マルコ福音書14章23~25節
(マタ26:26-30,ルカ22:15-20,Ⅰコリ11:23-25)
〔新共同訳〕
【主の晩餐】(2)
23また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。
24そして、イエスは言われた。
「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 25はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」
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(雑感)
ヨハネ福音書6:33
神のパンは、天から降って来て、
世に命を与えるものである。
ヨハネ福音書6:35
イエスは言われた。
「わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者は決して渇くことがない。
ヨハネ福音書6:48
わたしは命のパンである。
ヨハネ福音書6:51
わたしは、天から降って来た生きるパンである。
このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、
世を生かすためのわたしの肉のことである。
ヨハネ福音書6:53-58
イエスは言われた。
「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
(アーメン)
「パンとぶどう酒」。
だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。---Ⅰコリ11:26---
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。---ヨハネ6:54---
主の聖餐は、
主イエスの「死」と「復活」に関わっているのですね。
主イエスを信じる者は、「聖餐」をとるべき、なのですね。
「わきまえて」取る。
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マタイ26:28
これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
レビ記17:11
生き物の命は血の中にあるからである。
わたしが血をあなたたちに与えたのは、
祭壇の上で
あなたたちの命の贖いの儀式をするためである。
血はその中の命によって贖いをするのである。
レビ記17:14
すべての生き物の命はその血であり、
それは生きた体の内にあるからである。
わたしはイスラエルの人々に言う。
いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。
すべての生き物の命は、その血だからである。
それを食べる者は断たれる。
ヘブル9:22
こうして、ほとんどすべてのものが、
律法に従って血で清められており、
血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。
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なぜイエスさまが「血」を流されたのか。
生き物の命である「血」。
「血はその中の命によって贖いをする」とあります。
「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」。
イエスさまの「血」がわたしたちの「贖い」であったこと、教えられます。
イエスさまが再び来られる時まで、
記念として、主の杯を取ること。
これは、主の死を告げ知らせ、主の復活に与ること。
わたしたちもまた主の死と復活に与ること。
罪赦され、永遠の命に生きること。
ハレルヤ
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解説を見てみます。
■clay解説全文
〔過越の食事の順序(続き)〕
最後の晩餐とは、過越の食事です。この食事の順序を理解しておくことは非常に重要です。
(1)第一の杯(感謝の杯)が配られました。
(2)イエスは、弟子たちの足を洗われました。
(3)第二の杯(裁きの杯)が配られました。
(4)パセリを塩水に浸して食べました。
(5)種なしパンが配られました。
これは、イエスのからだを象徴しています。
(6)次に、「ハロセット」と呼ばれる食物が配られます。
これは、りんご、ナッツ、蜂蜜、シナモン、ワインなどを混ぜて作られたもので、見かけは泥をこねたようです。エジプト時代に、レンガを作らされていたことを思い出すためのものです。家の主人が、ハロセットをパンの上に取って、それを客に配るのが当時の習慣です。
ヨハネの福音書13:26で、イエスはパン切れをイスカリオテのユダに与えておられますが、これはハロセットを載せたパンです。この時点で、ユダは席を離れます。
(7)その後に、メインコースが出されます。
(8)メインコースの後、第三の杯(贖いの杯)が配られます。
きょうの箇所でイエスが配っておられるのは、この「贖いの杯」です。
〔第三の杯(贖いの杯)の意味〕
イエスは、「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです」とお語りになりました。
(1)イエスが十字架上で流される血潮は、罪の贖いのためのものであることが明らかになります。
イエスが「贖いの杯」と呼ばれる第三の杯を契約のためにお用いになったのは、偶然ではありません。
(2)この杯は、イエスの再臨を指し示すものともなっています。
イエスは、「まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません」とお語りになりました。
「神の国」とは、メシヤ的王国(千年王国)のことです。これは、千年王国においてイエスが使徒たちとともに過越の祭りを祝われるという預言です。
聖餐式でパンとぶどう酒をいただくとき、私たちは罪が赦されたことと、主イエスが必ず再臨されることとを告白しているのです。
イエスを信じた人は、父なる神との契約に入った人です。
私たちの上に、神の守りがあることを感謝しましょう。
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きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。イエスが私の救い主、人生の主であることを信じ、告白します。御子イエスの血潮によって、私の罪は清められました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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2024年1月13日(土)☀18℃
猫ちゃんの様子が妙です。
全く食事をとりません。
元気ありません。
昨晩から 妙にまるまって
不憫なまでな態勢。
気になってしようがありません。
ワクチンの影響なのでしょうか。
まいったなぁと思う次第。
猫ちゃんに任せるしかありません。
つい、
「チキン買って来るからね」と
声かけてしまいました。
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clay解説さんの
過ぎ越しの食事の詳細は 目からウロコです。
所属する「教会」で、
そんなお話しは聞いたことはないのです。
異邦人教会の異邦人信者が
ユダヤ的な食習慣や生活習慣を知らないし行わないからといっても、聖書の背景にあるものを知識として得られることは、よりリアルに聖書のことばをイメージする助けとなる気がします。
ふと思ったのですが、
レビ記では「血」を飲むなと禁止されている。
でも、聖餐の杯では、主の契約の「血」を飲む、ということになりますネ?これって矛盾しないのかな?
イエスさまはおっしゃる。
55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
「わたしの肉を食べ、血を飲む者は」とおっしゃる。
神のことばを食べ、神の命を飲み込む。
なんとも すごいこと。
この身のうちに何が起こっているのか
すぐに自覚できる人はいるのかな?
主の聖餐にあずかって
この身の幸いの喜びを
いくどでも確認できますように。
ハレルヤ
尊き主イエス・キリストの聖名によって
今日の御言葉に感謝です。