五話でのヨンウとスヨンの食堂での対話、「春の日差し」がお気に入りで何度も観てしまうンダ。
五話の裁判では本音と建前が混在。本音しかない自分世界で生きているヨンウは困惑します。
ドラスティクな同僚「腹黒策士」との意見交換。ウヨンウは弁護士としての姿勢を内省自問…。といった成行の後、ヨンウは同僚のスヨンと社内食堂?で昼をとります。ヨンウは顔には出さねどプチ落ち込み気味。スヨンはそんなこと分かってません。
このシーンで好きなポイントは二つ。
○チェ"春の日差し"スヨン役のハヨンギュンの受けの演技・演出
→上の動画後半はヨンウの台詞中心。スヨンは聞き役。ヨンウは役柄上、感情を出せない。となると観客に感情を伝える役割はスヨンに託されます。台詞を聞きながらのスヨンの受け演技が素晴らしい。
「(美女スヨン)じゃない」と言われたときのムッとした表情、からの「春の日差し」と言われた意外さを伝える表情変化。さらに台詞に合わせて「海苔巻(キンパ)」や「ペットボトル」に適正(最小の動きで最大効果のある)な間で視線を振って伝えます。上手い。
○五話の主題のひとつ「本音」と「建前」を体現
→あだ名を求めるスヨンが仄めかしたらウソ(本心)でもとりあえず「美人のスヨン」とでもお世辞を言っておくのが人付き合いの「建前」?笑。ヨンウは「違う」とわざわざ断言。「春の日差し」だと「本音」を伝えるわけです。
定型発達(発達系でない大多数の方々)からするとヨンウの言動は「珍妙」で相互理解は困難に見えます。しかしスヨンは自閉症が「本音」しか語れない特質をなんとなく認識しています。定型発達と自閉症が感情を通わす可能性はその認識の有無にあります。そのことを端的に伝える名シーンと思います。そして観客は自閉症の言葉に「建前」やお世辞でない「本音」=真実が伝わるのを目のあたりにするわけです。「本音」が伝えること。そのシンプルなことに感じてしまう定型発達の不自由さ。この短いシーンから伝わってくることは少なくないと思います。
※このシーンからは古いスタンダードナンバー…ビリージョエル「HONESTY」が、ワタクシには聴こえてくるようでした。
「HONESTY is hardly ever heard. Mostly what i need from you」

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