走ることについて語るときに僕の書くブログ

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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。

個人の意見ですが、「帝一の國」はよかった。




見始めはオールイケメンスター裸太鼓大会祭…くらいに思っていたり、



巨人の星、プロの政治家版かよ?

…くらいのパロディコメディちょっとラブロマンス


くらいに予想しておりましたが、おおまつがい。



エリート高校で生徒会長→総理大臣になりたがる大マジ帝一(菅田将暉)の大袈裟演技に苦笑いしてたオイラ。終盤には号泣。

エリート=冷たい、というステロタイプにとらわれておりました。インタハイで優勝→日本一の高校生バスケプレイヤーになってやる!!!とゆう夢野望がオッケーならば、勉強品行方正目的のためなら手段を選ばす総理大臣になって帝一の國をとったる!!!とゆう野心もオッケーなのでした。


調べると、
「恋は雨上がりのように」…女性高校生と中年の安そうなラブドラマ…と思わせといて裏切ってくれた永井聰が監督。

撮影監督には撮れば琴線に当る(「新聞記者」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「ホットギミック」「ごっこ」「デイアンドナイト」「サヨナラまでの30分」)今村圭佑。

まあ、外さないわけで。


たとえば、
帝一と爽やかライバル大鷹弾(竹内涼真)が同時に映るシーンでは必ず弾にスポットライト。帝一には当てない撮影演出(…って受売り、そう誰かが書いてました)。

とかね。そんな細かなことがたくさん積み重なって裏切りの期待通りの作品になってる。そう確信できる映画と思いました。個人の意見です。




‪カップルたちは試練の時期かな。


おぢいさんは、

「逢えない時間が愛育てるのさ」

ってヒロミゴーの歌を思い出すぞ。


ふと、婚姻数が上がるかもと。
ずっと一緒にいられない人を想ふことを恋と呼ぶなら、割れても末にあわんとぞ想う、だ。

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別件でネット検索してて、たまたまCOCCOの歌声が聞こえてきた。

 
「強く儚い者たち」は秀作と思う。ただしリリースされたバージョンはキレイすぎてあかん。どこのライブ映像だろう?上にリンクした動画のバージョンが一番よい。
 
工夫された歌詞だがその意味をわからず放っている。この楽曲は人の何かしらの感情を表そうとしたものだ・・・って、あたりまえか。陳腐ないいかたになってしまうけど、全ての楽曲はそれに尽きるんだよね。
 
 
ショーペンハウエルさんによると、
 
「(音楽は)現象ではなく、それ自体に従つて、いわば現象の最も内奥のたましいを、身体なしに表現する」
 
 
…だそうです。わかりにきいぃぃぃ。
いろいろ調べてこうゆうふうに分かったつもり。
 
 
音楽は言葉や身体の手段ではなく、音楽そのもの表現で感動を与える芸術であーる。
 
 
・・・ほら、文学だと言葉。
舞台だと身体をつかった演技。
映画だと演技や映像。
 
そうゆう表現手段で人の心を動かそうとするじゃないすか。
 
でもリズム、ハーモニー、メロディの組み合わせで出来てる音楽。音楽だけは、それそのものだけで人に感動を与えることができる。音楽=感情表現…って、そうゆうことみたい。(※あと絵画もそうかな)
 
 
でも、でも、
ちょっと待って。
音楽のさ、歌謡曲なんかはさ、歌詞を歌ったり、リズムに合わせ踊ったりするじゃん。単体じゃないやん?
 
なるほどクラシックは歌詞がなく、歌謡曲には歌詞がある。言葉使ってる。歌謡曲は単体で感動させらんない?歌詞や踊りで補てんしなきゃなんない?だから下等な音楽?やっぱ管弦楽のほうがスゴイの??
 
 
 
そんなことを雑にパラパラと思いつきかけて、やっぱちがうと思う。
歌謡曲ん中にはそうゆう、メロディ、リズム、ハーモニー、だけでは心もとなくて、言葉と踊りで聴かせる歌謡曲もあるかも知んない。
 
でもまあ、それはいいや。
こんかいはあっさり見ないことにしとく。
 
 
少なくとも、
「強く儚い者たち」を歌うCOCCO。彼女が伝えたがってるコトは言葉にならない領域にあると思った。
COCCOはそれがもどかしいのだ。
 
 
「強くてはかないモノ」という言葉に替えてみたものの…たぶん、ジンルイはその状態を表す単語やそれを伝えるすべを見つけていない。だからCOCCOはその状態を音楽とそして言葉で補てんしようとしている。
でもそれだけじゃ充分じゃないことにも気付いている。
 
「人は弱いものよとても弱いものよ」
 
「人は強いものよとても強いものよ」
 
「人は強いものよそしてはかないものよ」
 
そう発語した後のCOCCOの動きと表情は、その言葉の意味よりも、意味を伝えきれない言葉の無力さが伝わってくる気がする。
 

感情に追いつかない言葉は最後には叫びに似たモノになる。届かぬ思いに身をよじらせている。
そんな奇妙な発想が浮かんでくる。
 
けど浮かんだ感情を言葉(現象)にできないから音楽で表現したがるのが起点(モチーフ)なら、COCCOのパフォーマンスは人の表現欲求の強さ、そして表現の弱さ、はかなさ。そんなものが伝わってくる気がしてくる。
 
 
でもたぶん、僕らにも通じてる。強いんだか弱いんだかわからないけど、人はとにかくはかないもの。それをどう言葉に紡ぐのか分からないまま気持ちだけ通じてる。COCCOと僕らはそういう無力感で通じ合ってる。
「分かり合えないってことが分かることがコミュニケーションの本質」どこかのツイッターで見かけた言葉。感動って分からないことを共感し合うこともあるんだと思う。
 
COCCOのパフォーマンスを観ててそう思った。
 
おまけ、
大塚製薬オロナミンC CM 森七奈 を一部抜粋。
 
誰だったかな?「思いを伝えたかったら背中を撮れ」と言った監督。

 
 
 

あらすじ
旅行先で恋人が行方不明。必死で捜索する男の元に不可解な手紙が届いた…。


あらまし
製作は1988年だが日本公開は2019年。キューブリックは三回鑑賞。「いままで観た中で最も怖い映画」だと絶賛。


かんそう
刺激的なシーンを省いて淡々と進んでいくストーリー。視覚的な刺激は皆無。犯人探しや恋人探しのスリルも削いでいるにも関わらず展開から目を離すことが出来ない。

そしてラスト。
人間の好奇心。ひいては自分の存在、人の存在が脆くて、危ういものだと気づく。ある人物の叫び声が耳から離れそうにない。もしかしたらソレを聞きたかったのかも知れない。

…と書いてきたけど、オススメとして書いて「あなた」の好奇心をそそらせることにためらいを感じる。エイリアンや亡霊や悪魔などより、人の悪意が一番怖い。それは自分自身の共感性に向かうたぐいのものだから…かもしれないデス。







不要不休。
それはおいらのブログのこと。

ほぼ更新頻度の割にはアクセス数が少ない。何日か前に書いた「架空OL日記 普通、異常、トランスジェンダー」なんかは面白かった、書いてて。あの切り口で感想を書く人はいないもの。自分ならコメント入れるのになあ、筆力が足りねえなあ。残念。←本音



昨夜はTSUTAYA往復。


行って、



戻る。


五本を返して一本借りた。


不急不休。

休まず、急がず。
速く走るのをここ1カ月くらいは封印かな。出来る感覚がないのと免疫落とすのが怖い。



秋のマラソン大会開催も危ういと思ってます。

内戦中の国ってコレに近い感覚なのかな?
いや、もっと緊迫感はあるのだろうけど。

とっとと夕刻に仕事をアゲてレッツラン。


仕事場から陛下の家に向かい、周りを警備がてら一周。桜も咲いておりスマホ撮影してる方がチラホラ。カプルで花見してる方もイチャイチャ。

練習的には10km行きたがってましたが別件があるので、神田にGO!


四月から、遠方に赴任するぬまっち氏を送る会…なんだけど店のアテンドはご本人がしてる、とゆうね。

写真略

羊肉の水餃子とかをワインで流し込むというオシャレな中華料理。濃厚摂食致しました。

写真略

四月一日の辞令に「ウソぴょん」と書かれてたらウケるのになあ、とか言ってる最中に小池知事が外出すんなよ的な会見してたんすね。帰宅して知った。


映画「彼らが本気で編むときは、」はトランスジェンダーのリンコ(生田斗真)がヒロイン。家族や愛情のあり方を描いた意欲作。ほら、「子どもらしさ」など「らしさ」に疑問を呈した「バーバー吉野」荻上直子監督作品っす。
 

 
 
で、リンコの少女時代、同級生の親(小池栄子)が、
 
「普通じゃない人(リンコ)とつきあっちゃダメ」
 
と諭すベタな差別シーンがあります。
 
「…普通ってなに?」
 
と子どもが問います。親は、
 
普通とは異常じゃないことよ」
 
 
普通普通普通普通普通普通普通普通。
並べると普通に思えないw
 
 
 
いま上映中の映画「架空OL日記」は、普通/異常のあいまいさを扱いながら「あるある」な「普通」を掘り下げ、笑いに昇華させたコメディ映画。傑作と思います。
 
 
映画ん中でバカリズムは普通の女性銀行員を演じてます。
見た目(医学的?)には男性だけど心は女性、トランスジェンダー。
 
 
バカリズムは「女の城」、女性更衣室でガールズトークを延々とするのだけど、誰も気にしていない。…ってか作品もソコがテーマはそこになく、ギャグにもならず、本人も全く悩まず、みんなといっしょに女性トイレで歯磨きします。
 
「彼らが本気で編むときは、」のリンコが入院時、男性の大部屋に割り当てられ泣く泣く一晩過ごしたことを思えば隔世の感がございます。
 
 
作品中、ガールズトークの本質を
 
「事実よりも矛先」
 
と定義する場面があります。
 
副支店長や気の利かない男性社員の異質な行動や感覚の違和感・・・(朝礼のときの立ち居地がその都度変わる、みたいな実はちっちゃいこと)にガールズトークの矛先は向く。その際、対象にされる男性の正当性や事実関係は黙殺っ。事実よりも矛先が目的のガールズトークなのデス。だから、バカリズム演じる「私」の性別という事実も放置なわけです。
 
それはこの「架空OL」界では不思議でも異常でもないみたい。「普通じゃないことが異常」である、とする「彼らが本気で編むときは、」とは価値観の違う世界観が「架空OL日記」にはあります。
 
 
 
バカリズムは本作で脚本と主演を務めてます。その発想力から「天才」と言われこともある彼。しかし無から有を生み出す創造性を天才の本質とするならバカリズムは天才じゃない。
 
いうなら、有から有を見つける普通過ぎる異才。
バカリズムの真骨頂は普通の中に異常を見出すことにあります。
 
たとえば、
ある条件や刺激に対して80%の人がとる行動パターンを「普通」と呼ぶとします。バカリズムの感覚はその80%に入っていることが多い。たとえば10点の刺激…右利きで非喫煙者で朝飯は食べる派で綾瀬はるかを美人と思って、スマホを持ってる…をすべてクリアするでしょう(実際を知りませんがw)。10点全てクリアする人は0.8の5乗分の1。つまり1.07%。そう、普通を重ねていくことは逆にレア、、、普通とは異常なこと」になるわけどす。普通過ぎて異才。
 
普通だから普通が見える。見え過ぎて「あるある」に鋭敏になる。
 
 
 
同質圧力の強そうな銀行社内。唯一、個人の好みが反映(自己主張)できる「印鑑ケース」にバカリズムは目を向けます。本作のキモはその印鑑ケースのシーケンスにあると思います。
 
非のうちどころがない出来る課長(坂井真紀)。だけど課長はズレたセンスの印鑑ケースを持ってるわけです。その特殊な印鑑ケースを仲間に伝えて回る「私」にそれぞれが示す対応が個性を示していて、それがなぜか可笑しい。
 
制服という同質圧力の権化をまといながら「OL」たちは内実、しっかり個性と呼ばれる異質を持ってる。
 
「普通とは異常じゃないこと」という誤りを「普通過ぎて異常」なバカリズムが伝えています。
 
なあんだ、人間って普通のフリして誰しも異常(個性的)じゃん!
 
そのことを気づかされ、僕らは「矛先」の異常さを指摘することで、自分たちの「普通さ」に安心して、一斉に笑うのです。
「私」の女装に矛先が向かないのは、笑うほどの異常さがないからです。トランスジェンダーは笑いとばすほどのこともない普通・些細な個性だと伝える本作は時代の一歩半先くらい(正確な歩数は知らんけど)にあります。それを「架空」と呼ぶバカリズムのシニカルなセンス。上をイッテる。やはり異才です。
 
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解釈

 

タイトルはなんとなくです。

ぜひ声に出して読んで下さい。
必殺技繰り出すみたいなイントネーションで、

「ライダアアアアヘンシーンッ、トオー」

的にお願いしゃす。



さて、
チャチャチャカチャアチャカチャカチャチャアチャカチャ

せまるぅー、ショッカー!


トオー!


今週は毎日10kmのケツジョグの予定。

ポイント入れるとさ、免疫下がりそうでイマイチ怖くてね。


でも、いい感じに走れてきた。150拍/分でサブフォーペースが気持ちいいや。

チャカチャアチャカチャアチャカチャアチャカチャアチャカー、








ランナーの山中さん(本名)がコロナウィルス情報サイトを立ち上げたみたい。


https://www.covid19-yamanaka.com/



山中さんは別大で55歳時、0325の記録を残してるサブ3.5ランナーさん。自分的には勝手にライバル視してます。実は医学研究者もやられていてノーベル賞もとったりしてます。すごい!



サイトはシンプル。科学者らしく情報を裏付け(エビデンス)のあるなしに分けたり、事実確認の優先度をつけたりして下さりわかりやすい。ジッとしてられないタチなんでしょうね。自分の役回りが分かってる真のエリート、知的ノブリスオブリージュ。


ぜひ、マラソンブログも立ち上げてブログ村に参加していただきたい。きっとカッチリした論文系味噌汁ブログ(ナゾ)になるんだろうなあ。イジリたいなあ。ブログやらない、っテいうなら代わりに俺が書くんだけどなあ。



ちなみに、

山中さんは今回のパンデミックをマラソンにたとえてます。



マラソンだと、わかりやすい。(マラソン未経験者の方々は??かもですが。)


2月にスタートしてゴールまで一年かかる。、としたら一ヶ月経ったいまは4km地点くらいでしょうか。

スタート時の混雑からペースは安定。温まりかけてるカラダの調子と相談してるあたりでしょうか?


調子よいんぢゃん?いける!


と思ってもペースを上げず自重するあたり。
他国のように爆発的に増加していないからといって安心してはいかん。、のでしょうね。


うん、

そんなわけですから東京オリンピック開催時期も20km地点。ゴールはまだまだ見えないですね。どうも報道を読む限り、延期の空気になってきました。


自分的には東京オリンピックというお祭りに、ボランティアとして参加。7月末から、さいたまアリーナで行われるバスケットボール競技のプレスとしてメディア対応する(→よく意味が分かってない)役回りが決まってます。

延期されるにしても役割そのままでいたいと思ったりしてます。





娘ちゃんが支店長(1日署長とか子ども店長の類と思ってる)になった。頭の働きがよい割に(あるいはよいから)学校の勉強はキライだった娘ちゃん。ガッコーセーセキでは認められなかったかもだけどショクバでは他人に認められたみたいで幸せ。

素直にそれを喜ぶ一方、身入りがよくなったせいか、家を借りて孫ちゃんともども当家を出ることになった。…オンナ二人が同居するムズカシサ。苦笑

 
...に伴って土日も孫育て行動(品行方正な規則正しいスマホゲームをあんまりやらない)などからカイホー。休日の朝も身勝手行動にいそしむことができる幸せ。
 
 
 
で、
近所の映画館まで身勝手に走って「一度死んでみた」を身勝手に観てきた。
 
 
懸案の、広瀬すず案件。
 

仲の悪い父娘がいるんデス。娘は社長さんしてる父に抗うココロだかでロックバンドのボーカルなど身勝手なことしてるんデス。とある経緯で二日ほど仮死するクスリを飲んだ父デスが…?!父を巡って展開するコメディ映画デぇス。
 
 
冒頭広瀬の台詞回し(ヘビメタ風味イントネーション)でとてもとてもハマる映画と期待したんデスが、その後あのテンションが続かずガッカリ。
CF出身の監督が作ったマーケティング優先の映画デス。もちろんそうゆう立場は悪くないし否定しない。
 
阿部サダヲ+吉岡里帆の「音量を上げろたこ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」には肯定的だったワタクシです。作中の多少の粗や不思議(火葬日は喪主が決めなよ)も大して気にせずスルーでぇす。。。。でも、なんだろうな?「100日後に死ぬワニ」効果でしょうか?作品の背後にショウバイ(やっつけしごと)が見えてしまって、シラケてしまったんデぇス。

経験や資金が不足で力は尽くしたんだけどつまんない。それは観ても怒りは感じない。でも明らかおかしな設定…火葬する日程は遺族側で決められるハズ…なのは気づかぬハズはない。刹那的なギャグいれて、ゴージャスメンバー入れて、番宣に一生懸命な広瀬すずを使えばなんとかペイ出来る…つまりいい加減で観客を甘くみてる。そういう制作態度を感じてしまってもうイヤでした。
 
でもクスリと笑ってホロリと泣ける、面白デート映画の仕上がりと思いますデぇス。適切上演時間90分。

自分は泣けねえな、娘も自分もそうゆう時期は過ぎてるんデス。
 
 
 
で、
家にもどりテレビ。次も広瀬すず案件、大絶賛記事はこちら→、「ちはやふる 結び」
 
ああ、よき作品だなあ。
でもテレビで観ると、映画館の貴重さが分かる。
 
カルタを挟んで対戦者と対峙する、読み手が札を読むため口を開ける、スズの耳がクローズアップされる、聞こえない声を聴き取ろうとスズが息を留める、、、、その間、完璧な静寂が館にはある。お家のテレビだとあの静寂が聴こえない。そこが残念。
 
 
並行して裏?では大相撲放映、千秋楽。無観客の会場は中入り後も序の口みたいに、、、というか誰もいない。人がおらず静かだから力士のぶつかり合う音が聞こえる。頭ゴッチんしてる、息づかいが聞こえるみたい、行司がずっとなんか言葉を発してる、土俵廻りでいろんな人々が動きまわってる。
 
土俵周りでいろんな人たちの所作が際立って目に入る。相撲が本来、おごそかな神事だと分かる。新鮮。力士たちは気合が入らないのかも知れないけど、とても新鮮。
 
 
 
「一度死んでみた」に少しハナシを戻してみる。
作品は「存在しないことで存在を知る」とゆうことを一貫してほのめかしてる。存在しないからこそ分かる存在感ってあるよね。「一度死んで」みないと気づかない的なソレなわけだけど…。
 
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後は「サウンドオブサイレンス」とかに任せてしまう。

 
「誰に聴かせるわけでもない歌を書いている。この静寂を邪魔するモノはない。」。だからブログを、