5月病って言葉があるくらい、この季節はメンタル面で不安定になりがちな季節。子どももいなくて新生活とか新学期とかにも縁がない我が家でも、気候が不順なこの季節はなんとなく、気分が晴れないというか、いろんなことが不安になったりすることが多いです。
最近は、私だけではなく、母もそういうことがあるみたいで、いつも脳天気な母がちょっと弱気なことを言ったり、将来や現状への不安を口にしたりすることが増えました。
高齢になると、あとは、いつお迎えがくるのか、介護が必要になったらどうしようか(金銭面や住まいや家族の負担など)、この生活がいつまで続くのか(続けられるのか)、不安になるのも分かる気がします。まだ高齢じゃないけど、私も同じ。
体調がいつ悪くなるか(持病の膠原病が再燃したり合併症が発症したりする不安)、そのときに高齢の両親が頼れるのか、両親が介護施設に入ったり、先立ってしまった場合、ひとりで大丈夫なのか、不安だらけです。
だんだんと出来ないことが増える両親。それは仕方がないし自然なことなのですが、頼れる先が少ないし、親類も高齢者が多いし、孫もいないし、なんというか、自分でセーフティーネットを作っておかねば、という気持ちもありつつ、難しい…。頼りになる人脈も重要だけど、結局、最終的にはお金があるかないかで選択肢が変わってくるんですよね。もう少しお金があれば、この施設に入れるのに、とか、この病院に行けるのに、この治療ができるのに、このサービスが利用できるのに、みたいな。
高齢両親に運転免許を返納してもらいたいけれど、ペーパードライバー歴の長い私が運転するのも不安。でもやらなきゃ、ってプレッシャー。お金の管理や事務手続きなども、徐々に私がやる範囲が増えてきました。しかし、完全に移行してくれるわけではなく、部分的なので、我が家の財産や財政状況の全容がわからず、相続など、将来に向けて今からやっておいたほうが良さそうな手続きなどを相談しても、反応が鈍いです。
高齢者には、具体的なことをせず「あとは野となれ山となれ」の「ノトナレ」タイプときっちりと手続きを進める「立つ鳥跡を濁さず」の「タツトリ」タイプがいるそうですが、うちの両親、きっちりしてそうに見えて、「ノトナレ」タイプです。なので、○○の名義変更しておいたほうがいいのかな、などと相談しても、そのときになってからでいいよ、ってあまり真剣に取り合ってもらえません。今やった方が得になることも多いかもしれないのに。
自分たちがいなくなった後のことを考えるのが嫌なのと、単純に面倒なのかも。残された財産を相続して手続きとかで苦労するのは私なのに〜。
私の場合は、両親が元気なうちにできることをやっておきたいのに(思ったように)できない、という不安もあり。運転ができなくなるとか、事務手続きができなくなるとか、家電の説明書を読んでも理解できなくなるとか、洗面所やトイレの電気をつけっぱなしのことが増えるとか、両親ができなくなることが増えてくると、いままで頼りにしてきた両親がだんだん、私を頼る度合いが増えて、立場の逆転を感じます。両親自身がそれを受け入れられる部分と、「まだまだ自分でできる!」というプライドがある部分があって、なかなか難しいところ。
ひとまず、お互いに、できるところまで元気で過ごせるように環境を整えたいと思います。…とはいえ、なにをやればいいのか、(手続き的に)できることはなにか、できないことはなにか、考えることが多すぎて、結局、私も「ノトナレ!」となってます。蛙の子は蛙。
終活の「ノトナレ」タイプ、「タツトリ」タイプについて考えるプロジェクト。
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有料記事ですが、この記事で二つのタイプを知りました。
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date:2026/4/26
※写真は縮小しています。


