■马马虎虎de ALS■
先の答申から9年後の1968:9月、すでにチッソ、昭和電工の水銀触媒工場は、すべて製法転換により姿を消し、工場がなくなるのを待ってやっと「国が原因を認めた」。
公害認定や前年からの新潟の裁判に押され、立ち上がろうとする被害者に、国は過酷な攻撃を加えた、それは被害者団体への分裂攻撃である。
チッソが交渉に応じないので、やむを得ず厚生省に斡旋を依頼、これに対して斡旋委員会を作る条件として、「委員の人選、会の結論には異議無く従う」との「各役所の署名提出」を要求した。患互会は、この「白紙委任状」の提出を巡り紛糾、
これを飲む「一任派」と「訴訟派」に分裂。1969:6月14日第一次訴訟は29世帯112人により熊本地裁へ。また、一任派は「告発する会」を組織、
川本輝夫さんをリーダーとして、認定業務の阻止、へ泥諸侯時の反対など、訴訟派の妨げになったのも事実だ。「仲間同士の分裂崩壊」である。
人柱の値段1995年9月、政府が出した「全面解決」「全面救済」案は一律に一時金260万円という内容は、よくも全面救済等と言えたものである。まず自分たち(役人、司法関係者)が、現状の俸給生活を捨ててこの内容で生活をしてみると良い、やれもすまい。