動画編「誰のために美しく生きようとしているのか?」はローカルネットワークの話だった | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

これは龍さんいる・・・・・・よね↑

 

☆「美しく」の意味をブログを読んだ段階では、大きく広げてとってしまいましたが、動画を聞いてみると、

 

「誰のために美しく(清く正しく)生きようとしているのか」を自分に問いかけてごらん? という話でした。

 

 それは多くは「お母さんに愛されるため」(チーン)

 

————————————以下動画の中身

 

 疎外感とは「清く正しく」生きようとする人 VS 「醜さ、下品、汚れているという感覚」の対立から生まれてきて、これは、「ちゃんと正しくしないと世の中が立ちゆかない」と思われますが、実は具体的には「家族関係が崩れる・立ちゆかない」ことにリンクしていて、それを「世の中が立ちゆかない」というふうに投影しているもの。

 

 たとえばお父さんが「下品」「だめな人」であれば、それに対して、「収入があるからといって」といって主婦のお母さんが、そこに「嫉妬」をぶつけます。

 子どもは、父のようになってはいけない、お母さんに愛されたい→「清く正しくなければ」と思う。

 しかし、そのようにふるまえばふるまうほど、お母さんの嫉妬が来て、「学習性無力」になってしまう。このループからどうやったら抜けられるのか? (つまりお母さんに気に入られようとして、「清く正しく」ふるまうと、弱者である子どもがそんなふうにふるまうことに対して、お母さんの嫉妬が来てしまう)あるいはお母さんに気に入られたとすると、お父さんの嫉妬が飛んでくる。

 

 だから疎外感というのは、母からの嫉妬の投影なのです。

————————

 でもここで、じゃ「誰のために、美しく生きようとしているのか?」と自分に問いかけてみる。

 すると「無意識とともにあるため」という答えもあるかもしれない。そうすると「無意識が味方なので、平和に生きられる・・・・・・」

 

☆というのが本日の流れでした。「お母さんの嫉妬を受けない(お父さんのように下品になってはいけない)ため、清く正しくふるまえば、さらに嫉妬攻撃で「学習性無力」になる」という地獄ループに迫力がありました。これはもう逃げられない・・・・・・

 

————けっきょく「無意識のために」とすればよい————のですが、そうなると無意識にとっての「美しさは」・・・・・・また、ちょっとつかみどころのないところへ入ってゆく気もします。この場合の「美しさ」は、教条的な「倫理」や「良いこと」ではないので。

「時にかなって美しい」のは、もしかしたら、無意識さんの二項である「快・不快」で淡々と生きることなのかもしれません。