ハンナの祈り(1)「彼女は神がすべてをご存知で、すべての罪と高慢をさばかれると知っていた」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上2章1~3節

〔新共同訳〕

ハンナの祈り】(1)

1ハンナは祈って言った

 

主にあってわたしの心は喜び

主にあってわたしは角を高く上げる

わたしは敵に対して口を大きく開き

御救いを喜び祝う

 

2聖なる方は主のみ

あなたと並ぶ者はだれもいない

岩と頼むのはわたしたちの神のみ

 

3驕り高ぶるな、高ぶって語るな

思い上がった言葉を口にしてはならない

主は何事も知っておられる神

人の行いが正されずに済むであろうか

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(聖句雑感)

「わたしは敵に対して口を大きく開き

御救いを喜び祝う」

 

高らかな「勝利」宣言。

 

「聖なる方は主のみ。

あなたと並ぶ者はだれもいない。」

 

高らかに主を讃える。

 

「驕り高ぶるな、高ぶって語るな。

思い上がった言葉を口にしてはならない。

 

これまで受けてきたであろう

様々な誹謗中傷や嘲り。

それら一切は すべて主には明らか。

 

「復讐するは我にあり」とものたもう。

「主は何事も知っておられる神

人の行いが正されずに済むであろうか」

 

SNS全盛の今の時代、

「匿名」であれば 何を言ってもいいのか、

その言葉で傷つけられていく人が絶えない。

とても恐い時代。

 

もしくは、

そのつもりはない 他愛ない種類の

「ことば」すらも

三人三様の捉え方の違いもあって

傷つく人もいれば 笑い飛ばせる人もいる。

 

「信頼」という繋がりが皆無の所で

自分本位な「ことば」だけが横行する。

 

ネットはとても便利なようで

隠し持っている残酷さが

ひとたび顔を出せば

ブレーキがきかないよう。

 

つまるところ、

「人間性」とは

こういうものだということ。

 

驕り高ぶるな、高ぶって語るな

思い上がった言葉を口にしてはならない

主は何事も知っておられる神

人の行いが正されずに済むであろうか

 

ハンナさんも、

夫を等しくする女性に苦しめられた。

 

されど、ハンナさんは

その苦しみを「主」の前に

もってくることができました。

 

他者を傷つけることなく、

自分の傷とその問題を

ただひたすら主の前に出しました。

 

「主」を知る者の苦しみの乗り越え方。

ハンナさんの方法。

 

私的には、「いじわる」には耐え難い。

相手をとことん恨んでしまいそうだ。

その関係が近ければ近いほど。

 

「神さま」のこともそうだろう。

「聖書」があるからといって

自分勝手に読み進めて

自分勝手な「神像」を作り上げてしまうかもしれない。

これもまた、こわい。

 

「祈り」と「願い」の違いは何だろう?

と ふと思った。

 

「祈り」とは、

神への「賛美」に近いのかもしれないと思いました。

 

「祈る」ということは、

神をたたえていくことなのだな、と思いました。

 

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解説を見てみます。

 

BIBLEnavi241-242p

ハンナは 神が岩--ゆるぎなく、強固で不変--であられると賛美した。

 

めまぐるしく変化するこの世界では、友は現れては去り、状況はとめどなく変わる。変わることのない確かな基盤を見つけることは難しい。

 

達成、目的、所有物に自分の人生をささげる者は、有限で変化するものを拠り所としているのだ。私たちが骨を折って手に入れるものは、やがてすべて過ぎ去る

 

しかし神は常に存在される

神に希望を置こう

神は決して尽きることがない

 

ハンナがこのように語ったとき、ペニンナの傲慢を思い浮かべ反論していたことは疑う余地がない。

ハンナはペニンナに近づく必要すらなかった

 

彼女は、神がすべてをご存じで、すべての罪と高慢をさばかれると知っていた

 

ハンナは賢くも、神にさばきをゆだねた

 

自分自身の手で復讐したいという誘惑に負けてはならない

 

神は、あなたに不正を働いた人物の行いだけでなく、あなたの行いをも量られる

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clay解説全文

ハンナの賛歌(1)

主を誇る(1節)

Ⅰサムエル記2:1~10には、ハンナの賛歌が書かれています。この賛歌を、2回に分けて学びます。

 

この賛歌は、これを歌ったハンナの霊性がいかに豊かなものであったかを物語っています。

 

(1)彼女は誇っています。息子が誕生したことを誇るのではなく、それを可能にしてくださった主ご自身を誇っています与えられた賜物以上に、その賜物を与えてくださった方を喜んでいるのですこれこそ、真の信仰者の特質です

 

(2)「私の角は主によって高く上がります」と歌っています。「角」とは、力の象徴ですつまり、彼女は主によって力が与えられていることを誇っているのです

 

あなたはどこから、何によって力を得ていますか

 

(3)彼女は主からの「救い」を喜んでいますここで言う「救い」とは、不妊から解放されたことを指しています。

 

比類なきお方(2節)

次にハンナは、主が比類なきお方であることを宣言しています

 

(1)主のように聖なる方はいません

 

(2)主に並ぶことのできる神はいません

 

(3)主のように力強い神はいません

「岩」とは、力強い方という意味です

 

主はわが、わがとりで、わが救い主身を避けるわが岩、わが神わが盾、わが救いの角、わがやぐら」(詩篇18:2)と歌われているとおりです。

 

今、私たちの信じている神が、比類なきお方であり、圧倒的な力と栄光に満ちたお方であることを思い出しましょう

 

警告の言葉(3節)

次に警告の言葉が語られます。

 

人は主の前で高ぶったり、横柄な言葉を口から出したりしてはなりません

 

なぜなら、主は全能の神であり、私たちの心の内まですべてをご存知だからです

 

人の行為が良いか悪いかの判断は、全知全能の神がなさることです


さて、あなたはハンナの賛歌から何を学びますか

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きょうの祈り

聖なる神よ。あなたに並ぶことのできる神は、どこを捜してもいません私の魂は、あなたを誇り、あなたにつながっていることを喜びます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

出エジプト記33~34、箴言6~7

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2024年2月11日(日)☀19℃

 

とてもお天気の良い日曜日です。

午前中の湿度は30%台でした。

カラっとしていて体感温度は低い感じです。

 

今日は、午前中、

日曜の集会に行きました。

 

日曜日は、

主イエス・キリストの復活の日です。

 

久しぶりの日曜午前の聖会。

開口一番「復活」が語られます。

クリスチャンが「日曜」を喜び尊ぶこと

分かる気がします。

なんだか 楽しくなってきますね。

 

安息日土曜の集会とはまた

ひと味違う感じであります。

 

土曜日の替わりに!なんて

そんなことにはならないこと

自覚いたしました。

 

土曜は週の終わりの安息日。

主の定めたもうた第7日目。

日曜は、主の復活の記念の日です。

主のはじめの日。

 

安息(静)と活動(動)。

たった1日違いですけど、

なんとなく

雰囲気の違いを感じてしまいました。

 

いずれにしても感謝でした。

 

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「復讐するは我にあり」

 

私(たち)は 互いに

神にさばかれる者。

神は、あなたに不正を働いた人物の行いだけでなく、あなたの行いをも量られる

と BIBLEnaviさんが解説しています。

「私」も神に量られている、のですね。

 

よくよく心におさめたいです。

 

ハレルヤ

尊き主イエスの聖名によりて

今日のみことばに感謝いたします。