■马马虎虎de ALS■
l おとなのいのち十万円
こどものいのち三万円
死者の命は三十万円
1959:34年11月3日、チッソ労組が動く、緊急代議員会を開き、この紛争は水俣病問題が最大原因と思われるので関係者は一日も早く原因究明と、患者対策、漁業対策に努力し、生活困窮漁民には応急策を講じること、また漁民は組合員の生命財産に脅威を与えたが、これは工場側の誠実さを欠いたことに起因とした。
12月30日、産業優先、住民の生命無視の政府政策に後押しされたチッソは、水俣病患者に「原因は不明」と「嘯いて」「見舞金契約」を押し付けた。
その見舞金たるやきわめて不当なもので、しかも、原因がチッソにあることが判明しても追加保障はしない、逆に原因がチッソに無いことが判明したら見舞金は打ち切るという条件付の契約であった。
この頃患者や被害者の間で、チッソとの間で取り交わされた、保証金等その内容を揶揄して、言い交わされた言葉であるが、それは、保証金を貰って「生活が楽になった」と言う事と「たいした病でもないのにそれを貰っている」と、世間の人達から後ろ指を指されること、
最も心に痛いことは大切な身近な人の「死」であり、また病気と闘わなければ成らない境遇、
殺して三十万円、大人年間十万円では病気の治療代にもならない、家族の生活はどうなるのか、子供一人一万円では一ヶ月の治療代にもならないが、この金額の今年までの分を一時金として、残りを年金制にして暫定六十歳まで、総額七千四百万円の保証である。
しかし、その後も国はなんらの方策を講じることなく、1957:9月熊本県が食品衛生法で、水俣湾の漁獲を禁止しようとしたときにも、厚生省は、「危険だという証明は無い」と、法の適用を阻止した。「行政使命の崩壊」としか言いようが無い。