■马马虎虎de ALS■
(ジェノサイドその1)
2月3日といえば奇しくも私(ミッキー)の誕生日である、いまから29年前(1987年)のこの日、九州の水俣地方としては珍しく大雪のため一面の銀世界であった、寒気団が上空を覆い、地上ではこの地方では珍しい樹氷も見られた。その三日後一人の女性の命が消えた。40度の高熱に冒され肺炎を併発していることを、周りの人にその
苦痛を訴えるすべも無かった、この女性がこの世に生を受けてから29年間、自らも病んだ体で看病を続けてきた年老いた母親は、視野狭窄のため体温計のメモリさえも読むことが出来 なかった。
「宮内一二枝」、彼女は生きているうちに自からの名前を口にしたことは出来無かった、「胎児性水俣病患者」の彼女は、チッソが垂れ流した水銀で、母親の胎内で水俣病となり、この世に生を受けて以来、立つこと、話すことすらも出来ず、もちろん結婚もせずにこの世を去った、一体彼女にとって「この世は」どういう世界であったのであろうか。