マルコ福音書15章24~26節
(マタ27:32-44,ルカ23:26-43,ヨハ19:17-27)
〔新共同訳〕
【十字架につけられる】
24それから、
兵士たちはイエスを十字架につけて、
その服を分け合った、
だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
25イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 26罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
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(聖句雑感)
イエスさまの「服」って、どんな「服」だったのだろう?
鞭打ちのあとだから、血痕などついていたのではなかろか。
このシーンはなかなかなれません。
兵士たちのふるまいが時におそろしくなる。
「わからない」ってことは、ある意味恐ろしい。
されど思う。
イエスさまを知ってなおも「罪」に飲み込まれてしまう者。
ユダさんは裏切り、ペテロさんは「知らない」と言い、お弟子さんたちは逃げ出してしまった。
イエスさまを知ってからなおも「罪」にひきずられる弱さ。
これもまた 恐ろしい。
イエスさまは、「ユダヤ人の王」。
真実なのに「罪状」。
今も昔も世の中は変わっていないよう。
「嘘」がまかり通る世の中です。
滑稽なくらいなのに、誰もそれを正せない。
「正義」は「闇」に勝てなかった。
イエスさまを十字架につけた者らは勝ち誇る。
ことわざに「敗けるが勝ち」なんてある。
意味は「無意味な争いは相手に勝利を譲る方が賢明であり、それが最終的な勝利につながる」とあります。
陰謀をはりめぐらして
イエスさまに勝利した者らは
実は 大いなる敗北にまた一歩コマを進めたのだ。
兵士たちの嘲りも、服の取りあいもみな、事の起こる何百年も前にすでに聖書に預言されていた。この名もなき「兵士」たちも、まさか自分がその日その時その場にいる人物となり、聖書にしっかりと記録される存在になったとは知る由もなし。
聖書の預言の一言一句、為されていく様はホント脅威です。
「死は勝ちにのみこまれたり」
アーメン ハレルヤ
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解説を見てみます。
■BIBLEnavi1000P
さいころを振ることは、偶然によって決定する方法である。兵士たちは、誰がイエスの着物を受け取るかを決めるために賭けをしたのである。ローマの兵士は、十字架にかけられた人の着物を自分の分として手に入れる権利を持っていた。
この行為は、詩篇22:18/22:19の預言を成就した。(以下略)
詩篇22:19(新共同訳)
19わたしの着物を分け
衣を取ろうとしてくじを引く。
■clay解説全文
十字架刑
〔着物をくじで分ける〕
福音書の記者たちは、イエスがどれほど苦しまれたかよりも、なぜ苦しまれたかに強調点を置いて書いています。十字架刑の苦しみが詳細に書かれていないのは、それがどういうものであったかは当時の読者たちにとって自明のことだったからです。しかし、その実体は極めて悲惨なものでした。
(1)十字架につけられた瞬間から、関節が外れ、骨々がばらばらになり、激痛が走ります。これは、詩篇22:14の成就です。「私の骨々はみな、はずれました」。
(2)イエスがカルバリの丘で十字架につけられたのは午前9時です(25節)。ちょうど同じ時刻に、神殿の丘では「過越の子羊」がほふられていました。このことから、イエスが私たちの罪を贖う「過越の小羊」となられたのがよくわかります。
罪人の衣服は、死刑を執行した兵士の取り分となりました。
当時の人々は、(1)上着、(2)下着、(3)頭を覆う布、(4)サンダルの四つを身につけていました。ここでは、4人の兵士たちがそれらを四分したのでしょう。
それ以外に、衣がもう一つ残りました。
この衣は、上から下まで全部一つに織ったものでした。
そこで兵士たちは、その衣のためにくじを引きました(ヨハネ19:18以下参照)。これは、詩篇22:18の預言の成就です。「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします」
罪状書き
ピラトの命令で、「ユダヤ人の王」という罪状書きが掲げられました。このことを詳細に記録しているのがヨハネです(19:19以下参照)。それによれば、ピラトは、ヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いたとなっています。
ユダヤ人たちは、「彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてくれ」と抗議しますが、ピラトは取り合いません。これはピラトがユダヤ人たちに示した精一杯の抵抗でした。
主イエスは、「ユダヤ人の王」であるばかりか、「全人類の救い主」でもあります。
主イエスは、私たちの罪のために十字架で苦しんでくださいました。ここに、愛があります。
主イエスの愛は、どんな時でも私たちから取り去られることはありません。
今、王の王であるこのお方を礼拝しましょう。
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きょうの祈り
天の父よ。主イエスは私のために、十字架の苦しみを通過してくださいました。私はこの方が私の主であり救い主であることを、人々の前で告白します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
出エジブト記1~2、ヨハネの福音書 4
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2024年1月26日(金)☁16℃
今日も1日終わります。
今日も1日弱かった。
汝弱しと言う勿れ
汝強しと言え。
(アーメン)
弱さに勝利したいものです。
99回転んでも
100回目にはしっかりと
立っているかもしれない。
今日は
今日もとても弱かった。
されどまた
明日も弱いとは限らない。
弱さから逃げ出そうとする
弱さに蓋をしようとする
それが いけないのかもしれないナ、
そう思った。
ハレルヤ
イエスさま
今日の弱さをご存知ですよね。
されど
尊き主イエスの御名を喜び
感謝させ給え。
イエスさまの強さを思わせ給え。
ハレルヤ