■马马虎虎de ALS■
法の矛盾
チッソ本社、自主交渉闘争(「自主交渉闘争」といって、患者家族が直接にチッソ と交渉する運動の形態が生れ、「告発する会」の人たちは、それに「共闘」するというスタンスをとることになる)で、社員に暴行障害を加えたとして訴えられていた川本輝夫さんに、最高裁の実質無罪に当たる決定がおりた、当然のことである。 当然というのは留保つきの当然であって、
川本さん及び多数の水俣病患者らが、長年受けてきた、法の名による言われ無き弾圧の歴史を考えると、失われた歳月、悪意の限りの人権侵害を、「法」はどうしてくれるのか?川本さんたちは、1969年に水俣病申請をして、翌年棄却され、行政不服審査請求をおこなって、1971年8月、環境庁の棄却処分取り消し裁決を受けた、これを受けて同年10月6日、熊本県は川本さんたち棄却処分の七人を含む十六人を認定した、この認定を心認定と称し、チッソが、従来の認定とは趣旨が違うので補償の対象としないと主張したことによって、自主交渉闘争は、強いられてスタートすることに。
患者のリーダー川本輝夫
さんは、新聞記者に今後の展望はと聞かれ、「展望はチッソ
がにぎっている」と答えた。意表をつく言葉に記者は一瞬絶句した。彼がいうのは、われわれの闘いが終わるか終らないかはチッソ
次第であり、チッソ
が誠意を示して要求を容れないかぎりわれわれの闘いは続くということだった。それが川本輝夫
にとっての“展望”であった。自主交渉闘争とはこの一点だけをにぎりしめた闘いだったのであり、展望などというしゃらくさいものがなくとも闘いはできるということを、戦後の政治・労働・社会その他もろもろの運動とは無縁であり、そういう運動ではなく素人の闘争者であることを誇りとする患者とわれわれが実証した闘いであった。