サム上22章①1~5【アドラムとミツパ】…どんなに危険そうでも、御心の場所にいることが最も安全 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上22章1~5節

〔新共同訳〕

アドラムとミツパにおけるダビデ】(1)

1ダビデはそこを出て、アドラムの洞窟に難を避けた。

 

それを聞いた彼の兄弟や父の家の者は皆、彼のもとに下って来た。 2また、困窮している者負債のある者不満を持つ者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった四百人ほどの者が彼の周りにいた

 

3ダビデはモアブのミツパに行き、モアブの王に頼んだ。「神がわたしをどのようになさるか分かるまでわたしの父母をあなたたちのもとに行かせてください。」 

 

4モアブ王に託されたダビデの両親は、ダビデが要害に立てこもっている間、モアブ王のもとにとどまった。

 

5預言者ガドが、「要害にとどまらず、ユダの地に出て行きなさい」と言ったので、ダビデはハレトの森に移って行った。

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(聖句雑感)

ここでもまた、士師のエフタを思い出させます。

エフタはたしか、”ならず者”たちの大将?だった。

 

人の上に立つ者は、

彼を慕って頼ってその元に人が集まってくるのですネ。

不思議ですね。自らが立つのではなく、「人々」がその人を引き出し、立たせるのですネ。(もちろん『主の器』でもありますけどネ)

 

サウル王から逃げて来たダビデ。

そのダビデのもとに集まる400人。

 

ダビデの親、兄弟たち。

そして、困窮者、負債者、不満者。

なんだか、皆、アウトロー?

 

ダビデさんは、彼らを受け入れたのですネ。

一人でも多く「味方」がいることには

ダビデさんも心強かったのかもしれませんネ。

 

なんとも不思議なことです。(私的に)。

 

しかしながら、

モアブの王のもとに「両親」を預けてしまう。

イスラエルに安心できる所がない以上、

敵国で比較的敵意の小さな所に送ったということでしょか?

モアブはロトの子孫。もともと親戚のような血筋です。

最小のリスクをとったということなのでしょか?

いずれにしても 危険は危険な感じです。

 

 

「アドラム」と「ハレト。

新聖書辞典で見てみました。

 

新聖書辞典43p

アドラム

アゼカとソコを通過する道路に位置し、北部シェフェーラーからユダの丘陵地帯に至る主要道路の一つを支配していたカナン人の町。

 

ユダはこの地帯のカナン人の町々と友好関係を保ち、アドラムの婦人を妻に迎えている(創38:1-2)

その背景の中で、ユダとタマルの出来事が起きている。

 

アドラムの王は、イスラエルのカナン入国の際、ヨシュアによって打破された31人のカナン人の王たちの1人であり(ヨシ12:15)アドラムはユダ部族の相続地となった(ヨシ15:35)

 

ダビデは、ガテの王アキシュに保護を拒絶された後、アドラムに近い洞穴にサウルから逃れて身を隠したが、彼の親族や同調者たちも彼に加わり、行動を共にした(Ⅰサム22:1-2)この洞穴は、しばらくの間ダビデの本拠地となった(Ⅱサム23:13以下,Ⅰ歴11:15以下)

 

レハブアムは、西部および北部からユダの丘陵地帯へ侵入する敵に備える防備体制として築いた一連の要塞の一つとして、アドラムの要害を強化した(Ⅱ歴11:7)。

 

預言者ミカは、アッシリヤ軍のユダ侵略を記述している中で、アドラムについて言及している(ミカ:15)。また、バビロン捕囚から帰還した人々は、アゼカやラキシュなど近隣の町々と共に、アドラムにも再び住むようになった(ネヘ11:30)。

 

アドラムの遺跡は、普通、エルサレムの南西、ラキシュとエルサレムの中間にある。テル・エス・シェイク・マドクールと同定されている。

新聖書辞典1141p

ハレトの森

ユダの森。(ハレテの森)

ダビデがサウル王に追われた時、モアブを出て一時ここに身を隠した(Ⅰサム22:5)。ケイラとアドラムの間にある木の茂った山で、今日そこはカーラースと呼ばれる村ができており、キルベト・キラーの近くにある。

 

「ガド」という預言者が突然登場します。

「ユダの地へ出て行きなさい」と勧める。

「ガド」は「ダビデつきの預言者」としか辞書にはありません。

わざわざ、ダビデを尋ねて「要害」まで来たのでしょうか。

 

ダビデには常に「神のことば」がついている。

ダビデさんもまた、素直に預言者の言葉を聞き入れる器。

 

神さまがついていらっしゃるということは

また常に「助け手」が備えられているということのよう。

 

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解説を見てみました。

 

新実用聖書注解458p

ガテを抜け出したダビデは、ベツレヘムの南西約20㎞にあるアドラムの洞穴に避難した。そのことを伝え聞いた親族と、サウルの統治下で苦しみ、心に不満を募らせていた者たちとが、次々にダビデのもとに集まり、ついに4百人の集団となった(1-2)

 

ダビデは、年老いた両親はこのような厳しい環境に耐えられないであろうと思い、彼らをモアブの王に託した(3-4)ダビデの家系は、モアブ人の血統も継いでいたからである(ルツ4:13-22)

 

神が私にどんなことをされるかわかるまで(3)という言葉には、敬虔に神の導きを求めて歩もうとしているダビデの信仰が表されている。

 

ここに預言者ガドが登場し、明確に神の導きをダビデに伝える。それに従い、一行は更に南東へ数kmのハレテの森に移って行く

BIBLEnavi265p

問題を抱えた者、借金を負った者、不満を持つ者たちがダビデに合流した。彼らは放逐者であり、ダビデ王の就任を後押しすることでしか運命を好転させられない人であった。ダビデはこうした者たちを束ねることで、人を導きやる気を出させる才能と能力を示した。善良な人間を軍隊にまとめることも難しいが、ダビデに従ったような人たちを軍隊にまとめ上げるにはさらに優れたリーダーシップが必要だこのグループが後に、ダビデの軍事指導部の中核となった(Ⅱサムエル23:8以下)

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clay解説全文

アドラムからモアブへ

アドラムのほら穴

ペリシテ人の町ガテを抜け出たダビデは、ベツレヘムの南西約20kmにあるアドラムの町に避難します。そこは、ペリシテの領地とユダの領地との境であり、町の周辺には多くのほら穴がありました。そのほら穴は、ダビデにとっては格好の隠れ場となりました。

 

(1)そのことを伝え聞いた親族たちが、ダビデのもとにやって来ます。彼らは、サウル王に殺されることを恐れたのです。

 

(2)さらに、サウルの専制的な統治によって苦しんでいた人たち心に不満を募らせていた者たちがダビデのもとに集まるようになり、ついに400人の集団となりました彼らはダビデを指導者として認めていました

 

モアブのミツパ

(1)ダビデは、年老いた両親のことを心配しました。老人にはあまりにも過酷な環境だったからです。

(2)そこで彼は、家族を連れてモアブのミツパに行き、モアブの王に両親を託します彼がエドムやアモンではなく、モアブの地を選んだのは、先祖のルツがその地の出身だったからです

 

(3)モアブの王はダビデを高く評価していたと思われます。王はダビデの願いどおりにその両親を引き受けます。

 

(4)そのころ、モアブの要害にいたダビデのもとに預言者ガドが訪れ、神のことばを明確に語ります。その内容は、「この要害にとどまっていないで、さあ、ユダの地に帰りなさい」というものでした。これは非常に重要な預言でした。ダビデが召された地は、ユダの地です。そこでしか、ダビデの上には油注ぎがないのです

 

(5)そこでダビデはアドラムの要害を出て、さらに南東へ数キロのハレテの森に移って行きます。


ダビデの従順な姿に注目しましょう

 

ユダの地に移ることは、自らの身を危険にさらすことでもありましたしかし彼は、そこが神の約束の地であることを信じて、大胆にユダの地に向かいました

 

私たちの人生にも、このことが当てはまりますどんなに危険そうに見えても、みこころの場所にいることが最も安全なのです

 

あなたは今みこころの地から離れていませんかもしそうなら、あなたにとっての「ユダの地」に帰りましょう

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きょうの祈り

天の父なる神さま。どうか私が、みこころの地にとどまり続けることができますように、私を守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

サムエル記第一12~13、ルカの福音書23

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2024年5月26日(日)☁28℃

 

「みこころの地」?!

 

私的に、耳が痛くなるよなお勧めです。

わたしは、

「環境」を変えればよくなる、か

あるいは 事態が違って来る、と

「ふみとどまる」ことが

なかなかできない人生でありました。

 

(皮肉にも今は、動けない年月であります)

 

反省の極みですが、

動き回ったあげくの「実」が「今」であるなら、

おおいに失敗の人生だと突きつけられている次第。

 

「ふみとどまる」ことが出来る人はなんと幸い。

とても強い人だ。

 

ヘタに若く、エネルギーがありますと

「動く」ことが出来てしまいます。

これもまた悩ましいことです。

 

逆に、

年をとっても「動ける」人はまたなんと幸い。

歳に勝てず「動く」ことが出来なくなってくると

いやがうえにも「ふみとどまる」しかありません。

 

なんなんでしょう、これは。

 

「みこころの地」…。

それが示されて、そこに確信をもって

「ふみとどまる」ことができている人は 幸いですネ。

 

「みこころの地」、

それが示される人はなんて幸いなのだろう。

心からそう思います。

 

おもえば、

聖書に登場する人々には

それぞれに 彼らが行くべき、

いるべき「地」が示されて、

もしくは、「導き」があった。

 

「みこころ」を生きる人には

確実に「御心の地」が示されるのですネ。

 

このよな私にも

「みこころの地」なんてあるのかな。

そんなこと思います。

(あったら大変だ💦と思ってしまう…)

 

今ここを離れたくてしようがないけど

動けないでおり。実に苦しい日々であります。

正直。(-_-)汗

 

打開策はないものかと思案すれど

頭が痛くなって

具合も悪くなりそで、すぐ思考をやめます。

(-.-)。・・・。

 

勝利したいですね。

 

・・・・。

愚痴のようになってしまいましたが、

 

されど、

感謝できること探したく願います。

わたしの神さま、信じます。

 

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。

主イエス・キリストの御名を崇めて感謝致します。

アーメン

m(_ _)m