出エジプト記37:1~9「掟の箱」「贖いの座」<最後の到達点> | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

<新共同訳>

掟の箱

1ベツァルエルはアカシヤ材で箱を作った。寸法は縦二.五アンマ横一.五アンマ高さ一.五アンマ2純金で内側も外側も覆い、周囲に金の飾り縁を作った。3次に、四つの金環を鋳造し、箱の四隅の脚に、すなわち、箱の両側に二つずつ付けた。4箱を担ぐために、アカシヤ材で棒を作り、それをで覆い、5箱の両側に付けた環に通した。

贖いの座

6次に、贖いの座純金で作り、寸法は縦二.五アンマ横一.五アンマとした。7打ち出し作りで、一対の金のケルビムを作り、贖いの座の両端8すなわち一つを一方の端に、もう一つを他の端に付けた。一対のケルビムを贖いの座の一部としてその両端に作った9一対のケルビムは向かい合い顔を贖いの座に向け翼を広げてこれを覆った

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「牧師の書斎」さんの解説は

ここには引用できませんでした。

(私的にプリントアウトさせて頂きました)

 

リンク先☞「契約の箱に象徴されるイェシュア」

リンク先☞「贖いの蓋に象徴されるイェシュア」

 

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<clay>解説

契約の箱と贖いのふた

契約の箱(出25:10~16の成就)

契約の箱は、幕屋の中に置かれた種々の調度品の中で最も重要なもので、幕屋の一番奥の部屋である至聖所に置かれた。その箱の中には3 つのものが入れられた。

マナを入れた金の

十戒を記した石の板2 枚

芽を出したアロンの杖

 

この箱が重要である理由は、その上に神の臨在(シャカイナグローリー)がとどまったことにある。結論的に言うと、シャカイナグローリーこそ幕屋のいのちである

 

至聖所には、大祭司が年に1 度だけ入ることが許された。聖所と至聖所は、仕切りの幕で区切られていたので、至聖所の中には何の光もなかったその闇の中で大祭司が神に仕えることができたのは、契約の箱の上に神の栄光の光が輝いていたからである
 

幕屋の中に輝いたシャカイナグローリーは、新約聖書では、イエス・キリストの内に宿った

 

ヨハネは、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた私たちはこの方の栄光を見た父のみもとから来られたひとり子としての栄光であるこの方は恵みとまことに満ちておられた」(ヨハ1:14)と証言している。

 

旧約時代においては、イスラエルの民は幕屋の中に宿るシャカイナグローリーを見て、神がともにいてくださることを確認した。今の私たちは、イエス・キリスト(インマヌエルなる神)を仰ぎ見て、神がともにおられることを確認するのである

 

贖いのふた(出25:17~22の成就)

贖いのふたには3 つの役割があった

 

(1)神の御座としての役割。ふたの両側には、ケルビムが置かれた。ケルビムとは、最高位の天使たちのことである。聖書には、「ケルビムの上に座す神」という表現が、たびたび出て来る(1 サム4:4、2 サム6:2、2 列19:15、詩80:1 など参照)。

 

(2)贖いの場としての役割そこは、大祭司が自分の罪とイスラエルの民の罪のためにいけにえの血を振りかけ、「贖い」をする場所であった(レビ16:11 〜17)。

 

(3)啓示の場としての役割。神は、「わたしはそこであなたと会見し、…二つのケルビムの間から…語ろう」と言われた(出25:22)。
 

贖いのふたは、キリストの贖いを指し示す型である贖いのふたの上にいけにえの血が振りかけられ、神の怒りが静められたこのことは、イエスが十字架上で、私たちの罪のために、そのいのちを神にささげられたことを示す型である(ヘブ9:1 〜12)。

 

キリストの犠牲的愛を覚え、父なる神に感謝しよう

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※BIBLEnavi98-99p※

--37:1--

その箱(契約の箱とも呼ばれた)は、10のことばを保存するために作られた。神と神の民との契約の象徴だった。2つの金のケルビムと呼ばれる御使いが、その上に取り付けられていた。契約の箱は、イスラエルの最も神聖なものであり、幕屋の至聖所に保管された。大祭司は年に一度だけ、国全体の罪を贖うため、契約の箱のふた(贖いのふたと呼ばれた)に血をふりかけるために、至聖所に入った

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<clay>きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。あなたは、幕屋の中に、新約時代になってから啓示される霊的真理を置かれましたイエス・キリストの愛を具体的に理解できますことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

エゼキエル書24~25、

エペソ人への手紙1

 

本日も配信ありがとうございました。

m(_ _)m

 

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8月28日(日)☆彡

25.8℃/61%(エアコン稼働中)

 

少しずつではありますが、

涼しさも感じ始めましたが、

まだまだ湿気でべたつきます。

 

今日の日曜日は、

久しぶりに楽しく過ごせました。

Rちゃんの半年ぶりのお里帰り。

感無量でアリマシタ笑い泣き

よく育っています。

感謝でした。

 

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「出エジプト記」は

エジプトにおける10の徴(災い)、

紅海(葦の海)の不思議、

水とマナの不思議。

紅海の道がクライマックスかと思いきや

それらは、

シナイ山に辿り着くまでの前座。

ここからが まさに本番なのですヨネ。

 

「十戒(神から授かった10のことば)」

そして、幕屋建設。

 

ようやく「幕屋建設」に至るかと

思われたその矢先、

思わぬ民の背信によって

二の足を踏まされてしまいます。

 

この順序は、案外

われらの信仰の道のりにも

似ているような気がします。

 

しるし、不思議によって「神」を体感する。

暮らしに直結した神の働きを見る。

災いや危険からの保護も経験させられる。

これで「信仰」が根付くかと思われたとき、

思わぬ試練がやってくる。

されど、神の憐れみは尽きない。

最高の執り成し手の存在を再認識する。

ようやく

「真理」の一つ一つが明かされていく。

 

神さまが与えんとされる「真理」は

バーゲンセールとは違うのですヨネ。

 

豚に真珠を与えられるはずもなく。

 

神さまとて

この「真理」を誰にゆだねるべきか

世界中をみそなわし

その人材を探しに探している。

 

神さまの御心に適った「人」が

正しく広く我々に

その「真理」の深みを伝えてくださるように。

われ(われ)も

どのような手段であれ

伝えられた情報を

正しくキャッチできますようにと

願うばかりです。

 

どこもかしこも

暗闇迫る”情報”ばかり。

気が滅入って仕方ありません。

 

心を明るくしたい、

希望を持ちたいと願っても

もはや”世”には希望が見出せません。

ほんとうに暗くなるばかりです。

 

ソドム的な世界か

あるいは

絶対的な監視社会か。

いずれにしても息苦しい限りです。

 

「光」を見続けて

この暗きに勝利できますように。

 

尊き主イエスの御名によって

頼らせ給え。

尊き主イエスの御名を崇めさせ給え。

ハレルヤ

おねがい