先日、とある病院で診察を待っていたときの話です。


次の次が自分の番だったのですが、前の患者さんと先生のやり取りが、何となく聞こえてきました。


先生 「どうですか、何か、運動とかしてますか?」


患者さん 「いやあ、仕事が忙しいので、何も。。。」


推測するに、この方は糖尿病で治療をしており(インスリンレベルではないようですが)、ただ薬を処方されているだけのようです。


つまり、糖尿病になる根本的な原因である「生活習慣」は全く見直していないようでして。


先生 「あなた、こんな数値(血糖値)だったら、本当に将来何かが起こりますよ!」(結構なレベルの数値でした)


患者さん 「・・・・・・・・・・・」


先生 「この数値を今後もず~と続けていったら、本当に、あなた、体に何かが起こりますよ!」「あ~こんな数値でも、、、そうか何も起こってないのか、、、」


患者さん 「・・・・・はい。大きな病状の変化はないんですが、、、、、」


(このやり取りは事実に基いたフィクションですので、ご了承ください)




このやり取りを聞いていて思い浮かんだ状況があります。


例えば

「収支のバランスが著しく悪いのに、親御さんや親戚が、子どもや子ども夫婦のタメに、なんとか毎月のマイナス収支を埋め合わせしているケース」


例えば

「貯金があまり増えない状況を一家で理解しているのに、面倒くさいので支出の見直しにあえて取り組まないケース」


などなど。


つまり

「家計の状態はマズイような気がするけど、まあ今のところ何とかなっているし、いいんじゃないの」

というケースなわけです。


そして、このようなケースの人が「何のきっかけもない」状態でしばらく生活をして、数年後、本当に困った時にご相談に来られたが、借金や滞納で二進も三進もいかなくなってしまっています、なんていう具合です。


生活困窮者支援の現場にいて、実際のケースから本人にヒアリングしていてよくあるのは


「数年前に生活が困りそうになるきっかけがあったのに、本人がそれに気付かない、または事の重大さを認識できていないので、知らない間に(こういう認識が多いのですが)、こんなに借金が増えてしまい、差し押さえをされて、さらに仕事も辞めてしまいました、どうすればいいでしょうか?」


みたいな流れなんです。


そんな話を聞くたびに、「この人はなぜもっと早く気付かないんだろう」とか「誰かが何かアドバイスをしてあげればよかったのに」と思うわけですが、よく考えてみると、このお医者さんの言葉が全てを物語っています。


「人はすぐ目の前に困難がやってこないと、自分が置かれている状況が正確に認識できないし、本人からSOSが発信されないと、誰かがその人に関わることもないから、結局は、何もできない状態になってから、はたと事の重大さに、気づく」


また、このお医者さんの言葉で印象的だったのは、


「あなたは、なんとしてもこの状況を変えたいと、真摯に考えたことがあるんですか?」


という本人への問いかけでした。


確かに、自分を変えるチャンスは十分にあったはずですが、変化を求めて行動すれば、あなたの家計はこんな風に将来よくなるという「気付き」は全くなかったわけでして、その「気付き」が得られない環境にこそ、このようなケースの問題点なのかもしれません。


その事実に気付いて、それを変える方法を考えて実践する事を最優先に取り組くめば、生活困窮者の問題の「ある部分」は改善される可能性があると思います。


そんな事を、病院でのやり取りを聞きながら考えていました。


ではまた、お会いしましょう!


ポチッといただくとありがたいです。



にほんブログ村









こんにちは、石川です。


暑さに打ちのめされそうな毎日ですが、今日はウキウキ気分を味わいましたのでご報告を。


今日、地元の香美市商工会発行のプレミアム香美ing商品券2015を受け取りに行きました。


そうです、いわゆる「プレミアム商品券」の一つです。


香美市バージョンは8,000円で10,000円の商品券と交換できるというものです。


世の中にはこれよりもいい条件のものもあるんでしょうが、私の住んでいる地域のためにも使用できるわけですから、もう十分ではないかと。



プレミアム1

こんな感じのものです。


香美市の場合、10,000円分の中に、特定の店舗で使用できない商品券が3,000円分の割合になっております。



プレミアム2


つまり、大手スーパーなどでは使用できないものということになりますが、香美市の場合、居酒屋さんでも商品券を使えますので、「スーパーの買い物で全部を使い切れないからいいや!」という感覚もどうなんだろうと感じます。


さっきまじまじと使えるお店一覧をみていましたが、コンビニなんかも入ってましたよ^^


ただ一つ気をつけたいのは、一枚が1,000円単位でお釣りがでないので、明確に1,000円ぐらいを使うつもりならばOKなんですが、

「何となく買い物を1000円に合わせるか」

みたいな感じで使うと、買いすぎを招いてしまうこともあるかなぁ、と。


だから一人暮らしの学生さんには使いづらいかもしれませんね。


何はともあれ、こういう機会に大きな買い物に使用して、かなりトクされる方もいますが(プレミアム商品券で大きな買い物して、ショップのポイントもつける、みたいなやりかたですね)、


「あ~なんとなくウキウキするな、商品券でトクしそうで」


という「気持ち」が広がる事で、お住まいの地域の経済活動が少しでも活気付き、気分よく毎日を暮らせたらいいな、と思います。


ぞれではまた、お会いしましょう。




こんにちは、石川です。


今日は「会社でのあなた」を哲学的に考えてみます。



あなたは社員50人くらいの会社の営業マンです。


あなたはこの暑いさなか、必死で飛び込みをして営業をしています。


なかなか売れない時はついつい愚痴も出ますが、今月はがんばって社内で2番目の成績でした。


あなたは、自分の力を誇らしく思いました。




これを読んであなたはどう思いましたか?


営業マンを自分に置き換えて「よし、がんばったね!」と嬉しくなったことでしょう。


では、少しここで見方を変えてみましょうか?




この人は「自分の力だけ」でこの成績を残したのでしょうか?どうですか?


朝、あなたが出社した時に、あなたに毎日挨拶をしてくれる受付の人


あなたが外回りに行っているときに、あなたあての電話を取ってくれて、メモを残してくれる事務の人


あなたが売り上げた契約の経理上の手続きをしてくれる人


そして、休み時間などにあなたにくだらない話をしてくる同僚


確かにあなたの力がないとこんな成績は残せなかったかもしれません。


ではあなた以外の人の力は全く不要であり、あなたには何の「恩恵」もなかったんでしょうか?





私は常に「人は他者とのかかわりの中で生きている」と私は考えています。


それは「生きること」は「不完全な自分というパズル」に、一つ一つピースをはめていく作業に似ていると思っているからです。


そしてそのピースは、他者とのかかわりの中でしか発見できないと思っています。


なぜならば「他者を寄せ付けないような自分」には、小さなピースを発見する心の余裕はない、と思うからです。


「他者を寄せ付けない自分」を私は「絶対的な(価値観に基く)自己」と呼んでいます。


その「絶対的な自己」だけで、自分自身を評価することは、結果的に、あなたが他者とのかかわりを排除することに繋がります。


その理由は上に述べた理由からです。


また、その「自己評価」を意識的にしている人もいれば、無意識的にしてしまっている人もいます。




人は不完全ゆえに、常にそういう「絶対的な自己」に傾くきらいがあります。


その方が楽だし、落ち着くからです。


しかし「その自己」はあなた以外の人からは受け入れられにくい特性がありますから、周りが見えなくなると、世間で言うところの「困った状態」になるのです。


そしてそれに気付かない場合もあるわけですが。。。
(ちなみにこれは私が「世捨て人化」していた20代前半に感じていたことですが、最近やっと文章化できるようになりました)




さて話をまとめましょう。


人は「どのようにして生きていっているか?」を私は「他者とのかかわりの中でのみ、生きている」と表現しました。


そして不完全な自己を実現することが「生きる」ことではないだろうか、と考えました。


そのたとえで、会社の例をだしました。


つまり「営業マンとして完全」であっても、その会社の中では他の従業員の人の支えがあり、それがあるからこそあなたは仕事が完了できる、ということでした。


つまり、他の従業員さんの心遣いこそが「ピース」の一片ではないか、という問いかけでしたね。


しかし、人は「自分だけが評価される」のが大好きですので(苦笑)、時々この原則を思い出すことを努力しないといけない、と思いますし、そうなってしまっていないかを無意識的に出来るようになれば、その人は「人生の達人」かもしれません。


生涯をかけてもその境地に立てないかもしれませんが、そういう意味では人生は常に修行であると思います、これはやや飛躍してますが(苦笑)




という哲学的なことを考えた台風一過でした。

ではまたお会いしましょう!