望は私の苦手ジャンルなので、これはしっかり覚えておきたいです。

 ふだんから、自分は「○○だったら嫌だな」と、いう形の願いをするのがなんと多いことか・・・・・・それは「不足」のほうをシッカリとガン見しつつ、「疑っている」ので、「実は(まずい事態になることを)疑っていない・・・・・・」

 

 「○○だったらいいな」はエイブラハムの「○○だったらよくない?」に当たります。単純に「いいな」の方向を見ているだけ。「既にある、充足の立ち位置」

 

⭐️「嫌なことの方角」を見るのではなく、「いいこと(充足)の方角を向く」。何度も思い出させられますが、「向き」です! home home・・・・・・・・・・・・

⭐️これはストレッチにもなり、とてもいい推奨ポーズです。