それは一見、何もない全ページ白紙の本だった。
 しかし、各ページ鬼文字で何かが書かれてある。
 鬼文字が視えない人からすれば、何でこの本が図書館にあるのか不思議に思うだろう。
 視える人にしか視えない本。
 どうして日和がこれを見つけられたのかはすぐにわかった。
 本の外部にも鬼文字で装飾されていて、本全体が赤く発光しているからだ。
「日和、どんなことが書いてあるの?」
「……」
 好奇心いっぱいだった日和の顔が徐々に険しくなっていく。
 そう言えば、日和はページがめくりやすいように、少し人型に近付いた姿になっていた。
「何だろう……人類が滅ぶと予言されている年号と内容が書かれている……いっぱい」
「人類が滅ぶ……」
 日和が内容を現代訳して読み上げていく――


「1999年、恐怖の大王が空から降りてくる。
 2000年、新人類が誕生する。
 2002年、戦争が起き、キリストが復活。
 2006年、宇宙人が来襲……」


 日和が呼んだところは近年に関する記述だった。
 しかし、予言書に書かれていることは何一つ起こっていない。
 現に僕らは今、この本を手にしている。
「2012年12月23日。人類は、この星の生物は選ばれる。生き残る者と、消え去る者と。すべての者が一つになる。性も生も星も聖もすべてを超えて……」
「今年の内容?」
 滅びの予言が年代順に記述されている本。
 そんなに何回も滅ぶはずがない。
 どれも適当な言いがかりと思った。
 しかし、来年の部分だけ、何故か日付指定まで詳細に書かれているらしい。


「その先は?」
「ある。
 2017年、ハルマゲドンが起きる。
 2137年、最後の審判が訪れる。
 3797年、星の並びが入れ替わる。
 3936年、天使が舞い降りる……


 今年より先の予言もあった。
 しかし、奇妙なのはやはり今年。
 何故来年だけ、細かく記されているのか?
「……」
「……」
 僕らはこの本を見つめて黙りあった。
 本には作られた年代も作者名もなかった。
「この本、借りれるかな。ちゃんと読んでみたい。ミトオシサマにも聞いてみよう。アキ、この本は今はあたし達だけの秘密。ちゃんと読んでからみんなにも話そうと思う」
「……わかった」


 ミトオシサマの先見とも一致する。
 何とも言えない不安に駆られる。
 2012年12月23日に、一体何が起こるというのだ……?
 もしかしたら、僕らは、この本と出会っていなければ、何も知らずに滅びることができたのかもしれない。
 しかし、僕らはこの本を手にしてしまった。


 この里に入ってから二週間が過ぎた。
 当初の旅行計画では、今頃、尾天に戻っていた頃と思う。
 しかし、僕らは第二段階の修行がクリアできずにいた。
「ぜーんぜん、わかんないっ!」
 既に投げやりになりつつある日和は四足で僕の足元をトコトコ歩く。
「まぁまぁ、そう言わず、根気よくやろうよ。大学が始まるまでまだ半月はあるんだから」
「まあ、そうだけどー……」
 今まで使ったことのない感覚を得るのはかなり難しい。
 気功師だって、気を自在に操れるようになるまで数十年かかるっていう話だから、そんなに簡単に習得できるはずがないのだ。


 この二週間でこの里のことをいろいろ聞いた。
 まず僕にとって一番重要なのは、僕は男か女かということ。
 ミトオシサマに尋ねてみたところ、僕は元来の性はだという。
 この話が聞けて僕は安心した。
 今までの人生を捨てずに済んだのだ。
 この里での争いは滅多にないという。
 だから、ルールらしきものもほとんどない。
 唯一のオキテを除いては。


 不来方で唯一のルールと言っていいオキテとは、地上で人間と愛し合った場合、人間をこの里に呼び、二度と外には出してはならない』というものらしい。
 昔はこの里に入った人間も自由に出入りできたらしい。
 しかし、嫉妬深い人間達は何度も暴動を起こしたことで、このオキテが設定されたという。
 人外を愛した者は、それ相応の覚悟をしなければならないのだ。
 と言っても、そこまで残酷なことはない。
 選択する時間は十分に与えられる。
 どうしてもこの里の住人じゃダメという人だけ、親や友人と二度と会わないと別れを告げてここにくるのだ。
 だから、てっきり里には人間がいないものかと思っていたが、僕らも数人、ここで暮らしているという人達と

出会った。
 彼らは出稼ぎに行っていたこの里の住人と恋に落ち、それまでの人生をすべてここに来たと言う。
 それまでの人生をすべて捨てた彼らは二度と地上に帰ることはできない。
 しかし、覚悟を決めた故か、彼らは幸せそうだった。
 この里にやって来る人間の多くは男なのだという。
 出稼ぎに出ている女は当然ながら、人間に変身しているが、男はこの里の女の放つ怪しい魅力に取り付かれやすいという。


 しかし、愛し合う彼らに子を授かることはない。人間に変身して然るべき行為を行ったとしても、元々の種が異なるため、ダメなのだという。
 これは人間と不来方の住人間だけの話ではなく、不来方の住人同士でも言える。
 例えば、カッパはカッパ同士しか子を授かることはできない。カッパとハーピーではダメなのだ。
 また、鳥人であるハーピー同士であっても、種が異なれば子は生まれない。
 例えば、鷹のハーピーと鴨のハーピーは愛し合っても子供はできないのだ。
 しかし、それがわかっていても、不来方というコミューンの中では、異種恋愛はよくあることだという。
 同種じゃないと子を残せない。しかし、この里の者同士で子供を作っていくと、近親交配ということになってしまう。
 だから、ある一定の年齢に達したら、それぞれの種族はお見合い……もとい、婚活のようなものを始めるのだという。
 不来方のような人里隠れた人外の集落は日本にも、世界にもたくさんある。他の地域に出会いを求めに行くのだ。
 また、人間社会で出会うことも少なくはないという。
 お互い、人間に化けているものの、同種はなんとなく認知できるとのことだった。


「あ、あれかな?」
「うん、そうだね」
 僕は日和に付き合わされて、この里の図書館に向かうことになった。
 日和はこの里に纏わる昔の話などがあったら読みたいらしい。
 僕はいつも忘れそうになるが、日和はこれでもアマチュア作家なのだ。
 僕らは図書館に入った。
 図書館のシステムは僕らの住んでいる世界と変わらない。
 棚に本が分類され、陳列している。
「おー、ここの人もやっぱり紙に残すんだね」
「そうだね」
 日和が喜んで探索を始めたので、僕は僕でどんな本があるのかを見て回ることにした。
「へー、外国語の本もあるんだ」
 そう言えば、日本語の話せない住人にも出会ったこともあった。
 彼女はカナダからこちらに嫁いできたのだという。
 静かな時間が過ぎる。
 たまたまなのか、図書館を利用している人は、僕ら以外いなかった。


「あ、アキ! ちょっと、こっち来て!」
 日和が動揺したような声で僕を呼んだ。
「どうしたの?」
「これ……鬼文字で書かれている……」
「!」
 間違いなかった。
 真っ白な本に鬼文字が浮き出ている。
 日和と同じ能力者が他にもいたのだ。
 そう言えば、この鬼文字が視えるのは僕らやおよろずのメンバーだけだった。
 この里の住人には視えない、ミトオシサマでさえ……


霊界欠書』……どんな本なの?」
「古語で書かれているみたい。ちろっとしか読んでないけど……どうも予言書みたいなの」
「予言書……」
 僕らがこれを見つけたのは偶然なのか? いや、必然だったのかもしれない。
 僕らは恐る恐る、その内容に目を通し始める―― 


 終末論。世界の終わり。
 誰しもが一度は考えたことがあるこの世の終焉。
 終わるのは人なのか?
 人が終わるとはどういうことなのか?
 考え出すとキリが無い……
 しかしながら、間違っていることが一つある。
 この世界はきっと終わらない。
 例えば、ゴキブリは人類が滅びた後も生き残ると言われている。
 通常、世界の終わり=人類の全滅が当てはまるが、それは本当の意味での世界の終わりではないだろう。


 人が滅びた後も、何らかの生物がこの惑星で生き、進化、捕食、淘汰、繁栄を繰り返すのだろう。
 僕らがアレを見付けたのも、もしかしたら、何らかの因果が働いたのかもしれない。
 いや、逆に何の因果もなかったのかもしれない。
 僕らに遥か未来を予知するチカラはない。
 ただ、物凄い速さで過ぎてゆく『現在』という時を必死に掴もうともがくだけ。
 もし、僕たちの行先をすべて知っている者がいるとするなら、これが誰かの描かれた物語なのだとしたら、それこそ本当に、神なのだろう。
 すべては、気まぐれな神のみぞ知るこの世界――


 僕らは第二段階の修行を始めた。
 第二段階の修行は、空中に浮遊する幽霊を喰い、自らのチカラに変えることだった。
「お主らにはこれが何に視える?」
 コクヨウに聞かれた質問に、僕らは返答を返せなかった。
 僕らにソレはいつも視ていた。
 しかし、ただ視ているというそれだけだった。
 僕はソレはただ漂っているものだと思っていた。
 触れようとしても触れられない、ただソコにあるだけの存在。
 僕らは幽霊のことを何も知らない。
 そう、道端でいつも見ている植物の名を知らぬように。
「これは『』じゃ。密度の濃い気の塊。お主ら的にはエネルギーと言った方がわかりやすいかもしれぬかな」
 気。
 オーラ。
 視える人には視える、この世界を満たしているもの。
「気は体内に取り入れて、自分の力に使うことができる。羽を伸ばすためには、まず、気を自由自在に取り入れることができるようにならなければならない」
 コクヨウはそう言って、空中に浮遊している幽霊――もとい、気を手に取り、食べた。


「気の取り方は色々ある。念じるだけで体に取り入れることが可能な者もいれば、ワシのように食べる仕草で取り入れる者もいる。各自、自分のやりやすい取り込み方をすればいいのじゃが……最初は食べる仕草で試みるのがいいかもしれぬな。従来の外部からエネルギーを取得するやり方は既に体が覚えておるのでな」
 僕らは空中を浮遊する気を食べる練習を始めた。
 しかし、これがまた難しい。
 手に取ろうとして伸ばしても掴めず透けるし、口を近付けても食べた気にはならない。
「普通の掴もうとしてもダメじゃ。意識を幽世に向けて、あちら側から掴むのじゃ。幽世と言うのは……霊界、精神世界という感じかのう。物質を違う方向から作用させる感じなのじゃが……うむ。説明が難しいのお……」


 何となく意味はわかりそうなのだが、具体的な方法がよくわからなかった。
 この世界は一節によると、十三次元でできているという。
 僕らが知覚できるのはその中の数次元だけ。
 コクヨウは僕らの知覚できる次元を拡大せよと言っているのだ。
 僕らは中空を空振り、口をパクパクさせる。
 知らない人が見たら、パントマイムの練習と思われるかもしれない。
 第二段階の修行はそんな奇妙な光景だった。


「気は場所によって毛色が変わる。龍脈、霊脈と呼ばれる土地の持つ環境要素にも作用される。聖気、輝気、邪気、瘴気、妖気、覇気……人にとって良いものもあれば、悪いものもある。注意深く視ていれば、いずれ見分けることができるじゃろう。気は時に人に大きく作用する。また、人も……いや、人だけでなく生物は強い思念で気を環境に吐き出すこともできる」
 気分がいい時と悪い時がある。それはもしかしたら、周りの気に作用された結果かもしれない。
 コクヨウは語る。気の性質、使い方、存在意義……
 それらはどれも、僕らが今まで知らない幽霊についての知識だった。

 みんなで喜んで宿に帰り、昼食を取る。
 僕も久々に犬食いしなくてよかったので嬉しかった。
 みんなで話し合った結果、愛子、ハヤセ、シズ以外の性的露出部分の少ない者は服を脱ぐことにした。
 獣型である日和とハルは服を着れないためでもある。
 そして、この里の人々は初めから服を着ていない。
 自分達からそのスタイルに合わせるといった感じだ。
「いやー、なんていうか、まさかこんなワイルドな生活を送ることになるとはね、たはは」
 しかし、悪くも思っていないようだった。


 メンバー全員で里を探索する。
 フリータイムはいつも夜だったので、この里がどんな感じなのか、まだよく分かっていなかった。
 歩き回っていると、昔ながらの藁葺き屋根の家がたくさんあった。
 この里に住む人々はハーピー、カッパ、天狗以外にもいろいろな姿をしている人がいた。
 みんな、これまで妖怪とされ、伝えられている姿だった。
 中には初めて見る姿をした人もいた。


「なぁ、アキって妊娠するのかな?」
「どうなんだろ。レントゲン撮って、子宮持ってたらするんじゃない?」
「獣化に加えて性転換とか体のいろんなもの分泌してて、俺らより寿命短いんじゃね?」
「今まで変身できなかった反動もあるかもね」
 里を歩いている中、聞こえてくる僕の噂。
 妊娠フラグと死亡フラグは確定だった。
 僕は男として生まれてきたはず……しかし、体が望む最適な姿は女だった。
 これは結構ショックが大きい。
 最近は女の子連中が気兼ねなく触ってくるので、女の子耐性がだいぶできてきた。
 しかし、男連中とやや疎遠になりかけているので、危険な感じだった。
「どっちなんだろう……」
 最近の僕の悩みの種だった。
 男か女かハッキリさせたい。
 場合によっては今までの人生はすべて捨てる覚悟もしなければならない。
 僕は悶々としながら歩き回っていた。


「あれ、神社みたいなのがある」
 発見したのはユイだった。
「行ってみようよ」
 みんなで鳥居のある方に歩いていくことになった。
「うおー、いっぱいある」
 近付いてわかったことで、鳥居は何十……もしかしたら何百も建てられていた。
「こんだけあったら壮観だね」
 一つ一つ、鳥居をくぐっていく。
「あれ、何もない」
 鳥居を抜けた先は少し広い空間が広がっていた。
 寺も社も建てられていなかった。
 しかし、その代わりに、洞窟のような大きな穴が開いていた。
「あ、あれ……もしかして……」
 みんなで洞窟に近づくと、何かが洞窟の周りにいることに気が付いた。


「あれって……┌(┌^o^)┐?」
「確かに┌(┌^o^)┐に似てる」
「すげー┌(┌^o^)┐だ……」
 そう、洞窟の周りには┌(┌^o^)┐がいた。
 僕らが近付くにつれ、洞窟の周りにどこからともなく増えていく。
 まるで僕らが洞窟に近付くことを拒んでいるみたいに。
 それでも好奇心に駆られた僕らが歩みを続けると……
「ホモォ! ホモオオオオオォォォォ!」
 いかにもらしい鳴き声を上げて、こちらに猛スピードで突進してきた!
「うわあああああああああぁぁぁぁぁ!!!」
「ひいぃぃぃぃ!」
「こええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
 僕らは瞬時に来た道を戻る。
 あまりの速さに驚きと恐怖でみんな泣いていた。
「な、なに……あの┌(┌^o^)┐」
「こわいよー。もうあそこ行きたいくないよー」
 あれは明らかに人の意思をもっているような気がしなかった。
 動物?的な生き物だろうか。
 いろんな意味での大きなショックを受けて、僕らは鳥居を後にした。


「あんれ! みんなさ、姿変わったんね」
 宿に戻ろうと歩いていると、カッパの女の子に久々に会った。
 カッパの女の子は僕らとすぐにわかったらしい。
「ねえねえ、鳥居の向こうの洞窟の周りにいる┌(┌^o^)┐って何?」
 一番ショックを受けたらしい彩音が聞いた。
「┌(┌^o^)┐? ああ、腐神のことけぇ」
「腐神?」
「由来はわからんけんども、オラ達はむかしから腐神って呼んでるだ。あの洞窟は聖域だから、おめえらも入っ

ちゃなんねぇ。腐神はあの洞窟を守っているんだぁ」
「そうなんだ。ねぇ、あれって、人? 動物?」
「うーん、話はできねぇから、獣かなぁ」
 カッパの女の子もわからない様子だった。
「あ、そうそう、荷物見たけぇ?」
「そうそう、ありがとう。あれ、一人で持ってきたん?」
「んだ」
「すごい……」
「なんもさー」
 カッパの女の子はそう言うと、笑顔で歩いて行った。


 この里には不思議なものが溢れている……

 里の探索を終えて、宿に戻ると、ミトオシサマがいた。
 僕らを待っていたようだ。
「おお、お主らの本来望む姿になれたようじゃな」
 ミトオシサマは嬉しそうにシッポを振った。
「ここに居て、いろんなことを学ぶといい。何、お金はいらん。わらは自給自足が基本でな。お主らは――」
 その時、家がミシッと軋む音がした。
「えっ……」
 あまりにも唐突な出来事で、その場から動けなかった。
地震だ! しかもバリデカい!」
 今まで体験したことのない激しい揺れ。
 棚は倒れ、天井がミシミシ音を立てる。
 家が崩れそうな気配さえあった。
 僕らは逃げようにも揺れに惑わされて動けない。
 しかし、家は何とか壊れずに揺れは収まった。


「な、何今の……めちゃくちゃデカくなかった?」
「ビビった。今のはマジでビビった」
「阪神淡路大震災以来だ、こんなおっきな地震……」
「ミトオシサマはわかっていたんですか?」
 ミトオシサマは何でも見通す力がある。
 この地震も前もって知っていたのかもしれない。
神さんはいつも気まぐれじゃ
「えっ?」
「今の大きな地震はわも知らされておらん。前に話したと思うが、わは何でも予見できるわけではない。あると時、ふとある瞬間の未来が見えるだけ。結局、あまり役には立たん。神さんは気まぐれじゃ。ある時は人を救い、ある時は人を殺す。だから人は祈るのじゃ、その気まぐれを救いに向けてくれるように」
「……」
「今、世界が滅びに向かって変わり始めておる。大きな地震はこれからも起こるじゃろう。じゃが、ここにいる間は心配せんでええ。耐震対策はしっかりしておる。お主らは女将を手伝って、家の掃除をしておくれ」
「……」
 ミトオシサマ曰く、来年には僕らは滅ぶと言う。
 その実感は全く湧かない。
 ここにいる間に、その糸口は掴めるだろうか……? 


 日中はずっと修行場で鍛錬。
 夜はフリー。
 部活の合宿のような生活を、僕らは数日繰り返した。
「今日は合格もらえるかなー」
 修行はいつの間にか試験のような感覚になっていた。
「僕はそろそろ人の姿に戻りたい……」
「くすくす。そのままでもいいんじゃない?」
「よくないよ!」
 そう、タヌキに変身してから僕は人の姿に戻れないでいた。
 日和も不思議な鳴き声を使ってくれないし、このままずっとこの姿だったらと思うと……
 男子から襲われないようにとのことで、夜は女子部屋で寝ることが定着し始めている。
 これはいろいろ問題だ……


「おはようございます!」
「うむ。おはよう。それでは早速始めるぞ」
「はいっ!」
 全員でコクヨウに挨拶し、床に座って坐禅を組む。
「……」
 何も考えない。
 個を離れる。
 体の奥からじわりと温かくなってくる。
 ざわ……ざわ……
 体が外に向かって引っ張られる。
 体が大きくなっていく。
「すぅー……はぁー……すぅー……はぁー……」
 内蔵が、骨格が、筋肉が……体のありとあらゆるものが人に近付く。
「……」
 焦ってはいけない。焦ってはまた暗示にかかった状態に戻ってしまう。
 今、僕は今まで変身していなかった方の力、タヌキの遺伝子の方に支配されている。
 その支配を振り切り、人であるという暗示も振り切って、体を動かすのに最適な姿に。
 それが僕らの、命を最も効率的に使う方法……


「すぅー……はぁー……すぅー……はぁー……」
 熱が収まってきた。どうなったのだろうか?
「目を開けたまえ」
 コクヨウの声がした。
 いつもと違う言葉。成功……したのだろうか?
「ようやくじゃな。第一段階はクリアじゃ」
 いつも厳しい顔付きのコクヨウの表情がほのかに緩んだ。
「やった!」
「おぉ、これが」
「体が……軽い……」
 僕はやおよろずのメンバーの方を見た。


 まず日和。日和の姿は獣に近かった。獣人というよりもより獣らしいケモノ。フェネックの体型よりは二回り程大きくなっているが、人の膝までくらいの大きさだった。


 彩音は典型的な獣人の形態だった。これで本物の女豹が体現されてしまった。


 ツバキも獣人に近い形態だった。しかし、アルパカなだけに首は長く、体中がもこもこしている。ヒヅメは五本指に分かれていた。


 ハヤセも獣人に近い形態だった。アシカ肌でちょっとでっぷりしたように見える。手足はヒレ状だが、五本指は分かれている。


 愛子は人間時より一回り大きな獣人よりも人に近い形態だった。鼻が首のあたりまで伸びている。しかし、指は五本に分かれているので、物を掴むには不自由はしないだろう。


 シズはも人に近い形態だった。しかし、一番目線に困る。乳首は牛のように長いままで服の上からでもその突起具合がすぐにわかってしまう。しかも複乳。


 男性陣に目線を移すと、徹夫は映画に出てきそうなもさもさの狼男そのものだった。


 ユイは獣人形態。耳はピンと上方に向かって立っている。


 ハルは日和みたいに獣に近いタイプだった。通常のイタチの姿よりは二回り程大きい。


 そして僕は……
「うわぁ……♀だ」
「まじだ」
「女の子決定!!」
「え? え? どういうこと?」
 周りからの興味深々な視線。
 自分の体を見る。
 たゆん。
「こ、ここっ。これは……」
 俗に言うパイオツ?
「ななななんで?」
 二足で立てるところを見ると、少なくとも獣人並みの形態をしているらしい。
 獣形態は確かに♀だが、僕は男だぞ。男として生まれたんだ。
「はいはい、鏡~」
 どこから持ってきたのか、彩音が手鏡に僕の姿を映した。


「うっそぉ!」
 思わず変な声が出てしまった。
 しかし、その体型はどう見ても♀のタヌキ獣人。
「代表して確かめて進ぜよう」
「はひっ」
 彩音が僕の股間を触る。
 そして判定。
「♀」
「///////」
 僕はもう自分がよくわからなくなってきた。
「こほん。今日の修行はここまでじゃ。今日は各自、その姿に馴染むといい。明日からは次の段階の修行に移る

。それではまた明日」
「あ、ありがとうございました!」
 コクヨウが咳を払って去っていった。
 ここに来て初めての日中のフリータイムとなった。

 心は体を制御しているという。
 しかし、逆もまた然り。
 体が心を支配することもある。
 特に、獣化体質の人々には体が心を支配している割合が多い。
 体が獣の姿をとれば、攻撃的になる。
 これは体に心が支配されている証拠だ。
「はう……」
 じんわりと熱が広がる。
 僕の体がそれに合わせて大きくなってゆく。
 目を瞑っているので、具体的にどこがどう変化しているのかはわからない。
 しかし、獣の姿が最適な僕の体が求める姿ではないことは何となくわかった。


「……」
 他の人がどうなっているのかは気にしてはいけない。
 すべて流れに身を任せる……
 しかし、すぐに熱は覚めてきた。
 僕は最適な姿になれたのだろうか?
「そこまでじゃ。昼飯にしよう。目を開くがよい」
 コクヨウが言った。
 僕はゆっくり目蓋を上げる。
 数時間ぶりに色のある景色が映る。
 たった数時間なのに、色のある景色が懐かしいように思えた。
「やはり、通常よりお主らは時間がかかりそうじゃな」
 コクヨウが少し困った顔をした。
 周りを見渡してみた。
 しかし、誰も姿は変わっていなかった。


 昼食はまた宿に帰って取ることになった。
 それで、昼食後はまた修行。
 どうも、僕らは羽が伸ばせるまで、宿屋と修行場を往復する日々になりそうだった。
 宿に帰ると、昨日、カッパの女の子が持ってきてくれると言っていた僕らのスーツケースが入口に置かれていた。
 十人分も本当に持ってきた……
 すごい怪力……というか、重力を軽減できるとか言っていたような。
 不来方には他にも超能力めいた力を使える人?が多いのだろうか。
 それはそれで興味深い。


 昼食。
 畑は家の外で見たが、肉はどうやって調達しているのだろうと思った。
 光があるから野菜は育てることができるとしても、ここは地下世界。
 動物は地上から連れて来るしかなさそうだが?
 まだまだ不来方にはわからないことがたくさんあった。
 昼食後、僕らは再び、修行場に出かけることにした。

 ミトオシサマも言っていた。
 体の負担を最小限にする体の望む姿。
「お主らは今、人の姿をしておる。しかし、それは本来の望まれる姿ではなく、強制的に、自分は人の姿だという暗示にかかっている状態。まずはその暗示を解こう。お主ら、一列に並んで坐禅を組むのじゃ」
 本格的な修行が始まる雰囲気がした。
 僕らはコクヨウの指示に従い、一列に並んで、坐禅を組んだ。
 しかし、僕はタヌキ姿のまま。坐禅を組むことはできない。
「あの、僕は……」
「獣姿でも同じじゃ。坐禅は組めずとも、集中できる体勢になるがよい」
 ということで、とりあえず、お座りをすることに。


「よし。それではこれより修行を始める。坐禅を組んだ者は、何も考えるな。頭の中を空にして、自然に身を任せるのじゃ」
 そして、修行が始まった。
 何も考えないということは簡単そうで結構難しい。
 すぐにあれこれ考えてしまう。暇だと考えてしまうのは、雑念が多い証拠かもしれない。
「ここは人の世ではない。変化し始めても自由にさせておくことができる。人の姿に囚われるな」
 カツカツカツとコクヨウが僕らの周りをぐるぐる回る。
 この音が気になるようではダメなのだ。
 静かな時間が過ぎる。
 みんなはもう最適な姿になれただろうか?
 いや、そう思うことじたうが邪念。
 他人は他人。自分は自分。
 他人は自分ではない。
 ここではそういう境界を引かなければならない。


 一時間は経過しただろうか。
 時間の感覚もわからない。
 現実世界における視覚的情報は相当重要なものだと改めて理解できる。
 残るは聴覚と嗅覚。
 木の匂いと軋む音。
 それ以外は何もしない。
 ただひたすらぼんやりと。
 未だかつて、これほど何も考えたことがないくらいに何も考えないよう努力する時間が過ぎる。
 背中とかを叩かれるのだろうかと思っていたが、その気配は全くなかった。
 コクヨウは何を見ているかわからないが、ただひたすら歩くのみ。


「ん……」
 どれほどの時間が経ったのかはわからないが、ほのかに体が熱を帯びてきた。
 昨日の今日ではあるが、この体熱を知っている。
 体が変化し始めているのだ。
 しかし、これは沸騰するような急激な熱さではない。
 じわじわ、ぽかぽか。
 染み渡るように体の内部から熱が広がっていく。
 そういう感覚。
 すると、熱とともに体が外側に向かって引っ張られている感覚がしてきた。
 少しむず痒い。
 しかし、気にしてはならない。
 外見を気にしてはならない。
 どう変化しているのかは気にしてはならない。
 なるがまま。心ではなく、体の望む姿に……

 厳かな雰囲気がある。
 空気が凍てついている。
 僕らは何故か怒られた後のような気持ちになって、中に入っていった。
「お主らか、外から来た者は」
「は、はい……」
 目をゆっくり開いた天狗が僕らを見定めるように視線を回した。
「座れ。ミトオシサマからお主らの羽の生やし方を教えるよう命ぜられておる。ワシはコクヨウ。よろしくな」
「よ、よろしくお願いいたします!」
 僕らは何故か正座して、ピシッと言った。
 最も今の僕はお座りしかできなけれど……


「ふむ。お主らはまだ一度も羽を開いたことがないと見えうるな」
 難しい顔の天狗がさらに難しい顔をした。
「お主らはいくつじゃ?」
 コクヨウの問いかけに、僕らはそれぞれ二十前後ということを答えた。
「その年まで羽を開いたことがないとすると、少々難儀かもしれんが……まだ、獣姿になりたての者もいるようじゃし。

まぁ仕方ないのお。人世に迷い込んだ人ならざる者なら」
 やおよろずのメンバーの中では僕が一番遅れているようだった。
「お主らの名を教えてもらおう」
 僕らはそれぞれフルネームを教えた。
「よかろう、それでは修行に入る」
「!」


 そんな話は聞いていなかったが、この空気は変えられそうもない。
 コクヨウに纏う空気は常に厳冷だった。
「まず、お主らはこれが視えておるか?」
 コクヨウはそう言って、空中を漂う幽霊を指差した。
 全員、こくこくと頷く。
「なるほど。初期の初期は問題なさそうじゃの」
 修行と幽霊はどうも関係があるらしい。
「それでは、これを取り込んだことはあるか?」
「取り込む?」
 コクヨウはあろうことか、幽霊を手に取り、口を開け、一飲みした。
「え? それ食べれるの?」
 日和が思わず、拍子抜けた声を出す。
「食べるのではない。体内に取り込むのじゃ」
 幽霊は透けるはず。僕は今まで何度か触ろうとしたことがあったが、無理だった。どうやって手に持てたのだろうか?
「そうか、お主らにはまだこれは早そうじゃな。それでは……まず、最適な姿になってもらおうか」

「ふあああ~おはよ……」
「……」
 朝一、眠れなかった僕は日和の腕に抱えられて朝食の場に姿を現すハメになった。
 僕は完全にぬいぐるみ……もしくはペット扱いである。
 朝食はすでに用意されていた。
 旅館でよく出してくれそうな純和風。
 昨日の夕食のことを考えると、朝食も味が期待できる。
「あの……人に戻るのってどうしたらいいの?」
「へ?」
 床に下ろされた僕は、すぐに日和に聞いた。
 そう、タヌキに変身したはいいものの、人への戻り方が自分ではよくわからない。
「うーん、あたしが戻してあげてもいいけど……それじゃ身に付かないから、アキ自身でがんばってみて。えっとね、大事なのはイメージ。人間の姿の自分をイメージするの」
「わ、わかった」


 僕はイメージした。
 しかし、今まで鏡で自分の姿なんてよーく意識して見た覚えはなく、明確なイメージが難しかった。
「ん……」
 頭が少しムズムズするなぁと感じたら、頭部の毛が伸び、色が変わっているようだった。
「戻れない……」
 僕は何度も自分をイメージしたが、髪の変化以外、人に近付くことはできなかった。
「うー、食べにくい……お箸持ちたい……」
 結局、朝食時には人の姿に戻ることはできず、ユイや徹夫に料理の乗ったお皿を床に置いてもらい、犬食いする羽目になった。
 食べにくい。そして、ちょっと恥ずかしい。
 自分が実際にその立場になったことでよくわかる。
 これからはペットに優しくできそうな気がした。


 朝食後、カッパの勘太郎が呼び出しに来たので、みんなで集まって、指示に従った。
「あれ、タヌキがおる」
「ああ、これ? 昨日、初めて変身した子がいてね。でもまだうまく変身を調節できないの」
「おめぇ……男じゃなかったけぇ?」
「……」
ブハハハハハ! 女になっとおや! おっかしいのー! ひゃひゃひゃひゃ!」
 勘太郎に思いっきり馬鹿にされた。
 さすがの僕も少しイラっとくる。
 僕はユイに抱きかかえられたまま、勘太郎が先導する建物に入った。


 気のせいかもしれないが、タヌキになってから、いろんな人との距離が近い。
 主に抱きかかえられる系なのだが……ペットが人よりも距離が近くなることがあるのかなとか、思ってみたり。
「さぁ、着いたべ。キシシシ。まぁ、がんばんな」
 勘太郎が怪しげな笑みを浮かべて去っていく。
 あまりいい感じを抱かず、中に入っていくと、目を瞑っているあれは――
「て、天狗だ……」
 長く伸びた鼻。山伏の服装。背中には黒い翼。まさに、絵に書いたような天狗がそこにいた。


「……僕、もうお婿に行けない……」
 僕は今、日和の抱き枕と化している。
 ぎゅっ。
「ぎゃあああぁぁぁ」
 締め付けられる体。女の子に抱きかかえられるのは、本来ならば、嬉しいはずなのだが、このサイズの体でそれをやられると、違う世界に旅立ってしまいそうになる。
「く、苦しい……」
 日和の腕の中でもがく僕。
 しかし、日和は深く寝ているので、気づかない。
 日和に抱き癖があるのは知らなかった。


 ぎゅっ。
「おわあああああ」
 体がミシミシと音を立てて……いる気がする。
 あれだ、巨人に体を掴まれているような、あの感じ。
「むにゃむにゃ」
「!」
 むにゃむにゃって言った! 寝言でむにゃむにゃって言う人、本当にいるんだな……
 そう思っていると、少し拘束が楽になった。
 この隙に日和から逃げ出そうとすると……


 ぎゅっ。
「にぎゃあああぁぁぁ」
 強く抱きしめられる。
 常に顔はおっぱいに当たっているのだが、柔らかいというよりも以外に弾力があって固い……
 痛くはないが、グイグイ抱きしめられると、谷間で空気を確保するしかない。
 胸を押し付けられて死んだ人もいるくらいだし、おっぱいは本当に殺人道具になるのかもしれない……


 僕が今、どうしてこんな状況になっているのか、簡単に説明しよう。
 日和に女の子部屋に連れて行かれた後、僕は何かもかもすべてを曝け出すことになってしまった、主に、体の方で……
 意味の取り合いによっては獣八禁になってしまうので、詳しくは語れないが……
 本当に女なのか全身を触診されたり……人⇔獣のどの段階で男から女に変わるのか、日和の不思議な鳴き声で強制変身させられたり戻されたり……愚痴をバッサバッサ言うガールズトークについていけなかったり、つまり、女の子怖い……
 そうして眠くなった女の子連中はそれぞれ、布団を敷いて寝に入ったのだが、日和が抱き枕してほしいと言うので、渋々了承した結果が今の状況なのである。


「に、逃げ出せない」
 日和のぎゅっぎゅは結構インパクトが強い。
 僕もさすがに眠たくなるので、寝ようとしたら、日和のぎゅっで起こされる。
 しかし、そのぎゅっも完全には落ない程度の強さなのでタチが悪い。
 そして、僕は、結局眠れないまま、日和が起きるまで抱き枕の役割を果たすことになった……