最近話題になっている発達障害について思うこと
発達障害についの話題を耳にすることが多くなりました。正直、症状についての理解がなく、本人の生きづらさにも、本人の気持ちにも理解が無いな……と思うことばかりです。寄り添う気がなく、話に上がるのは周囲の都合ばかり。そのくせ「支援に繋がった方がいい」などと片腹痛い内容ばかりです。変わった人はいない方が均一管理できて楽、ということでしょう。支援に繋がって得をするのは周りです。本人のことを考えない“支援”など実質の“処分”だと思いますけどね。AIと話していても、本人視点が抜け落ちた対処法しか出てこず、最終的に話をそらされる始末。・発達と認めたら生きやすくなる・支援に繋がると良いというのが今の世の中の限界のようで虚しくなりました。発達障害は本来無能やバカの代名詞ではありません。アインシュタインも発達障害だったと言われているのをご存知でしょうか?現在の日本の現状を考えれば才能の芽は摘まれてしまうでしょうが、本来は可能性を秘めたものなのです。「生きづらいギフテッド」と考えた方が本質に近づくかもしれせん。そんな才能ある人だった場合、頭の障害に分類され、社会から隔離された場所に閉じ込められて低賃金で単純作業をされられて喜ぶでしょうか?“あなたはおかしい人です“と手帳で証明されて、本当にホッとするでしょうか?何かがおかしいと思いませんか。もし、本当にホッとした人がいたとして、心底今の社会から心底離れたかっただけだと思います。……そりゃこんな社会なら嫌でしょうけど。発達障害の人だって、皆が思うよりはるかに状況を理解していると思うんです。(症状の差は人によりますし、正確も人それぞれなので感じ方は千差万別ですが。)それでも初めから役たたずの無能とレッテル貼られ、生涯社会から隔離されたいと願う人はいません。これは本当の意味で支援なのだろうか?最近は、発達障害を嫌いな人の代名詞で使ったり、馬鹿にしたい時に使ったりと、一昔前の「頭おかしいなら精神科行けば?」くらい的外れな悪口になっています。偏見がスゴすぎてもはや完全に差別です。的外れの支援とか、偏見撒き散らして「向き合ってます!」とかは良いので、まずは正しく理解して、対等に向き合えるようになって欲しいですね。すごく遠い未来でも、発達障害の当事者やグレーゾーンの人が、「なんで発達障害で生まれちゃったんだろう、一生の汚点だ😢」なんて思うことのない世の中が来たらいいんですけども。