ロマ書5:12~14「アダムの行い(1)」<転嫁された「罪」> | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

ロマ書5:12~14

<新共同訳>

アダムとキリスト

12このよなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように死はすべての人に及んだのですすべての人が罪を犯したからです

 

13律法が与えられる前にも罪は世にあったが律法がなければ、罪は罪と認められないわけです

 

14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。

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アダムの行い(1)

人類の代表アダム

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、─それというのも全人類が罪を犯したからです」(12節)とあります。

 

(1)「そういうわけで」というような接続詞が出てくる時は、よく注意する必要があります。接続詞は前後の文脈をつなぐ役割を果たします。ここでの「そういうわけで」は、これまでに述べた「義認に関する結果」が正しいのなら、次のことが言える、という意味です

 

(2)ここに出てくる「ひとりの人」とは、アダム(14節)のことです。ヘブル語では、アダムは固有名詞であると同時に、普通名詞でもあります普通名詞では「人」を指します

 

(3)アダムには、人類の代表としての役割が与えられていますつまり、アダムは全人類の代表として行動したので、その結果が全人類に及んだということです。このことをよく理解しておく必要があります。

罪が世界に入る

アダムによって罪が世界に入りました

 

しかし、

最初に罪を犯したのはエバです。

なぜ、「エバによって罪が世界に入った」と言わないのでしょうか

 

その理由は、エバには人類の代表としての役割が与えられていないからです。

 

(1)アダムの罪によって、肉体的死が世に入りましたそれが全人類に及んだのです。つまり、肉体的死はアダムの罪の結果なのです。

 

(2)私たちは、自分が犯す「個人的罪」のためではなく、アダムの罪に参加していたために死にますなんの罪も犯していない赤子でも死ぬのは、そのためです

 

(3)私たちはアダムの罪に参加していたというのが、「転嫁された罪」の内容です

 

ピレモン18〜 19節にこうあります。

「彼(オネシモ)があなた(ピレモン)に何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それは(パウロ)の借りにしておいてください」。

 

借りにする」という言葉は、「エロゲオウ」というギリシア語です。

 

ここでは、オネシモの罪をパウロが負うということつまり、オネシモの罪がパウロに転嫁されるということが示されています


転嫁された罪の解決法は、「キリストの義の転嫁」です

 

キリストを救い主と信じた人は、その義の転嫁を受けました

 

私たちは、もはや「転嫁された罪」に支配されることはありません

 

信者にとっては、死は呪いではなく、復活のいのちにつながる道です

 

このことを神に感謝しましょう

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きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私は「転嫁された罪」から解放されました死は私にとって、呪いではなく、永遠のいのちに至る門となりました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

ネヘミヤ記9~10、詩篇129 ~ 130

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