サムエル記上31章8~13節
〔新共同訳〕
【ギルボア山での戦闘】(2)
8翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその三人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけた。
9彼らはサウルの首を切り落とし、武具を奪った。ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられた。 10彼らはサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体をベト・シャンの城壁にさらした。
11ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞いた。 12戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し、 13彼らの骨を拾ってヤベシュのぎょりゅうの木の下に葬り、七日間、断食した。
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(聖句雑感)
「ぎょりゅうの木」が出てきました…。
サムエル記22:6,31:13,創世記21:33。
創世記21:33
アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。
以前(5/26)のmyブログでも触れたようです。
植樹された世界最古の「木」とのことです。?
ヤベシュの人々がぎょりゅうの木の下にサウルとその子らの骨を埋葬したというのも、遡れば「アブラハム」へとつながるのですネ…。
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解説を見てみました。
■新実用聖書注解466~467p
この章がサウルの死体に対する敬意で終わっているのは、まだしもの救いである。
ペリシテ人は、激しい戦いの翌日、戦場に出かけて行き、サウルとその3人の息子たちの死体を見付けた。彼らはサウルの首を切り、武具をはぎ取り、この「吉報」をペリシテの偶像と民とにもたらした。
神の民の敗北は。偶像の民にとっては「福音」だからである。
サウルの首は、ダゴン神殿にさらされ(参照Ⅰ歴10:10)、残りの死体はヨルダン川から5㎞くらい西に入ったベテ・シャンの城壁に打ち付けられた(10)。
以前サウルによって窮状から救い出されたヤベシュ・ギルアデの住民は(参照11章)、勇士たちを派遣して、サウルと息子たちの死体を奪還した。彼らは夜通し2,30kmほどの道を歩いて、ヨルダンの向こう側まで行き、この壮挙を成し遂げようとしたのである(12)。
ヤベシュに運ばれた死体は焼かれ、その骨は地に葬られた。そして彼らは、サウルとその息子たちの死を悼み、7日間断食して敬意と哀悼の意を表した(13)。
■BIBLEnavi271p
ペリシテの神殿にサウルの武具を奉献することで、サウルに対する勝利は異教の女神の加護によるとされた。アシュタロテは豊穣と性の女神であった。
ベテ・シャンはヨルダン谷を見下ろすギルボア山の東斜面にある町であった。
イスラエル最後の士師と最初の王の違いについて考えてみよう。
王サウルの特徴は、矛盾、不従順、強情である。彼は神を愛する心を持っていなかった。
士師サムエルの特徴は、一貫性、従順、神の御心に対する深い願望である。彼は 神を求める純粋な願いを持っていた。
神が呼ばれたとき、サムエルは申上げた。「主よ、しもべは聞いております」(3:9)。しかし神がサムエルを通してサウルを呼び出されたとき、サウルはこう答えた。「どうしてあなたはこのようなことを私に言われるのですか」(9:21)。
サウルは自分のことばかり考えていたが、サムエルの心は神のみに向かっていた。
サウルの死は1つの理想の終焉でもあった。イスラエルはもはや他の国民のように王を立てればすべての問題を解決できるとは信じられなくなった。
本当の問題は、政府の在り方ではなく罪深い王であった。サウルは瞬発的な敬虔で神を喜ばせようとしたが、真の霊性に必要なのは生涯にわたって続く従順である。
英雄的な霊的生活は、1つ1つ従順を積み重ねる日々によって建て上げられる。レンガのように、1つ1つの従順は小さいかもしれないが、やがてそうした行為が積み上げられ、強靭な人格という巨大な城壁---誘惑に対する大きな防御---が建つ。
私たちは日々、たゆまぬ従順に努めるべきである。
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■clay解説全文
ヤベシュ・ギルアデの住民による埋葬
ベテ・シャンの城壁
翌日、ペリシテ人は死体から武具をはぎ取ろうとして戦場に出かけて行き、そこでサウルと3人の息子たちの死体を発見します。
(1)彼らはサウルの首を切り、武具をはぎ取ります。
(2)サウルの死は、彼らにとっては「吉報」です。その報告を、ペリシテの偶像と民とにもたらします。ペリシテ人の勝利は、ペリシテ人の神々の勝利でもあるからです。
(3)サウルの首は、ダゴンの神殿にさらされ(Ⅰ歴代誌10:10参照)、武具はアシュタロテ神殿に納められました。
(4)首から下の遺体は、ベテ・シャンの城壁に打ち付けられました。この町は、ヨルダン川から5キロメートルほど西に入ったところにあります。
死体の奪還
実は、サウルの3人の息子たちの死体も、ベテ・シャンの城壁に打ち付けられていました。
(1)それらの死体を救出したのが、ヤベシュ・ギルアデの住民たちです。
(2)ヤベシュ・ギルアデという町は、32年前に、サウルによって窮境から救い出されたことがありました(Ⅰサムエル記11章参照)。その町の住民たちはそれを覚えていたのです。
(3)彼らは片道25キロメートルほどの道を夜通し歩き、サウルと息子たちの死体を奪還し、それをヨルダン川の東にまで運んで来ました。
(4)その後彼らは、それらの死体を火葬に付しています。火葬というのは、イスラエル人の習慣にはありませんが、これ以上死体がなぶりものにされる危険性を排除しようとしたのでしょう。
(5)彼らは遺骨をその地に葬り、7日間断食して、サウルとその息子たちに敬意と哀悼の意を表わしました。
サウルと息子たちのたましいが、死後どうなったかは記されていません。それを詮索するのは、私たちの役割ではありません。
私たちにとって重要なことは、自分のたましいが死後どのようになるかについて、十分に考えることです。
主イエスは、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)とお語りになりました。
主イエスを信じて、父なる神と和解した人は幸いです。
あなたは、神との平和を持っていますか。
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きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私は今、あなたとの平和を持っています。救い主イエスの犠牲の死を感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
列王記第二1~2、使徒の働き22
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2024年7月26日(金)☀28℃
台風3号の影響は強い風でした。
こちらでの雨量はそれほどでもないように感じました。
TV報道では東北地方の大前による被害が報じられています。
濁流の勢いは画面からも伝わります。
自然災害には「人」には太刀打ちできない脅威を感じます。
それでも今の時代、「予報」という「綱」がある。
われらの「人生」の「綱」はBIBLE。
幼いときからBIBLEに親しむ人生は、なんと素晴らしいかなと思う。それでも、人は2種に分かれていくのだろう。神を信じる者となるか否か。神を信じ、生涯「神」を見失わないで過ごせる人の幸いを思います。
ハレルヤ
常によろこび絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
尊き主イエスの御名によりて祈ります。
アーメン