■马马虎虎de ALS■
第二水俣病発生
1965(昭和40)年6月13日
八人発病、一人死ぬ 阿賀野川流域を調査
1965(昭和40)年6月13日
七人が発病、一人死ぬ 阿賀野川の両岸 農家の男ばかり 有機水銀の中毒 原因は不明
1965:40年6月、新潟の阿賀野川河口付近で第二水俣病発生、
河口から60キロ上流の昭和電工鹿瀬工場が汚染源であった。(新潟大学、椿忠雄教授による)翌年3月、中毒の原因は昭和電工鹿瀬工場の廃液の疑いが濃いと中間報告
少なくとも34年には水俣病の原因は解明されていたはずであるのに、行政の怠慢により引き起こした、一体彼らは何をしていたのだ!!
原因については、さらに42年6月に提起された損害賠償請求事件について、46年9月新潟地方裁判所において判決が行なわれ、原告(患者)側が勝訴し、被告の過失責任が認められたが、そのなかで、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に生ずる廃液を含む工場排水を阿賀野川に放出した行為と中毒症との発生との間には法的因果関係が存在するものと判示している
1973:48年5月水俣と同じ有明海の
このことは日本全国に、またもや「水銀パニック」を引き起こした。