9月8日から11日まで旅行をしました。今回は、現在、唯一の定期寝台列車サンライズに乗車するのが第一の目的でした。一か月前10時にネットで予約しようとしたものの、もうすでにシングルは満室で、ようやくとれたのは、ソロでした。初めての乗車の時(一昨年6月)もソロで、その時はひどく狭く感じましたが、今回は特に感じませんでした。人間の意識というのは不思議なものですね。狭いと観念していると、そう感じなくなるのですね。ただ、初回で感じたわくわくした気分はありませんでした。21時50分発車。横浜駅を過ぎた頃、最後の車内アナウンスがあり、自分も寝ることに。普段、なかなか寝付けないのに、何故か、よく眠れました。
翌朝、4時過ぎに目が覚めました。車窓の外はまだ暗く、どうも神戸あたりは通過したようでした。5時半ごろ幾分明るくなってきて、ラウンジで朝食(普段は5時前に朝食を済ませています)。一組の夫婦がもうすでにいました。霧が発生していました。6時半近くに岡山駅着。ここで、サンライズは、高松に向かう「瀬戸」号と出雲市に向かう「出雲」号とが切り離されます。切り離し作業をカメラにおさめようと、人が、7号車と8号車の連結部に押し寄せます。僕は今回は、缶コーヒーを買う方を優先して、切り離しは、ちょっぴり見られただけでした。
天気がずっと気になっていて、晴れたり曇ったりと、不安定でやきもきしていました。松江に近づく頃、晴れ間がひろがったので、喜んだのもつかのま、9時半過ぎ、駅に着き、観光案内所に立ち寄った後、急に土砂降りに近い雨になってしまいました。当初、神社参りを考えていたのですが、急遽作戦変更して、松江城近くの歴史館に向かうことにしました。月一回の旅行をするようになって、町がどのようにして形成され、繫栄したかに以前より強く関心がもているようになりました。ブラタモリをずっと見続けてきたので、地形や地質構造が、町の発展に大きく関わることを学びました。松江は何といっても宍道湖と中海の存在が大きい水の都です。松江城は、平地にあるものの、その周囲が敵から攻めにくいように工夫されています。堀に沿う通りの松並木は見事で、大きく曲がり、黒光りしている幹は、造化の妙というしかありません。
歴史館で2時間以上過ごして、外に出ると、雨は降ったり止んだりの状態でした。小泉八雲記念館近くの土産店兼食事処で、出雲名物、割子そばを食した後、空はまた晴れ間が広がってきました。こちらでは、「弁当は忘れても傘は忘れるな」という諺があるそうで、天気が変わりやすいそうです。
天気が良くなったので、駅に戻り、当初考えていた神社巡り(といっても2か所)をすることにしました。最初は、神魂(かもす)神社で、風土記の丘のバス停から、10分ほど歩いたところにあります。割と大きな黒々とした自然石を積み上げた石段を上がっていきます。木々に囲まれあたりは暗く、いかにも神域に入ったかのような雰囲気です。拝殿の前の石段は段差が激しく、息が荒れてきます。出雲地方の神社は注連縄が太いのが特徴のようで、ここもそうで目を引きます。本殿は、現存する日本最古の大社造(国宝)で、高床構造になっています。素木のためか、神聖さが増しているように感じます。
参拝の後、僕は、写真を撮ろうとしたところ、社務所の女性から注意されました。拝殿をよく見ると、神前のため撮影禁止と貼り紙がありました。恥ずべき行為をしでかしてしまい、この後ずっと、気分が落ち込んでしまいました。それから、御朱印帖を忘れたため、御朱印をいただくこともできませんでした。書置きもなかったのです。今度、松江を訪れたときはかならず、お参りします。
悔いが残る気分で、はにわロードを進んで八重垣神社に向かいました。この参詣道は、白っぽい細かな玉砂利が敷き詰められており、又所々に、馬や鹿などの埴輪が置かれていて、20分ぐらいの徒歩を楽しみました。八重垣神社は鳥居をくぐると、すぐ拝殿で、神魂神社のような森厳とした雰囲気はありません。ここは、縁結びで有名らしく、若いカップルの姿が目につきました。奥に進むと、鏡の池があり、池に占い用紙にそっと硬貨を置いて、その沈み方の遅速、遠近により、恋愛、結婚などの縁を占うというものです。僕が写真を撮ろうとしたところ、「占いはしますか」と女性に尋ねられました。NHKの取材でした。
参拝後、バスで駅に戻り、そこから、再び市内の観光名所を巡るレイクライン(運転手自らが観光案内し、とても親切でした)に乗って、宿泊先のホテルに向かいました。室は6階で、窓から宍道湖が眺められました。前方の対岸に、県立美術館(残念ながら、休館中でした)の平たい建物が見えました。水との調和をテーマとして、「水の都」にふさわしい建築です。3月から9月まで、日没後30分まで開館するなど、粋なはからいをしています。「日本の夕日百選」にも撰ばれています。第一日目の松江訪問は、ちょっと不運でした。
二日目は、朝6時半にホテルを出て、徒歩(30分足らず)で駅に行き、7時49分発の特急で鳥取に向かう予定でした。しかし、特急は20分ほど遅れているというアナウンスがあり、待合室にいると、テレビで、島根、鳥取県に線状降水帯予測情報が出ているのを知りました。当初、山陰海岸のジオパーク拠点施設に立ち寄る予定でしたが、山陰本線が大雨でストップすることを懸念して、鳥取駅から普通列車を乗り継いで、城崎温泉に向かうことにしました。途中、以前、旧鉄橋で有名だった餘(余)部付近で、車窓から美しい海岸が見えて感激しました。現在は、展望施設があるそうで、今度来たときは、下車して、のんびり過ごそうと思います
城崎温泉は、昔ながらの温泉街で、年配の客が多いものと思い込んでいました。しかし、実際は、若い男女や外国人が目につき、カニや但馬牛(神戸牛や松阪牛などの原種であること今回初めて知りました)などのグルメ、アクセサリーなどのお店も多く、古い町並みなのに、新しさが融合した、オシャレな街と認識を改めました。外湯めぐりが有名で、浴衣を着た外国人が多くそぞろ歩きをしている姿を目にしました。僕も、「御所の湯」といういかにも名にふさわしい外観の外湯で入浴しました。全面露天風呂で、豪快な滝を眺めながら、ゆっくり湯につかりました。混んでなくて、本当にluckyでした。美人の湯としても知られていて、女性に大人気の外湯です。
平安時代以前からの、古い由緒があり、昔ながらの木造建築がほとんどで、大谿(おおたに)川沿いの柳並木と数々の小橋、その両側に風情豊かな温泉街が広がっており、これまで訪れた温泉街で一番気に入りました。今度来たときは、但馬牛のステーキを存分に食べたいものです。
城崎温泉では、ゆっくり過ごせたのですが、帰る段になると、雷鳴が聞こえ、空も険悪になってきました。運よく、豊岡駅行きの普通列車があり、それに乗って10分ほどして、豊岡駅に着いたときには、ざあざあ降りでした。駅とつながっているショッピングビルのスーパーで、夕食のおにぎりと御煮しめ、ビールを買った後、雷雨が落ち着くまで休憩所で過ごし、小降りになったところで、ホテルに向かいました。
旅行最終日は、玄武洞公園に行きました。僕は、毎月旅行をすることに決めていますが、その目的の一つに、日本ジオパーク47か所を訪ねることがあります。はたして達成できるかどうか自信がありませんが、大きな夢をもつことはいいことだと、この齢になっておもいました。さて、玄武洞は、山陰海岸ジオパーク内にあり、地球の歴史を解明する上で、大きな発見があったところです。1926年、京大の松山基範博士は、約160年年前の火山活動で形成された玄武洞の岩石が、現在の地磁気と反対の磁性であることを発見しました。この発見は、今日のプレートテクトニクス説の構築に大きく寄与しています。しかし、この地球史における大発見の価値は、松山博士が生きている間は、評価されずに終わりました。玄武洞の名は、玄武岩の命名元でもあります。
溶岩が冷える過程で収縮してできる柱状節理は、これまで、伊豆半島の海岸などで見たことがありましたが、玄武洞の他に4つもある洞で、縦方向だけでなく水平方向に延びるものとか、さまざまな太さや形のものを見ることができました。中でも、青龍洞はもっとも美しい柱状節理の姿を見せていました。ここを訪ねて、地球の歴史を、もっと深く学び理解したい気になりました。本や写真で見るだけでなく、実物を観る大切さをかみしめました。
玄武洞
青龍洞
バスで、15分ほどで、城崎温泉にまた来ました。昼食をとった後、温泉街の奥にある温泉守護の寺、温泉寺に参りました。1300年前に、温泉を開いた道智上人により開創された古刹です。本堂は、温泉を見下ろす山腹にあって、参道である急な階段をかなり登って、ようやくたどり着けました。
城崎温泉駅を普通14時42分発に乗って乗り継ぎ、京都に着いたのは18時53分。もう暗くなっていました。年3回の京都旅行の際、ほぼ毎回行く、駅地下街のラーメン店で食べて、20時8分発(定刻よりも5分遅れ)「ひかり」(「のぞみ」よりも割安料金で乗れるので)に乗車、東京には、22時32分着。神奈川で大雨だったらしく、乗る予定だった上野東京ラインは運行していませんでした。帰りの電車は、超満員。帰宅したのは、0時15分ごろでした。






