「これしかありえない・これが正解」————意味を滅した ”抽象画のパワー。” | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

 まえから気になっていたアーティストAIさんのこの記事です。

 だるまから始まって、ネイティブアメリカンの、というかナスカの地上絵のような線形人物画、そして最近は、この意味を絶した抽象画のパワーに至りつき、ノートをデザインし、ポルシェを買ってしまったというAIさん。

 しかし抽象画メインに踏み切ったときに、こう書かれていました。
「修正が効かない」「覚悟のボルテージが高い」

 なんの形を描こうとか、どんな感情をあらわそうとか、そういう手がかりやよりどころがなく、ただフォルムと色彩の一瞬のインスピレーションしかない。それには三次元的な意味がない……

 

☆同じようなことを感じたのが、つい最近です。ピアノのものすごくメジャーな海外コンクールで日本人初の一位を取った女性と、世代はだいぶ上だけれど、やはりコンクールを総なめし、世界レベルの木管の演奏家である方とのトークを聞きました。

 

 そして、ピアノ・コンクールの最終審査のときの話。

 

 三次が最終予選だったという、そのピアノ演奏がCDで出ています。それは、上手いとか味が、とかそういうものではなく、なんというか、まったく一ミリの迷いもないのです。

 

「ノリがいい」「ここのところの聞かせ方は泣けるね」「ここのたたみかけかたは凄い」とか、そういう比較をまじえた評ができない、そういうのとは全く無縁な演奏————

「これしかない」「この軌道が唯一の正解」としか感じられないのです

 まるで目に見えなかった空中のある線を、彼女が心眼でなぞって見えるようにした、とでもいうような……唯一の正解。

 いままで見えなかったけれど、確かに、あたかも当然のごとく、最初からそこに「在った」んだ、と観客にわからせてしまう表現。

 

「そういうものを持っている人が一位になるんだよ」と、木管の演奏家が言いました。

 

☆これまで芸術の表現とは、推敲、トライアルによる改善とか、他の名演奏とのすりあわせとか、いろいろ切磋琢磨して上達するものだと思っていました。ある程度、比較の階段をのぼるとでもいうような。

 しかし、そうではなくて、たったひとつの正解しかなくて、そこにのっているときは、一切なんの迷いもなく、オーディエンスのがわも、他の表現がありうるなんて考えられない。だって、これが唯一の道だから。というような、そういう表現。

 

 AIさんのアートも、最近のブログやインスタに上がっている作品を見ると、もう全くなんの迷いもない。「これしかない」を見せてくれて、私たちのがわも「これしかなかった」「うわ、ほんとうにこのあり方しかないんだ」といやおうなしに目を開かされる。

 

「これしかなかった世界」に出会うものすごいスッキリ感。

 

★ここ2,3日NHKが8K映像の宣伝がらみで、恐竜番組を三つも流しています。メインは北海道のむかわ竜ですが、化石を掘り当てたら————それはもう唯一無二の証拠であり、その竜の存在はカチッと確定します。あたかもそんなふう、骨を掘り当てるような。

うれしいこと————「死んでいたのによみがえった」

 

 上の骨をつかめば、下のようになるしかない。

 

 これだ、これだけだ、という唯一のスッキリを掘り当てるために、毎瞬(いま、ここで、何が正解か)をノミでカチカチやりたいものです。

 

 でも、どうすれば日常でそれが————

 

 AIさんのヒストリーを見ていると、ここ二年くらいのあいだにどんどん「楽になって」自分をいっさい我慢させず、解き放っていっています。「未来は楽しみでしかない」

 やっぱり、まず何よりも「楽になる」しかないのだなあ……

 

 「楽」になると、脳が自由になる(デフォルトモード・ネットワーク)。

 →そうすると無意識が使えて、「自分を中心に生きられる」

(大嶋流で解説するとこうなる)

 

 という楽園ループです。

 このループに入れば、「毎瞬、唯一無二の見えない正解が見える」

 (「きょうも幸福を選択しよう」と、今日の旺季志ずかさんのブログの冒頭にありました)