https://www.youtube.com/watch?v=vkFiVCWgXaM&t=592s
⭐️人と意見が違う,批判される、考えが合わない、いろいろ、もろもろのズレ………しかし、「こう考えてみると一発解消」というのがこのパノラマ俯瞰です。これはすごい。
山(何かのできごと)を見るとき、それぞれの人がそれぞれの経度、緯度から見ているので、山の像が違って当然。
だから、メジャーな視点、正しい視点、というものはない…・・・・・・
⭐️(youtubeをまとめてみると、次のような感じですね。)
わたしはわたしの視点という役割をになうために今ここに存在している。
違う視点で違うふうに世界を見ることが、自分の存在する意義。
ばらばらの視点で、世界を堪能することが重要。
だから自分のいる視点はとても大事。
人になりかわってその視点で見る必要はない。
自分の「持ち場」の視点。
それは————山を、どの経度、緯度の地点から見ているからによって、全然ちがうものになるから。
でもこの視点をぐうっと空中にあげていくと、あ、自分とその人は真逆の場所から山を見ていただけなんだとわかる。その視点が「ソースの視点」ですね。
ソースの視点とは「愛のまなざし」
だんだん、自分の「経度と緯度の地点」と、上空のソースの地点と、両方もっていることが明確になっていく。
私たちはさまざまな視点を楽しむために、わざわざ分離した。
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⭐️上空はまさに覚者、聖者の見方なんだろうと思います。ただ、聖者たちは、高いほうのソース視点と同一化していて、そこからしか物事を見ない、とわたしは思っていました。
が、そうではなく、HAPPYさんの言うように、この地上レベルの個別視点も持っている。
どっちもあるのがノーマル。それを味わいたいからこそ地球にやってきた。
⭐️ある「経度、緯度」から眺めたアルプスと、裏側から見たアルプスは、違う山に見えるけれど、その両方があるのが
それが「当たり前」
そしてヘリで上昇していくと、あらら、一つの山を、あっちから、こっちから見ていただけだったんだ、というのが見える。これが「ソース=愛のまなざし=ワンネス」の視点ですね。
↑日曜日にいつもやっている「こんなところにぽつんと一軒家」の番組
上空からとった写真を手がかりに、スタッフが山や森をへとへとになりながらそこへたどりつこうとする・・・・・・地上から見ると、こんなんだった、まるで違う……というギャップを味わうのが醍醐味。
このyoutubeで特に心に残ったのは、「自分の役割をになう」「自分の持ち場」という言葉。それを提供するために、わたしたちはわざわざ分離した。
だから、「みんなちがってみんないい」という流れているTVCM(金子みすずの詩)は、「心の慰め」「しかたない」ではなくて、(ここ強調したい)「それだからいい」「それが本分」
⭐️たとえば責任感ある立派な人が、昨日の入試でも残って仕事をしたり、提出書類を見直したりしているのに、「すいませーん」とさっさと帰るわたしは、「人格としてマイナス15点」とか、いつもつけていたのですが(でも帰りたいから、その自己評価にもみずから甘んじていた)、そうじゃなくて————
「違う持ち場だから、それでいいのだ」
何ともほっとしました。たとえば円の上に人がぐるりと立っていて、中心位置に向かって重心をかけてしまって、みんなそこそこずれてる感じだったのが、どうせみんな周辺に並んでいるのだ、中心なんてものはない、と割り切れました。
なにか中心の正しい立場がある……と思うから、そもそも諍いになるんですね。
「みんな違ってみんないい」は、諦めや自己慰撫や他人への不満を緩和する方策ではなくて、それが真理だった!