ネットカフェからの謎めいた通報を受け、ベテラン刑事はネットカフェにやって来た。刑事は現場に着いた瞬間、場の空気が凍て付いていることをすぐに感じ取った。
「何やら胸騒ぎがするぜ」
 困難な事件の予感がした。


「店長、警察だ」
 カウンターで警察証を見せると、店長はすぐに現場に案内してくれた。
 ネットカフェ利用客が奇異の目でこちらを見て来る。何か大きな事件があったことは間違いないらしい。
「こちらでございます……」


 個室に案内された。この中で事件が起きた。悲惨なモノを目にする覚悟で個室の扉を開ける――


「……。う、うわああぁぁぁっ!」
 ソレを見た時、一瞬、何がどうなっているのか理解できなかった。一瞬反応が遅れて驚いてしまった。これまで数々のホトケさんを見てきたが、今回のソレは今まで見てきたどれにも属さない、最も奇妙なものだった。
「ブヒぃ……フゴォッ、ダ、だずげで……」
「生きて……いる……のか……」
 刑事が見たソレは一言で言うと、グロいとしか言いようが無かった。
 個室に転がっていたのは、ヒトとブタとを中途半端に混ぜ合わしたような何かだった……



「今川優奈。二十三歳、フリーター。ネットカフェにチェックインした時は何の変哲もない普通の人間だったが、『ケモノになりたいスレ』の掲示板を閲覧中に事件が発生。顔は一部を除いてブタ化。右手、尻、左足などもブタ化。言葉は話せるが、時々ブタの鳴き声が混じる。X線でレントゲンを撮ったところ、ブタ化しているところの骨は人間のものではなく、内臓の一部もブタと化していることが判明。これまでで最も奇異な事件……か」


 ベテラン刑事はあの身の毛もよだつ様な姿をした女の調査結果の報告書に目を通した。あの後、あのままネットカフェに置いておくにもいかず、シーツを被せて、署までアレ……いや、彼女を匿ったのだった。
 人間かブタかもよくわからない状態であったが、幸いにも生体チップがあったので、そこから個人情報を取得でき、身元が判明した。
「……」
 一体、何がどうして体の一部がブタになるのか? 最初に目にした時はまさにホラー映画を見ているかのような強烈な印象を受けた。


「夢にまで出てくるとは、もう、散々だった」
 一番奇妙なことは、あの状態で生きているということ。かなり不自由そうだが、今もブタ化していない方の体のパーツを使って、人間生活を送れているが……ブタ化している部分が治らない限りは外に出ることはできないだろう。


「あれがまた女ってのが不幸だよな……綺麗な姉ちゃんだったのに」
 事件が起こる前の彼女の写真を見た。ドラマの女優でもいけるんじゃないかっていうくらい美人だったが、事件が起きてから、とても醜い姿になってしまった。
「おっと、醜いって言っては失礼だな。それにしても……」
 一体、何があったのか? 


 人間が動物化する事件なんて聞いたことが無い。映画やドラマの中での話ならまだ納得できるが、アレは現実で起きている。
「そう言えば、被害者は掲示板で少女の声がしたって言っていたな」
 掲示板の制作者にも問い合わせたが、そのような仕様は一切していないとのことだった。
 奇妙キテレツ摩訶不思議。調査したところによると、人間と動物の遺伝子を掛け合わせる研究を行っているグループがあるそうだが、それと関係あるのだろうか?


「ちょっとちょっと」
 刑事が考えに耽っていると、同僚が手招きしてきた。
「あの変な事件。どうも上から圧力がかかっているみたい」
「と言うと?」
「これ以上の捜索は禁止らしい」
「またどうして?」
「わからない。でも禁止令が出るってことで考えられるってことは」
 上が絡む事件だということか。
「ヤバイ事件に首を突っ込んでしまったかもしれないな……」
「ああ、お前も今回は素直に手を引いた方がいいかもな。被害者は上が指定した特殊な病院に入れられたって言うし」


 禁止と言われれば真相を暴きたくなるのが刑事の性格。下剋上上等。夢にまで出てくるくらいだ。このまま大人しくしていられる訳ない。
 刑事はこの奇妙な事件を暴くために動き出した。

 〝獣化〟という言葉は人が獣になる現象を主に指す。〝擬獣化〟という言葉は非生物も含めて獣形態に変化することを指す。では逆は?


 例えばイヌ→ネコ、ネコ→ヒト。前者の場合、〝獣獣化〟とでも言うべきか。また後者は〝人化〟とも言うべきか。


 多くの物語は〝ヒト〟を基準に構成されている。語られる物語の中で、悪魔も神も妖怪もヒトの姿をとることが多い。しかし、彼らは本当にヒトの姿をとる必要性があるのだろうか?


 そこが一つの盲点。恐らく、彼らは実在するとすれば、ヒトの姿をとる必要は無い。ヒトの姿をとる必要性は、逆説的にヒトがつくり出したものに過ぎないから。要するに自分(ヒト)に合わされている。


 しかし、ヒトによって脅威にも救済にもなる聖魔物は確かにこのセカイに存在することを認知する必要はあるだろう。


 このセカイは一つ。しかし、一つはムゲンにも等しい複雑な因果の糸で構成されている。貴方が今これを読んでいるのも、私がここでこうして書いているのも、人智を超えたスケールで巨視的に視れば、何者かが描いたシナリオの一部かもしれない。


 心は体の成長に反して狭くなっていく。しかし、体が衰え始めると心は広くなっていく。


 覚えておいて欲しい。時には巨視的に考えることも必要であるということを。
 話が逸れてきてしまった。それでは話を戻そう。


 キーワードは、このセカイはヒトだけがすべてではないということだ。変化する要因もヒトだけに非ず、あらゆる物事に通じている。


〝人獣変化〟


 これはまた妖怪の名だったか――

『――続きまして、緊急速報です。昨年、人々に甚大な被害を与えた、生体チップを介して人体に影響を与えるコンピューターウィルス――通称〝モフモフ〟を製作したと見られるドイツの16歳の少年の身柄を、ドイツ警察が確保したとのことです。警察は少年の所持していた電子機器をすべて徴収。現在、中身を調べているとのことです――』


 今日はウキウキ気分なのです。テレビの速報も見えているようで見えていません。今は庄助様のことで頭がいっぱいなのです。
「んふふ♪ んふふ♪ 今日は瑞穂様がご友人様と旅行に出かけられています! これは私がしょーすけ様を魅了して、お嫁さんして頂く絶好のチャンスなのですっ!! なのです!」
「おい、タヌキ。瑞穂が出かけているから、俺もどっかダチんとこ行ってくるわ。留守番頼む」
「え……ふええぇぇぇ!? そんなー! そんなのあんまりですよ、びえぇぇぇー!」
「お、おいこらヤメロ! そんな大声で泣くな。隣に聞こえるだろ」
「びええぇぇー! だって、せっかく瑞穂様がいなくて、しょーすけ様と一緒にあまーい一夜を過ごせるチャンスだと思ったのに……びええぇぇー!
「遠慮無く自分の欲望丸出しだな……これだからケモノは……」


 ピンポーン ピンポーン ピンポンピンポンピンポン


「ゲッ! やべぇ、この押し方は隣のおばちゃんに違いない。また女の子泣かせたって説教される。おばちゃんの説教長いんだよー、つか、こいつはそもそも人間じゃないけど、その、説明が難しい……つか、おい、タヌキ、泣くのをヤメロ!!」
びええぇぇー……泣きやんだら、くすん、しょーすけ様、一緒にあまーい一夜を過ごして頂けますか?」
「あまーい一夜は置いといて、わかった、わかった。家にいてやるから、とにかく泣き止め。お前が泣きやむことが俺にとっての幸せだ」
「はぅ!? 私が泣き止むことでしょーすけ様を幸せにできるのですか! それなら今すぐにでも泣き止みます」
 私はすぐに泣き止みました。


「全く、このタヌキは疲れる……」
「何か仰いましたか?」
「何もねーよ。それじゃあ、夕飯作ってくれ」
「はあぁぅぅ! まさかのしょーすけ様からのリクエスト!」
「いや、飯作るの、お前しかいないから」
「腕に海苔を掛けてお料理致しますよ!」
「おい、何か言ってることおかしいぞ……あ、おばちゃん帰ったようだな、あっぶねぇー、もう少しで突入してくるところだった……」
「おい、タヌキ。何が作れるだっけ?」
リサとお呼び下さい。」


「いや、タヌ――「リサとお呼び下さい」
「……わ、わかったよ。リサ、お前は何の料理が作れたのかって」
「はわわ……しょーすけ様が私をついにリサと呼んで下さいました……」
 嬉しくて涙がちょちょぎれそうです。


「いや、お前が呼べって言うから……」
「しょーすけ様はその……裸エプロンにきょにゅーの子が好きなんですよね?」
「バッ! お前、イキナリ何言っ……っておいおいおいおい! 胸が……ちょっ、おい、また膨らませて……あー、それ以上膨らませると服が破れるって、おいやめろおぉぉぉー!
「エプロン着て……リサ、脱いじゃいます☆」
「もうヤダ、このタヌキ、誰か助けてくれえぇぇぇぇー!」
 そんなこと言っちゃって、ちゃんと見るとこ見てるんだから、もう、庄助様の助平! かわいい、うふふ♪

 すべては繰り返す。

 生命の営みも、時間の流れも、地形の移動も。


 そして飽きる。
 何事も刺激的に感じるのは最初だけ。


 変化を望む。
 お金持ちに生まれたらなら庶民を、庶民に生まれたならお金持ちを。


 貴方は気付いていない。
 いや、本当は気付いている。


 同じように感じる毎日は、二度と還らぬ時であることに。
 同じように感じる毎日は、変化に富んだ可能性を秘めていることに。
 同じように感じる毎日は、全く繰り返していないことに。


 日常に飽きたフリをして、変化を望むフリをして、今の状況に安堵している。


 境界はいつも目の前にある。
 しかし、境界の向こう側は視えないから怖い。


 本当に変化を望むなら、その境界はいつでも貴方を待っているというのに――

――駐在所にやって来た血塗れの男の事件。


――めえとナナミを襲った中国の少年。


――虹幻世界の謎の幼女。


――憑きモノの一族と過ごすキャンパスライフ。


――アニマル喫茶でのバイト。


 事実は一つ。しかし、その事実にはムゲンに等しい因果が絡み合って成立している。一見、関連性の無い各々の出来事は妙に複雑に絡み合っている。〝変身〟というキーワードを軸にして、この物語の歯車は今、再びゆっくりと回り始めた。
 期して、して、喜して、臨めよ。


 変身を望む人々よ、その禁断の扉を開こうじゃないか――

うわぁっ! あんなマズイものを一気に!!」
 レイラが驚いて大きな声を挙げた。カリンはマズイマズイと聞いているので、動物変身薬のドリンクタイプはまだ飲んだことがない。
「うぅ……マズイよぅ……でも、注射嫌いなんですよねー……」
 ももがそう、苦い顔をしながら笑った。
「注射の方が一瞬痛いだけで済むのに……」
 レイラは同情を投げ掛けるように呟いた。


「えへへ……んくっ!
 動物変身薬を飲んだももの体がビクッと大きく震えた。
「はぁ……はぁ……あうぅっ!?
 ももの変身が始まったのだ。レイラとカリンはももが何の動物変身薬を飲んだのかはわからなかった。
 ももはハァハァと息を荒げ始め、ビクビクっと電撃を浴びたかのように体を仰け反らす。国民的美少女が獣化。しかも目の前で。着替えを終えたカリン達であったが、アイドルがいかにして動物に変身していくのかは興味が合った。


あぐぅっっ……はぁ……はぁ……」
 ももは苦しそうに顔を顰め、小さく開いた口からツーっと涎が垂れた。着ているTシャツの中で何かが膨らんでいく。獣毛が生えているのだろう。耳の先端が尖り始めた。
 ももはまるで体を何か別のモノに弄ばされているかのようにビクつく。見ていると、スカートが盛り上がって、中から肌色の棒状の塊が見えてきた。
「あぁぁん……はぁっ、はぁっ……」
 スカートから肉しっぽが出てきた瞬間、ももの甘い吐息が漏れた。その声は同性が聞いていてもドキドキするほど何とも妖艶なものだった。
 露出している肌から黄金色の毛が生えてくる。植物の成長を早送りして見ているみたいに、茫然と見ているうちにドンドン獣毛が伸びてくる。


「……」
 カリンは夢中になって言葉が出ない。レイラも視線が引き込まれて同じ心境に陥っていた。
「はぁはぁ……はうぅぅ! あうっ! ああぁんっ! や、やぁ、あん!!
 太ももが大きくなり、踵が上へ上へと伸びてゆく。穿いている靴下がこれでもかというくらい引っ張られていく。手の爪が伸び、ヒトの手より太くなっていた。耳はすっかり縦長になり、小さな産毛がところどころに生えている。吐息を漏らす口には牙が突出し、鼻先が前で突き出ていた。
「はぁ……あぐっ! あ、出るっ……出る出る出る出ちゃううぅぅぅー!!!
 大声で喘いだもも。その変化はお尻に生じていた。肌色の肉しっぽからもさもさと獣毛が伸び、また、しっぽ自体も急速に伸びて、スカートが完全にめくり上がる。スカートがめくり上がったことで、半分脱ぎかけのパンツが露わになった。ももの穿いていたスカートは水色と白の縞模様のパンツだった。しかし、下半身にもう人肌はなく、獣毛で隠れていた。


「ハァハァハァ……ああぁ……もう、無理ぃ……足が……曲っ……痛ッ……うくぅ……」
 ももの足が逆に曲がる。苦痛に顔を歪めるもも。鼻先は黒ずみ、顔には所々に獣毛が生えている。マズルが少し伸び、耳は髪を掻きわけて頭の上部へと徐々に移動している。半泣き状態になったももは前のめりに倒れるように両手を床に着いた。床に着いたその手は内側が盛り上がり、肉球が形成されているようだった。手は指が太くなると同時に手のひらの面積が小さくなり、手首が上方に伸びて、足で言う、踵が伸びた状態の――前足と化した。全身はすでに獣毛で覆われているが、服はまだ脱げていない。体格もヒトの大きさだが、もう二足で立ち上がることは難しそうだった。


「はぁ……キュー……はきゅぅー……あぁぁんっ! きゅん! ハァ……きゅーん!」
 喘ぐ声に動物の鳴き声が混じる。Tシャツが前のめりになったことで見えにくいが、腹部に複数乳房が形成されているのが見てとれた。
「キツネ……」
 ここまでくればもう何の動物に変身しているのかは容易に判断が付く。そう、ももはキツネに変身しているのだ。


「キュウゥゥンッ! ハァハァはきゅん! あんっ! あああぁぁぁきゅうぅぅあああ!」
 突き出たマズルの周辺からヒゲが伸びた。ヒトの大きさのままキツネ化したももが大声で鳴く。Tシャツもスカートもパンツもここまでくれば獣毛が逆に邪魔して自然に脱げそうにない。しかし、靴下だけは後ろ足の爪が伸びた際にビリビリに破けてしまい、靴下から爪が見えている。体の震えに呼応するかのように、もっさりしたしっぽが感情表現する。ピンと張ったかと思うと上下左右に動き、めくられたスカートが激しく揺れる。耳は頭の頂点に位置し、髪の毛の間から生えているような感じになった。しかし、髪の毛も徐々に獣毛と同じ色に変わりながら短くなっていく。
「きゃうん! きゃぁぁうん! きゃうぁああぁっ!」
 聞き方によってはコンコン鳴いてるようにも聞こえる。もう何を言っているかわからない。大きな獣と化したもも。衣服は獣毛であちこちが盛り上がり、悲鳴を上げようとしていたが、ここで体が小さくなり始めた。ももが四つん這いのままふんばっていると、するりとまず、パンツが脱げた。さらに体が小さくなると、腰にあったスカートが胸のあたりまで覆うようになり、Tシャツは頭から被って上半身が見えなくなった。しかし、スカートの方に向かって、ブラジャーが滑り落ちて行くのは垣間見えた。靴下はすっかり伸びてしまい、体が縮むに従って、後ろ足を隠すようになった。
「きゅぅぅぅーん……ハッハッハッハッ」
 すっかりキツネと化したももは自分の着ていた服の中に埋もれ、横に倒れた。


「……」
 ももがキツネに変身していく過程は、すごい惹き付けられ、あのカリンでさえ、カメラで撮影することを忘れるほどだった。
「キュー、キュン!(あー、疲れた!)」
 ももがもぞもぞと脱げた服の中からぴょこっと顔を出す。服の中から顔を出すキツネ姿のももはものすごく可愛かった。
「うわああぁぁぁぁ! かわいいいいいいぃぃぃ!」
 堰を切ったようにカリンが大萌え声を出す。


 ももはひょこひょこと四足歩行で脱げた服から這い出て来ると、いそいそと脱げた服を口で銜えて、ロッカーの方に持っていく。変身前か変身後かは自由だが、脱いだ服は開いているロッカーに入れるのが常識。キツネが服を銜えてロッカーまで運ぶ様子も可愛らしい。少し重そうだったが、カバンもロッカーに入れたももは掛けていたサングラスを口に銜えて、カリン達の前にやって来た。
「「?」」
 どうしたのだろうとカリンとレイラは思わず顔を見合わせた。
 すると、ももキツネはサングラスを床に置き、顔を下げ、前足で鼻先に乗っけようと奮闘し始めた。
「これは……可愛いすぎるやろ!!!」
「ももちゃん、さすがアイドルやわ!!」
 本物のキツネがサングラスで遊んでいるかのように振舞うもも。演技力もさることながら、サービス精神もバッチリだ。


 ピンポンパンポン。
『キツネご希望のお客様が参られました。キツネ担当のケモッ娘はA-2の飼育籠に入っていて下さい』
 ピンポンパンポン。


 キツネに変身したももとそれを見て萌えていたカリンとレイラのいる部屋にコノハの声が入った。
 放送を聞いたももはペロッとおちゃめに舌を出し、サングラスを自分のロッカーに口に銜えて入れた後、もう一度カリン達の方を振り返り、お座りしてウインクした後、お尻ふりふり尻尾を揺らして、小動物用のゲートから接客室の方に四つ足で悠々と歩いて行った。
「やっっっっつばい! レイラちゃん、ももちゃん、やっっばいなぁ、なぁ!」
 カリンは興奮し過ぎて鼻血を出していた。
「あはは、カリンちゃん、興奮し過ぎ。はい、ティッシュ。でもあれはやばいなぁ。同性のわたしらから見ても可愛かったなぁ。あれが国民的アイドルか……」
 カリンとレイラは休憩室に戻るのも忘れて、更衣室でもものキツネシークエンスについて語り合った。

「いらっしゃいませー! アニマル喫茶にようこそ! お客様はご予約をされている方でしょうか?」
 バイト時間が始まった。コノハはアニマル喫茶のメイドっぽい衣装を着て接客する。
「はい、予約の八木です」
「八木様、八木様……あ、はい。トラの予約をされていた方ですね。ありがとうございます。それでは、私が案内しますので、奥の部屋にどうぞ」


 ウェイトレスはコノハの他にもたくさんいる。恐らく、普通の喫茶店よりウェイトレスの数は多いだろう。イヌ、ネコなどの一般的に飼われている動物は表の喫茶コーナーで自由に触れ合ってもらっているのだが、猛獣類となると、他のお客さんに危害を与える恐れがあるので(建前上)、各個室を用意している。


 予約していた八木氏はカップルだった。ネットサーフィンで偶然ここを発見し、半信半疑だが、猛獣に触れ合ってみたいと思い、予約を入れたのだとか。
コノハが案内する後を、八木カップルがお互いに心境を語りながら付いて来る。


「それではこちらの部屋になります。トラは肉食動物ですが、私達の飼育しているトラは人を襲わないように調教しております。ですので、安心して触れ合って下さい。しかし、トラが嫌がる過剰な触れ合いはご遠慮くださいね。私が監視員として責任持ってお客様と動物との触れ合いの仲介を致しますので、何かありましたら、いつでも声を掛けて下さい。それでは入りましょう――」
 コノハが部屋の前で八木カップルに注意事項と説明をし、ゆっくりと扉を開ける。コノハは先にちゃんと動物係りのスタッフがフルトランス(完全獣化)しているかそっと確認した。中にはトラがちゃんと檻の中に入って二匹いた。問題はないようだ。


「わぁ~! ホントにトラがいるー!」
 部屋に入って早々、声を上げて喜んだのは彼女の方だった。八木カップルは彼女の方が動物好きで予約を入れてきたのである。
「おぉ……まじで、トラ……大丈夫?」
 彼氏の方は驚きつつも若干警戒しているようだった。
「彼氏さん……でいいのかな、そんな警戒しなくて大丈夫ですよ」
 コノハが八木カップルの緊張を解くためにやわらかく笑顔で話し掛ける。
「そうだよ、猛獣って言っても普段は大人しくてかわいいんだから」
 八木カップルの彼女も彼氏の警戒をやわらげるために、話し掛ける。
「でもなぁー、そう言われても……これ、間近で見るとかなりデカイぜ」
 猛獣の場合、まずはお客さんに檻の中に入っている動物(正確には動物に変身したスタッフ)を見ていろいろ観察やお互いにコメントしてもらう。


「それじゃあ、そろそろ檻から出しますね。人間の方が怖がってしまうと、動物の方も怖がって警戒してしまうので、平常心で見ていて下さいね」
 コノハがそう言って、檻の鍵を開け、中に入るトラにこそっと話しかける。
「それじゃ、お願いします」
「ガゥゥ」
 フルトランスしたスタッフは人の言葉は理解できても、人の言葉を発することはできない。フルトランスした場合、もう人の名残は完全に消えているので、誰が誰なのかはわからない。
「ほら、おいで」
 コノハがトラに話して手招きする。これは動物を扱っている風に見せ掛けている演技なのだが、普通のお客さんはこれが演技なのだとは気付かないだろう。
 コノハがおいでおいでとやさしく呼び掛け、二匹のトラを檻の外に誘導した。


「すごーい! ねぇねぇ、外に出たよ! トラが出たよ!」
「痛い、痛い、そんなに腕を掴むなって! 見たらわかるよ!」
 八木彼女、歓喜。彼氏の腕を強引に降りまくる。こういうわかりやすい反応をもらえるとバイトとしてもやりやすい。
「よし、よし、良い子だね」
 コノハが二匹のトラの背中をそれぞれ優しく触る。トラが心地よさそうに目を細めた……が、一匹のトラがやたら大きくしっぽを振っている。このイヌみたいな反応を示すのは……
「カリンか……」
 コノハは小さくぼやいた。カリンはコノハが来てくれて嬉しい模様、その感情がしっぽから行動に出てしまっている。
「……」
 コノハは見なかったことにした。


「それでは、八木様、どうぞ、優しくトラに触ってあげて下さい。私がここにいるので大丈夫です」
 コノハは八木カップルにそう促し、二人にトラに触ってもらった。
「うわぁ! すごい! 毛が、柔らかい!」
「……噛むなよ、ちょっとだけだから我慢しろ」
 喜ぶ彼女、怯える彼氏。両者の正反対の反応が面白い。こういった非日常的な局面で、女は意外に男より芯があるというのを聞いたことがある。
「あ、あの、店員さん……その、だ、抱き付いたりしてもいいですか?」
「おい、お前、そんなん無理に決まっているだろ!」
 彼女が目を輝かせてコノハに聞くと、彼氏が焦って彼女を制した。
「何で無理ってアンタにわかるのよ」
「いや、それは、その」
 カップルで来て、双方が動物好きではない場合、だいたいこういう口喧嘩するケースが」見られる。コノハもこれまでに何回もこういう光景を目にして来たので対応は慣れている。


「八木様、どうか口論なさらないで下さい。抱き付くのは大丈夫ですよ」
 まずはコノハが手本としてトラに抱き付いた。すると、元気にしっぽを振っていたコノハに抱き付かれていない方のトラのしっぽがしゅんとなった。恐らくカリンが自分に抱き付いてもらえなくて、落ち込んでしまったらしい。
「ほらー、大丈夫だって言ってんじゃん。罰として、アンタが先にトラに抱き付きなさい」
「えぇ!? お、俺がー?」
 彼氏がビビりまくっている。彼女は腕を組んでさっさとトラに抱き付けと目配せする。面白い。
「はーい、恐がらなくても大丈夫ですからー」
 コノハが彼氏を誘導。彼氏をトラに抱き付かせる。
「……」
 彼氏はトラに何とか抱き付くことに成功。しかし、緊張のあまり、言葉が出ない様子。
「ペロッ」
「うわぁぁぁっ」
 トラが彼氏の顔を舐める。彼氏は大声で驚いた。これはスタッフのサービスだ。


「もう、せっかくトラに抱き付ける貴重な機会何だから、もっと感動しなさいよ」
 彼女が溜め息を吐き、交代した。
「わぁ~、あったかい、ふわふわしてて気持ちいい……あー、シャンプーの良いニオイ……」
シャンプーの良いニオイ? コノハは急いで追加の説明を加えた。
「えーっと、当店の動物はキレイになるよう、しっかりお風呂に入れて、ブラッシングしております!」
 少し変な説明になったかもしれない。
 彼女が幸せそうにトラに抱き付いている。そのトラはカリンの方だろう。わかりやすくしっぽが揺れている。
 すると、もう一匹のトラがゆっくりと立ち上がり、彼氏の方に歩き出した。
「ひぃぃ、な、何だよー」
 彼氏はビビる。
「彼氏さん、大丈夫です。怖がらないで下さい。むしろ怖がっていた方が噛まれます」
「そ、そんなこと言われても……ひぃぃぃー」
 トラが彼氏の足元で顔をスリスリ寄せる。
「そのトラはどうも彼氏さんがお気に入りのようですね」
「もう、情けないなぁー、こんなに可愛いのに」
 彼女がトラに襲われている?光景を見てクスクス笑った。


「ありがとうございました! すっごい楽しかったです! またここに来ます!」
 トラとのふれあいタイムが終わり、彼女がコノハに喜びを報告。
「お、俺はもう……」
「アンタも来んの」
 彼女が冷たい声でぴしゃりと言うと、彼氏は相当凹んでいた。
「それじゃあ、店内の喫茶券をお渡ししますので、喫茶店の方も楽しんでいって下さいね」
 コノハがそう言って、八木カップルに喫茶券を渡すと、彼女がペコリと挨拶して、喫茶コーナーの方に彼氏を引き連れて行った。あれが尻に惹かれるタイプと言うやつか。




 一方、動物に変身して接客していた方は……
「ふぅー、カリンちゃん、お疲れ」
「はぁ……はぁ……お疲れやでー、レイラちゃん……」
 トラに変身していた二人はヒトの姿に戻っていた。
 変身スタッフは指示があるまで、スタッフルームで適当にくつろぐ時間がある。各自で着替えを終えた二人が、着替え室を出て行こうとした時、一人の女の子が入って来た。サングラスに帽子を被っている。何か怪しい。
「ふぅー、あ、お疲れ様ですー」
 その女の子の方からカリンとレイラの方に挨拶してきた。この声……どこかで聞いたことがある……?
「お、ラッキーだね、こんなところでアイドルに会えるとは」
 レイラがカリンにそう言った。
「アイドル?」
「あ、バレちゃいましたか。えへへー」
 女の子はそう言って、帽子とサングラスを外す――その姿は……


「あ、あぁ!! さ、桜木ももちゃん!!!」
 そう、女の子は国民的美少女アイドル桜木ももだったのだ。
「カリンちゃんも聞いたことあるでしょ、ももちゃんはビーストトランスで働いてるって」
「ある……あるけど、まさかほんまに……」
「えへへー、部外者には内緒にしてて下さいよぉー」
 ももがそう言って、ウインクした。可愛い、さすがアイドル。人の心を掴む術を熟知している。
「ホントはビーストトランスの方でバイトする予定だったんですけどー、人が足りないからって、アニマル喫茶の方に回されちゃいました」
 ももがビーストトランスで働く? あの店で働くと言えば、ケモッ娘としてだろうか? 指名の受付があるのかはわからないが、それにありつけた男性(女性の場合もあるが)はとてもラッキーだ。
「ももちゃんがビーストトランスで……?」
 カリンが放心したように呟くと、ももが声を小さくして言った。
「アイドルも普通の女の子です。エッチもしたくなるんですよ。へへへ」
 そうか、これがアイドル界からAV界に繋がる一つの道筋という訳か。カリンはアイドルの現実に触れて、いろいろ衝撃を受けた。
「あ、そろそろ時間だ。変身しなきゃ!」
 ももはそう言って、持っていたカバンの中からペットボトルを取り出し、鼻をつまんで一気に飲んだ。

「何故、動物変身薬を店内でしか扱えないか知っているか?」
「この技術を盗用されないため。この薬を悪用しないため」
「他には?」
「他?」
「知らないようだな。ならば、教えておこう。〝寄生虫〟だよ」
「寄生虫?」


「多くの人々は通常意識していないが、この世は寄生するか、寄生されるかで成り立っていると言っても過言ではない」
「どういう意味ですか?」
「この世界の生物は常に他の生物に寄生されている。動物も植物もバクテリアも、当然ヒトもだ。どこが寄生の始まりなのかはわからないが、体が大きくなればなるほど、様々な寄生種が付く。これは〝憑きモノ〟に通じるところがあるかもしれないね」


「ヒトも?」
「例えば大腸菌。相互に利益がある場合は、共生という言い方が適切かもしれないが、他者の体に住み付いていることに変わりは無い」
「はぁ、それと動物変身薬とどういう関係が?」
「例えば、君に動物変身薬を与え、どこでも自由に変身していいという権利も与えたとしよう。そうなれば、君は必ず、この店の外で変身を試したくなる。人の前で変身して驚かせたり、人が立ち入れない所に侵入して悪事を働いたり……だが、外で変身した君は必ずリスクを負うことになる」
「リスク?」


「野外にはたくさんの生物が住んでいる。君の目に映ろうが、映るまいが、一度外に出れば、君は多種の生物にその体を狙われるだろう。イメージしやすいところで言えば、君がイヌやネコになったとして、草むらに入る。すると、知らないうちに体にノミやダニが付いてしまうということさ」
「嗚呼、なるほど」
「外部寄生虫ならまだ薬を撒いたり、毛を刈ったりして対処する方法は比較的簡単だ。しかし、内部寄生虫の場合はそう容易く取り除けるものではない。多くの動物はヒトと違って、〝手〟が使えない。必然的に何かを捕食、移動させるには口を使う。口を使う頻度が多くなればなるほど、その中に寄生虫が入り込むチャンスも多くなると言う訳だ」
「うっ……あまり想像したくない」
「それでいい。その認識があれば、君は過ちを犯さないだろう。動物変身薬が開発された当初、寄生虫の問題なぞまったく頭になかった。しかし、ある者達が変身して野外で活動し、戻って来た頃には……その体は様々な寄生虫に犯されていた。動物の姿のまま死んでしまった者もいる」
「……」


「寄生虫には宿主特異性と共通性がある。宿主特異性は特定の宿主にしか寄生できない種のことだ。この手の寄生虫は例え感染していても、動物からヒトに変身する過程で死滅するので問題にならない。しかし、共通性のある寄生虫は様々な動物に寄生するので、動物からヒトに戻ったとしても、そのまま寄生し続けることがある。そうなると大問題だ。人獣感染症の新たなルートができてしまったことになる。それが既知のものであれば、まだ対処の仕方はあるが、未知のものであれば、急いでその寄生虫を死滅させる薬を開発しないと、今度はヒトからヒトにその寄生虫が広まる恐れがあるんだ」
「それは……怖い……」


「そう、その寄生虫の毒性が強かった場合、多くの犠牲者が出ることになるだろう。また、寄生虫の方が、よりヒトに適応しやすくなるために進化する場合も考えられる。生物の進化はストレスが促したという説があってね、自分がより安全に暮らせるように、子孫を残せるように、そのストレスに耐えられるようになる、あるいはそのストレスが無くなるように向かって行くんだ」
「……言いたいことはわかりました」
「わかったかい? 好心はその身を滅ぼす……だけならまだ自業自得だが、他人に迷惑を掛けるのは最悪だね」

「めえを……殺すの……? ひっく……何で……殺すの……?」
 めえの脳裏によみがえる幼い頃の記憶。みんな、めえを恐れていた。同級生も大人も、地元の人達はみんな、めえを恐れていた。髪が白いから。〝キツキツサマ〟の生まれ変わりだから。


 生物は安寧を求める。そこに畏怖もしくは脅威が存在したら、それを排除しようと働く。めえが人々に対して何か悪いことをしたことはなかった。しかし、人々は逆にそれが怖かった。明らかに目に見えて悪いものであれば、〝敵〟と見なして攻撃することができる。しかし、相手から何もアクションがないと、いつ何をしてくるかわからない。目に見えて悪いことがなければ、こちらも判断に迷う。それはとても疲れること。


 特に、伝承に縛られる人々は異形を受け入れがたい傾向にある。人々はめえを自分達と〝違うモノ〟として認識していた。自分達と違うモノは排除しなければならない。人々はめえを恐れるが故に、いつしか敬うどころか、理由もなく憎しみの対象としていたのだ。実際、めえを殺せばいいと話も聞いたことがあった。
めえは自分の家や家族が好きだった。地元の人々も嫌いにはなれなかった。悪いのはめえでも地元の人々でもなく、人の心が生み出した〝恐れ〟そのもの。めえは人々を刺激しないよう、監視されるために、大学など外に出ることはせず、神社の中に籠る生活を選んだ。


「何だよ、妖魔のくせに泣くのかよ、女々しいな」
 急に襲いかかって来た見慣れない服装の少年が言う。言葉がわからない。外人だと思う。しかし、何故外人が短剣を持ってめえを襲ってきたのか、それさえもよくわからない。
 しかし、緊迫した状況であることはすぐに感じ取れた。少年は本気でめえを殺そうとしている。理由はわからないが、このままでは殺られてしまう。
「コタロぉー……助けて……」
 めえにはタヌキに変身できる幼馴染みの恋人がいた。しかし、今年に入ってから急に連絡が付かなくなった。メール送っても電話しても出てくれない。めえは直接、家に乗りこもうかとも思ったが、家にはめえを嫌う怖い姉がいるのでできない。悶々とした日々を送っていた。


「何で……何で連絡くれないの? めえは、めえは待ってるのに……バカ、コタローのバカバカバカバカバカ! 嫌だよ、ぐすっ……コタローに会いたいよぉ……」
 ナナミは手で顔を覆っていて、めえが大変な事態になっていることに気付いていない様子だった。
うぅっ、はぁっはぁっ……」
「! 近くに人もいたのか……ん? 妖気はこいつじゃなくてそっちから感じる?」
 少年がナナミの方を見た。めえには少年が何を言っているのかわからない。しかし、少年の気がナナミに向いていることは見てとれた。
「ナナミ……ちゃん……逃げて……ナナミちゃん、逃げて!」
 めえは大声で叫んだ。そのめえの声は届いたのか、ナナミがビクッと肩を震わせる。


「痛っ……え、めえちゃん……どうし……え……?」
 ナナミは顔を覆っていた手を離してめえの方を見た。ナナミが流している涙にもうは混じっていなかった。
「めえちゃん! な、何、その子!」
 ナナミが困惑した面持ちでめえに聞いた。
「わか……らない……でも……逃げて……」
 めえは怖がりながらも、友人を守ろうと必死で声を絞り出す。
「消えた……半妖か? よくわからないな、くそっ、修行不足か……」
 少年は何かブツブツ言っている。


「でも、めえちゃんは……」
 少年がめえに危害を加えようとしていることはすぐに察知できた。そしてそれはナナミに対して同様の感情を持っていることも。ナナミの頭から、先ほどの謎の現象のことはすっかり消え失せていた。逃げることはできるかもしれない。しかし、それではめえが大変な事態に遭ってしまう。
「あの子がよそ見した隙に……変身して蹴飛ばせばいける……かな……」
 他人に変身を見られるのは良くないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。ナナミは覚悟を決めた。
「ナナミ……ちゃん……」
 ナナミの顔がキリッとしたのはめえに見てとれた。めえの視力はすごくいいから。涙が溢れる。視界が涙で滲む。
「とりあえず、こちらを先に始末しないと……でもあっちも逃がす訳にはいかない……〝
掛けて〟みるか」
 少年は片手でめえの首元に短剣を付き付けたまま、ナナミの方を見据えた。
「!」
 ナナミは少年が何かを仕掛けてくると直感した。ざわつく心を落ち着かせ、いつでも変身できる準備をする。


「〝目を閉じよ〟」


 少年が突然日本語をしゃべった。その意味を理解した瞬間、めえとナナミの瞼が重くなった。


「〝眠れ〟」


 少年は続けて日本語を発する。
「えっ……何で……急に眠……」
 ナナミはその場で崩れ落ちるように倒れた。


「ナナミ……ちゃん……」
 しかし、めえもものすごく眠くなってきた。少年は何か不思議な術を使ったのだ。眠い眠い眠い……しかし、ここで眠ってしまえば、すべてが終わってしまいそうな気がして。
「はむっ」
 めえは唇を噛んだ。痛いのは嫌だけど、痛みで少し目が覚める。
「オレの〝言霊〟に耐えるとは……これ以上妖気が増さないうちに……!?」
「めえ……眠く……ないもん……負け……ない……もん……」




 ツ――。





 恐怖に加えて、眠気の涙も混じる。混じる……が、その涙の色が変わる。
「血の……涙……?」
 少年は一瞬、めえに畏怖を感じた。
「クルル……」
 めえは唇の痛みを感じて眠気を堪える。そして、無意識のうちに〝鳴いて〟いた。


「クルル(我は)……クルルルゥ(この地を統べ)……ルルルル(神と同等の力を備えし霊獣)……クルルルルルルゥ(狐天なり)――!!」


「!? 何だ……妖気が膨れ上がった――!!?」
 ビリビリと肌を刺す悪寒。少年はめえから溢れ出る妖気に束の間、怯んでしまった。


 めえの瞳がカッと見開かれる。その目は血に染まって真っ赤だった――
「やってくれるな……小僧。我を……起こしたことを……悔むがいい! 〝御霊よ、力を貸せ。彼の者を吹き飛ばす力を。我の名は狐天――〟」


「しまった! お前も〝言霊〟が使え――」




動物変身(獣化/transfur)小説ブログ


「ぐわぁぁぁっ!」
 めえに馬乗りになっていた少年の体が外に向かって吹き飛ばされる。
「はうっ……くそっ、しくった……しかし、妖魔本体が出てくればお父様から授かった〝宝貝〟が効くはず――!」
 少年の体が庭に打ちつけられ、体勢を立て直していると、奇妙な音が聞こえてきた。


びょぉおおおおおおぉぉぉぉー びょぉおおおおおおぉぉぉぉー びょぉおおおおおおぉぉぉぉー 


「キャハハハ! めえ姉ー! 遊んで遊んでー!」
 めえの妹、けえが巷で流行っている音の鳴るキーホルダーうさピヨを持ってやって来たのだ。
「めえ姉……あり?」
 けえが異様な光景に首を傾げる。
「チッ、分が悪い。次は必ず――」
 少年は中国語でそう言い残して、草むらの向こうへと消えて行った。
「はむぅ……ナナミ……ちゃん……」
 とうとう眠気の限界が来ためえはそのまま眠りに落ちた。めえの瞳から流れる涙には、もうは混じっていなかった。

 ナナミは大学帰りに狐塚めえの家にやって来た。
「ふぅ……暑い暑い。めえちゃんに連絡入れずに来たけど、いいよね」
 めえの家は大きな神社を持っている。見上げてその偉大さを感じるほど大きな鳥居の前で、ナナミは一呼吸置いた。鳥居の門番に、狐の石像がこちらを見つめている。憑きモノ筋の家系はみんな神社を持っており、ナナミの鳥居には鹿の石像が建っている。
 ウチとソトを仕切る道切りの境界を越え、ナナミは神社の奥のめえの家へと向かう。めえの神社はナナミの家の二倍以上の敷地を持つほど大きい。毎回すごいなぁと感心してしまう。
 まるで初めてここを訪れたかのように景色を見ながら、ナナミはめえの家の前に到着した。


 ナナミがインターホンを押そうとしたその時――


「あー! ナナミちゃんのニオイがするぞぉー! こっちこっち!」
 めえの声が聞こえた。めえは裏庭にいるようだ。ナナミはめえの声のした方に行った。


「めえちゃん、お久しぶり~……」
 まったり。
 めえはヽ(´ω`)ノな状態になっていた。めえの近くにはめえの大好物のゴージャスロイヤルミルクティーの缶が開けられている。
「ズズズーぷはぁー! やっぱゴージャスロイヤルミルクティーやで」
 年寄りのような飲み方で、妙な関西弁を使うめえ。ミルクティーを飲みつつ、炙ったらしいスルメイカも食べている。
 ナナミはめえのまったり空間を前にして入っていいものか戸惑った。
「オイデオイデ」
 しかし、目を細めが手で招くのでまったり空間に入ることに。
「まぁまぁ、お疲れでやんす。ミルクティーでも一杯」
「あ、ありがとう……」
 めえはまたテレビの影響を受けているのだろうか。しゃべり方がおかしい。しかし、この特注のミルクティーは美味しい。ナナミはありがたく頂くことにした。
「はぁ~」
 香る葉、絶妙な甘さ加減。贅沢な味わいを感じさせるこれはまさにその名にふさわしい飲み物!
 ナナミもすっかりまったり気分になっているが、今日はそんなことをしにきたのではなかった。
「そうそう、めえちゃん、最近どう? コタ……ハッ!」
 ぴくっ。
 めえの額に怒りマークが出現したような気がした。
「え、えーっとぉ……そうそう、〝天紋〟。〝天紋〟の調子はどうかなーって」
「ふにゅ~ん……〝天紋〟ねー、何だろうね、これ? 徐々に形変わるよね」
 やはりめえも〝天紋〟が育っているようだった。


「そっかぁ、めえちゃんも同じかぁ……」
 その時、ナナミの膝に赤い雫が落ちた。
「あれ? 鼻血?」
 そう思って鼻のあたりを触ってみたが、ヌメリは無かった。それではこの血のようなものはどこから落ちてきたのか……
「ナ、ナナミちゃん……目……」
 めえがナナミの方を見て、今まで見たことがないくらい驚愕した表情をしている。
「え……目……?」
 そう言われて目元を触る。すると、ねとっとヌメリを感じた。。そう、目から血が流れているようだ。
「え? 目から……血……? 何で……え……!!?」
 目から血が出ることなんて初めてで、やや混乱気味のナナミ。しかし、異変はさらに拡大した。
「何……これ……」
 見える。違う、視える。何かが視える。景色と重なって違う何かが視える。明るいのに暗い。ぼんやりと何かが浮遊している。初めて視るアレは何? 視たことある? ないない。ソレを、ソノ世界ヲ、認識ス、ルニハ、マダ、経験、ガ、足、リ、ナ、イ……

「うぅっ! はがぁっ!」
 急激に目と頭が痛くなったナナミは両手で顔を覆った。
「え、ど、どうしたの……ナ、ナナミちゃん……?」
 ナナミを心配するめえ。めえがナナミに近寄ろうとしたその時、草むらが大きく揺れて、中から人が飛び出してきた。



「覚悟しろ、妖魔――――!!」
 その人物はめえに向かって真っすぐ飛びだしてきた。そして、その勢いで部屋の中に押し倒され、相手は馬乗りになった。
「遺言はあるか? 退魔師として、お前の最期の言葉を我が胸に刻もう」
 何を言っているのか全くわからない。日本語ではない。英語なのか?
 めえの喉元に鋭い短剣が付き付けられる。このまま、訳のわからないまま、殺されてしまうのだろうか?
「うぅ……うぇっ……コタロぉー……」
 目頭が熱くなる。涙が溢れ出て来る。めえの脳裏にコタローの笑顔が過った。