■马马虎虎de ALS■
(石牟礼道子さんの文章より抜粋)
ワシャ死に切れん
「わが身を、わが身で扱いきれぬ体をして、便所も一人では出来ぬ」、一家九人父も母も、水俣病ですでにこの世を去り、七十六歳の爺さん一人、九歳の胎児性患者と、その他五人の子供たちの面倒を見ているのである、老人は口癖のように
「ワシが死んだらこの子はどうすんだ、しりの始末も兄や弟に見てもらわニャ~ならん、兄といってもまだ十二歳だでの~、ワシャ死に切れん」と、このような状況下のなかで、この人達はこの後どのように生きてゆくのであろうか? 裁判など事件の紛争を処理した文書の中には、このような肉親たちの具体的、生活的苦患には、一言も触れることは無かった。
殺される
山中九平16歳、昭和24年7月湯堂生まれ、父は代々の漁師だったが35年に死亡、姉さつき、昭和2年生まれ、31年7月水俣病発病、同年9月2日死亡、九平は姉さつきより1年早く30年5月に発病、九平は誰がなんと言おうと、「行けば殺さるるもね」と、後ずさりして追い詰められるように呟き、病院や医者にかかるのを拒否し続けた、その言葉はもう十年間も変わる事無く、病と闘い完全に失明し、手も足も口も満足に動かせず、身近に居た人達姉や、父親、近所の遊び仲間達が、病院へ行ったまま死んでしまい、「自分も殺されると、のっぴきならず思っている」のである。