ネコ踊り病(水俣病)その56 | ■ALS de 马马虎虎 ■

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als罹患者ミッキーは
「奇妙奇天烈・马马虎虎(マーマーヒーヒー=馬馬虎虎・いいかげん)」なオヤジなのである。

马马虎虎de ALS

ジェノサイドその4

「康子」その1

昭和20623日「康子」は生まれた、まだ戦争中で機銃掃射が激しい中であった、それはそれは明るくて、素直で、頭の良い子であった。 小学校へ上がる少し前から手足がもつれるようになり、27年に小学校へ入学した頃から、かわいらしかった口元が緩んで、涎を流し喋るのがゆっくりに成り、言語障害のように、康子の言うことが親にも判らない状態になった、学校や近所から馬鹿にされたり虐められたりして、毎日のように泣いて帰ってきた。 学校へ通うのも大変で、小高い山の上にある



「袋小学校」まで、15分の道のりを姉や兄に介助を受けながら、50分ぐらいも掛かって行っていたが、康子は夜良く眠れず、全身のだるさ、それに、学校で虐められるのを嫌がって、登校時間が迫っても、登校を嫌がったり、また床を 離れるのがとても辛そうであった。

当時はまだ運動靴は目面しい時代であつたが、康子は草履も下駄もすぐに脱げてしまって、すぐに怪我をしてしまうので運動靴をはいていたが、動作の遅い康子が一番遅く教室をでて、   

下駄箱を見るとそこには運動靴は、他の子たちに何時も隠されてしまい、そのたびに康子は裸足を引きずって帰ってきた、康子は「目」も悪いので鉛筆や消しゴムも同じであったし、弁当の中に「唾」を入れられたりもした、 運動会や遠足もみんなとは一緒には参加できなかった。

そのような小学校生活だったので、中学校には行かないで居ようとも想ったが、結局「義務教育」ということもあって、進学することにしたが、袋中学は小学校のバイも遠いところに在ったが、姉や兄も卒業していたので一人で登校しなければならなかった。 小学のときのことで懲りているので弁当は持ってゆかず、腹が減っても昼食も食べず、雨のときなど山道で転んで、どろどろになって帰ってきた。 また鼻血が何度も出たりしていたので、「奇病だ」と言われ虐められた