”逆、逆、逆!” 「もういいや」の逆転成就の法則————「もういいよ」への転換 | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

↑昨年のゆるキャラグランプリで、逆転優勝してしまったカパルくん(対抗有名キャラの組織票が減点された)

 

昨日から、すごいシンクロの話題がつづいています。受け入れる(捨てる・あきらめる)と、事態が逆転達成される話。

あまりにタイムリーだったので引用。

 

☆求めれば求めるほど手に入らず、

求めるのをやめたときに、不意に手に入る。

 

変わろうとすればするほど変われず、

ありのままの自分を受け入れた途端に、

本来持っていた才能や魅力が開花する。

 

愛されたいと思うほど愛されず、

どう思われてもいいと思ったら、

そういうあなたが魅力的だとなぜか愛される。

 

人から認められようとガッつくと、人は離れていき、

自分が自分を認めるだけでいいと思ったら

願ってもいないのに、人から認められるようになる。

 

リスクを避ければ避けるほど、

ますます人生が危うくなり、

リスクがあろうと思い切って飛び込んだら、

人生は信じられないほど変わる。

 

いい人でいれば、人生が生きやすくなるだろうと思ったのに、

ますます息苦しくなり、

いい人でいるのをやめたら、

とんでもなく力が戻ってきて、人生が面白くなり、

本当に分かり合える人たちとつながる。

 

 

思い通りにしようとあくせくすればするほど、状況は悪化し、

どうせ宇宙に愛されてるし、

ええいもう、宇宙におまかせだと委ねたら、

思い通りなんて軽く超えた想像以上の展開が起こる。

 

★これはがんばるのに疲れたあげくの、「あきらめ」や「ヤケ」ではないです。ひとつ思い当たる自分のエピソードを書きます。

 

 わたしは翻訳家として、昔どうしても訳したいシリーズがありました。作者は、そのころけっこうブレイクしてきていた英国の作家で、その一つのシリーズの(自虐系)ヒーローに惚れ込んでしまったのでした。

 その作家にいくつかシリーズがあるなかで、すでにベテラン訳者が訳されているものもあり、わたしがやりたいと思ったシリーズも、番外編はともかく正編のほうは先輩の訳者さんに行きそうでした。

 うーむ……

 

 こういう執着はひりひりとつらいです。

 

 でも、あがいてもどうなるかわからない。

 そのうち、ふとある日、悟ったのです。

 ほかの訳者さんの手にわたってもいい。でも私の中の、私だけがわかっている「彼」だけは、私から誰も取ることはできない。

 

 それは捨てたのではなく、完全に手に入れた、という逆の次元……

 

 それで、もういい、とふんぎりがついたのです。

 半月もしないうちに、シリーズ全体がわたしの仕事に回ってきました。先輩訳者さんが忙しすぎる、と言ってきたらしいのですが、雪崩の大転回でした。

 

★大木ゆきのさんの上のリブログのいくつかの例も、

 

「もう、いいや」となったときに逆転成就しています。

 手に入らなくてもいいや、いまの自分でもいいや、どう思われてもいいや、というのは、つまり執着が消えたのですが、それは、じつは「もう手に入っている」ということの裏返し。

 

「もうそれを求める必要はない」となったのは、「ある次元でもう手に入れている」から。その「手に入れている自分」を体感したから。

 

 そう思うと、とても納得がゆくのです。

 

★もういつになってもいいや、と思って意識からホカした校正刷りが、思いがけず一昨日来ました。

「もういいや」は、「もういいよ」(隠れんぼ)ではないか…………

 

 このブログでもしょっちゅう「本やモノ探し」で苦労するエピソードを書いていますが、最近は「見つからなくてもいいや」とスグ思い直すようになりました。

「見つからなくても、そのうち出てくる」「見つからなくても、また買い直せばいい」「見つからなくても、必ず家の中にある」など、

 

「もういいや」と叫ぶと

 

「もういいよ」

 

 というふうに転換して、すぐモノが(降参したように)出てくる。

 

★自分なりにわかったのは、あくまで「捨ててるのではない」のです。「ある次元で手に入っている」ことがわかるから、どうでもよくなるのです。そこ。

 

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということわざと少し似ていますが、「捨ててない」んです……