野島博之先生のトークイベントに参加してきました。 | 傍流のアメリカ大学受験

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都内私立中高一貫校の高校三年生。米国大学進学準備に奮闘中。
純ジャパ(日本生まれ日本育ち、海外経験ゼロ)の息子がどこまで挑戦できるか、親もつたない英語を駆使して情報収集に格闘しています。

 

11月21日(火) 晴れ

 

 

先週の土曜日は、ジュンク堂池袋本店で開催された

野島博之先生のトークイベントに行ってきました~。

控えめに言って、『最高』でした!

 

先生の幼少期や大学時代のお話もあり、

個人的には、アメリカ旅行での失敗話に親近感を覚えました(笑)

 

「子育て指南」については

学校の保護者会や育児本などで見聞きしたことのあるポイントは

あったのは確かですが…、

 

野島先生のお話だと、その説得力が格段に違いました💦

 

 

その中で、私が個人的に刺さった部分を抜き出しでシェアします。

 

1)これからの時代を生きる子どもたちに、

親世代の成功体験や経験談は全く役に立たない。

→親は子に、助言すべきでない。

 

江戸から明治への変革期や第一次世界大戦時下の例を交えてお話。

 

 

2)【山上徹也容疑者に関して】思い出したこと。

 

先生の大学時代の体験から、「知」が自らを守る力になったお話。

 

 

3)「人生オワタ」が人生の始まり。

 

 

個人的には、「人生オワタ」の話が一番心に刺さりました。

 

これが、いかにも野島先生らしい言葉の選び方です。

 

 

学校の保護者会では「子どもたちには『失敗』させてください」とか

「『挫折』は子どもを成長させてくれる」と言うような話はよく聞きます。

 

 

その「失敗」とか「挫折」と言う言葉には、どこか

「でも、乗り越えられるからね」や

「挽回の余地はまだあるよ」と言うニュアンスが感じられます。

 

 

一方で、野島先生のおっしゃられる「人生オワタ」の言葉には、

もっと強烈で、絶望感さえ漂っています。

 

 

「人生オワタ」って…

 

どうにも取り返しようのない状態

後悔とか反省がなんの意味もなさないほどの重苦しさ

選択肢すら残されていない崖っぷち感があります。

 

 

「親は子どもの人生が「オワッテ」欲しくないんですよね。」と野島先生。

「でも、『人生オワタ』からが、本当にその子にとっての人生の始まり。」

とも話してくれました。

 

人間の本能は、生涯学び続けたい欲があるものなのだと。

 

そうなんですよね…、

よくよく振り返ってみれば、私も旦那さんも「人生オワタ」の経験、しています。

私は、控えめに数えても「4回」ありました💦

(人としては多めかも…。涙)

 

旦那さんは、「2回」かなぁ。

野島先生も「2回」ですって。

 

 

親の私たちでさえ「オワタ」経験しているのに、

子どもにはできるだけ「オワタ」終末的絶望感は味わうことなく

生きてほしいって願うのは…

それってなんか変ですよね…。

 

 

理屈では分かってはいるけれど、やっぱり子どもの苦しむ姿は見たくないのが親心。

 

子どものことは安全なところへ、

痛みや苦しみから守りたい衝動に駆られることの連続が子育てのように感じます。

 

 

人生って、あとから気づいたんじゃ遅すぎるターニングポイントってありますね。

選択しようのない状態になってから後悔したってもう遅い、遅すぎますっていうこと。

 

 

親はそれを知っている年配者だから、

まだ人生経験の浅い我が子には、選択肢が残されているうちに何とかしてあげてたい、

気づいてほしいと、つい先回りしてしまうものだなと。

 

 

「自分が今まで経験してきた、あのつらいことの数々は、

この子を幸せにするためだったんだ。」

と思いがちです。

 

ついつい自分の失敗を「子どもが」活かし、踏み台にしてほしいと願ってしまう。

同じような後悔を味わってほしくないし、あんなつらい思いはしてほしくないから。
↑つらさを知っているだけに…。

「人生オワタ」って経験には、この世の終わり的な悲愴感が漂います。

 

 

野島先生のお話から

子どもの人生に、失敗より強烈な「人生オワタ」経験が訪れること

親としてその覚悟が本当にあるのか…。

 

 

親の経験を我が子と分かち合う価値はありますが、

子どもは、自身の人生でやはり体験しなければ知りえない世界があるということです。

 

 

我が子のことが大事でかわいいと思うほど

「人生オワタ」の行き止まりになるかもしれない道を選ぶ子の背中を押すのは難しいです。

親として相当の覚悟がないとできないですね。

 

 

別に「金持ち」になってほしいわけじゃない

著名な功績をのこせなくたっていい

平凡な市井の人で構わない

どんな人生でもいいから、

子どもには笑って、幸せで、生まれてきたことへの喜びで満たされているなら

親はそれだけで十分満足なのです。

 

 

一番見たくないのは、

子どもが無気力な状態

生きている意味を見出せないでいる様子

自暴自棄で自分を大事にできない姿。

 

 

親は、子どもの人生が明るく華やかな方へと導きたくなってしまうものですが、

野島先生の話を伺い、人の親になる覚悟を問われている気がしました。

 

親の役割は、子どもがつまづかない人生を歩むようにと導くのではなく、

どんな困難に合おうとも、人生を捨てず、オワタ後の「次の人生」を選び歩んで行く屈強な精神力を持つ子に育てること。

 

子どもが打ちひしがれている姿を見るのは、親としては本当につらい…。

その親としてのつらさやジレンマも、人の親になる覚悟の一つですね…。

 

 

私自身、母親としてまだまだ修行が足りぬ、と感じました。

 

 

高2の息子は今、来年高3時の選択授業について、その提出期限を迎えています。

悩みに悩んでいます…。

 

日米併願受験と行くか、米国専願で出願するか…、

息子は悩み、迷い、答えを出せずにいます。

 

相談もされましたが、私にも「正解」が分からない💦

 

あまり器用な子ではないので、日米併願の大変さは伝えました。

加えて、日本の大学で勉強している姿も想像できないので(注:我が子の場合)

「米国専願」でいいんじゃないかと思うんですけどね。

 

本人は「ダメだったらどうしよう」の不安がぬぐえないようです。

 

 

「二兎を追う者は一兎をも得ず」となるか「一石二鳥」となるのか

あるいは

「退路を断って初志貫徹を貫く」のか「虻蜂取らず」となるのか

 

最後は本人の選択を静かに待つと言う、親の覚悟をいただけた時間でした。

 

 

 

 

今週末まで、オンライン視聴が可能だとのこと。

 

親として、賢明な選択を「知っている」のと「実行に移せる」のでは

天地の差があることを思い知らせてくれる講義でした。

 

本当に子の人生を大事に思うならば、親も学ぶことを辞めてはいけませんね。