★だんだん北海道も状況がわかってきて、心配していた北海道在住のイラストレーターいのうえむつみさんのブログ
https://ameblo.jp/itislovely623/
ならぬ、嬉しい号外メールが届きました。いのうえさんは
『ワクワク! マンガで引き寄せDreams Come Trueレッスン』(ヒカルランド 2016)の著者。
プリティな姉妹猫シオとタレと料理上手のご主人との暮らし、インスタのマンガもかわいさ満載です。
そのメールの中で、無事を伝えるとともに、ご主人「ヒデさん」が地震にあっていろいろ考えたことのなかで、リマインドしてくれたのが、エイブラハムのフォーカスウィール(望みの車輪)。それが次です。
★【1ヶ月シリーズ第21弾・47日目】
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望むものだけを創造する
エクササイズ
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1.今、一番重要な願望を
自問して引っ張り出す
2.その願望を紙に書き、
「私は受け取ろうと思います」
と記入する
3.それを望む理由をできるだけ
たくさん書き出す
4.次にその願いが叶うと
わかる理由をできるだけ
たくさん書き出す
5.「創造はすでに終わった」
と唱える。
そして既に叶っていると思う。
テンプレ
↓
http://ugle-member.inouemutsumi.com/wp-content/uploads/2018/07/20180702-2-366x1024.png
★テンプレはフォーカスウィールの図像ですが、この中で、4に、はっとしました。望む理由やかなったらどんなに楽しいかを想像することは自分でもふだんの「引き寄せ」の段階に入っているのですが、確かに4をスルーしている、というか、4は考えないようにしていた、というか、普通ムリかも、とか、思っていました。
でもこの4をやれば、飛び石を増やし、ホップ ステップ 4 ジャンプで、確実に向こうへ渡れる!
エイブラハムの理論です。
感情重視は必要なのですが、4の段階は「宇宙が何が何でも采配してくれる」とHappyさんのように確信しているならともかく、ふつうはスルーすると、ムリかも、と思っていることになり、ブレーキになるかと。
あー、コレを入れれば大丈夫だ! アンチエイジングとか(つい本音)、いろいろやろう! と気分高揚。
そして思ったのは、4で具体的な現実的「理由」が思い浮かばなくても、それこそ「宇宙が采配してくれるから」でもなんでもとにかく、4を作り、自分の中で、安心にクリアーしておくこと。そういう心の状態にしておくことが必要なんだなと。
ありがたいメールでした。
☆このこともですが、災害(東日本大震災)のときに、自分でもいろいろ気づいたことがあります。
それを思い出したので書きます。ひとつは「想定外」という敷居です。
被災者というにはおこがましいレベルですが、当日帰れなくて、日舞の先生の家に泊まりました。すべての交通網がほぼ止まっていました。翌日メトロで何とか帰りましたが、家の中は本が一メートルくらい積もり、一時間に一回は余震、コンビニではなぜかトイレットペーパーが切れ、ガソリンを買うのも制限がかかっていました。火を使うのもこわくて、それで、近くのフレンチカフェに通ってしょっちゅう食べていました。
しかし————この「明日が見えない」状態の非日常感には、何か新鮮なものもあった気がします。
大学の卒業式も入学式も、オリエンテーションキャンプも四月最初のほうの授業もすべて無くなりました。
何よりこのことのまっさらな自由感にはびっくりしました。絶対変わらないと思えてきたそうした組織の予定や縛りは、法則でもなんでもなくただ人間が決めていただけ、ということが見えたのです。
「想定外」という窓をぶちやぶって外に出たような。
ただ「想定」の中で、毎日暮らしていただけでした。社会は「想定」でできていて、でもそれがすごく堅固な器に見えている。窮屈、どうにもならない感————は、人間の単なる自縄自縛で、自分たちで決めた法律や制度なのに、物理法則みたいにがんじがらめに感じていたのでした。
すべては暫定真理。
☆そしてもうひとつは————さらに前にポーランド旅行に行ったとき,ツアーなのでもれなくついていたアウシュヴィッツ見学の体験でした。天災で家が壊れ、人が死ぬ、のよりもっと恐ろしい、ホロコーストの遺物を、眼鏡や髪の毛や遺留品の山、ポートレイト、人間が暮らせるとは思えないベッドやトイレの施設、そんなものを見せられました。とちゅうで見学をリタイヤした人3分の2。
ここには目に見える「悪意」や「狂気」のなまなましい痕跡がありました。バスに戻ったら、はめていた天然石の指輪に大きなひびが入っていました。
しかし————それでもぼーっと草原に目を遊ばせていると、何か憑きものが落ちたような気もしたのです。自分がいくらダークでネガティブな妄想や恨みつらみに入ったとしても、ここまではありえない、と究極を見切った安心感のような免罪感? そして脳内想像していただけの恐ろしさを、はっきり見てしまったことによる「厄落とし感」も(もやもやした想像を断ち切ってくれた感じ)。
ここまでは振れないだろうメトロノームの最極。
★地球さんが何かを起こすとき、何かを人間がわも同意して思いだそう、としているような気もします(ああいう人為的なホロコーストや9.11はともかくも)。
以前の熊本地震ほかのケースについても、災害があったあと、私たちはどうすればよいのか、についていろいろ真摯な意見がブログに上がっていました。
さとうみつろうさんは、非常事態にいる人々に対して、「なにもない無事な生活がこの世にはある」ことを見せてあげるのが、私たちのギフトなんだ、と。これもはっとしました。安全で「想定内」な安心できる生活をしている人たちがちゃんといる、世界は大丈夫だ、と思い出させてあげることが希望になる。
☆そんないろいろで「想定内」ということ、「惨事のあと、平安がリニューアルされて訪れること」などを思い出して、粛然とした気持ちになっています。
(むかわ町は震度6くらいだったようで、むかわ竜の起こした地震……)
地震のあと驚いて逃げ出し、まだ飼い主とめぐりあえないペットたちへの募金集めが東日本大震災のときから、いまだに続いています。ペットと人間の絆についても心配でした。いのうえさんのところの猫のタレちゃんは、インスタでは、窓にはさまってびびっていたけれど、もう一匹のシオちゃんがいっしょうけんめいなだめていた、ということで、そんなニュースに心が明るくなります。