■马马虎虎de ALS■
食品中毒部会による水俣病の原因究明が、厚生大臣により中断させられたのに対し、チッソは日化協をバックにして、爆薬説、アミン説をきょうりょくにとなえ、チッソは事故の責任をごまかしている状況では、
患者たちはチッソに対して、水俣病発病の責任追及を求めることは出来なかった
貧困にあえいでいた患者たちは、現金がのどから手が出るほどはしかった、わずかばかりの見舞金を押し付けられ、泣き寝入りさせられたのである。原因を追究しチッソの責任を問う機会は失われてしまった。
チッソは自己の犯罪を隠すのに成功した。
加害企業、国、自治体、日化協が一体となって水俣病の責任をごまかしたのは、石油化への転換を貫くためで、昭和34年の段階では、問題を早期に収拾してチッソの石油化のスムーズな転換が、コンビナート化によって一体化を進める化学資本全体の利益であった。
チッソがつまずくと、参加する予定の丸善コンビナートがつまずくだけでなく、他のコンビナートにも波及することになり、高度成長の妨げになって、
水俣病患者はその政策の生贄にされたのである。
この見舞金契約の悲劇は、昭和45年5月の、水俣病補償処理委員会の斡旋で再演されてしまった。患者は分裂させられ、チッソの責任は野放しに・・・・。