<新共同訳>
【使命に伴うしるし】(2)
17それでもなお、モーセは主に言った。
「ああ、主よ。 わたしはもともと弁が立つ方ではありません。 あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。 全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
11主は言われた。
「一体、誰が人間に口を与えたのか。 一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。 主なるわたしではないか。 12さあ、行くがよい。 このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」
13モーセは、なおも言った。
「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」
14主はついに、
モーセに向かって怒りを発して言われた。
「あなたはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。
わたしは彼が雄弁なことを知っている。
その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。 あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。
15彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。 わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。
16彼は あなたに代わって民に語る。
彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。 17あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」
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とうとう、神さま、怒り出しました。
兄のアロンがこちらに向かっている?
これもまた、神さまのなさったことですネ。
モーセさんの必要を神はすべてご存知。
このとき、モーセさんには
「神に従う『信仰』がなかった?」
ということになるのでしょうか?
とうとう
「他の人を見つけて」と懇願します。
なぜ、こんなに尻込みしているのでしょうか?
杖が蛇に変わり、その手が一瞬で皮膚病になる、そんな「しるし」を得ても、なお 尻込みする最後の言い訳に「弁が立たず、口が重い」という理由をもってきました。
モーセさんにとっては、
エジプト人よりも
同胞の「ヘブル人」の方が
手ごわく感じた??
??
一つ返事で「行きます」と言っていたら、
兄アロンさんとの出会いのシーンは
ことの他際立ったに違いないと思います。
見えざる神の手、神の摂理の妙に
感極まっていたのではないでしょうか。
と、そんなこと思わされました。
(雑感)
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引用します。
※新実用聖書注解191p※
d. モーセの口(4:10-17)
この段落はモーセの更なる訴えである。
れに対する主の答えは2つの部分から成る。
1つは モーセの口と共にあるとの約束であり、もう1つは アロンが代わりを務めるとの約束である。 神はアロンの口と共にあることを約束された。
<私はことばの人ではありません>(10) とのモーセの訴えは、その使命の性質から考えると深刻なものである。
神の召命に対して弱さを訴える例はほかにもある
(例:士6:14-15、Ⅰサム10:20-24、Ⅰ列3:5-9、ウザ6:5-8、エレ1:4-10)。
これにより、神の言葉、神の支配、神の教え、神の救いは、人に由来せず、ただ神からのみ来ることが明らかにされる。 イスラエルの選びそのものがこれと同じ原理によってなされている。
ヤハウエは <だれが・・・するのか>(11)と問い、創造者としての圧倒的な力を示される。 更に <わたしがあなたの口とともにあって>(12)と、〔ヘ〕エフイェ・イム のモチーフを繰り返す。
13節の再度の訴えに対しても主は応えられ、アロンの補助者としての役割が示される。 <彼の口とともにあって>(15)。 17節で杖のことが再び取り上げられるのは、ためらうモーセを主があくまで用いようとされる御心の現れである。
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「自由意志」がある、というけれど、
なんだか、
主の召命には 逆らえない感じネ。
(゜.゜)
結局、「従わされる」ような 感じネ。
そして、もともと
主は その「召命」の
任に堪えられない「人」には、
そもそも目を留めるはずもなく。
ふと、その「召命」に
100%応えられた人物って
聖書の中にも
「イエス」さま以外
いないような気がします・・。
エリヤさんも逃げ出し、
サウル王様も失敗し、
ダビデ王も罪をおかしました。
大なり小なり。
モーセさんは
「神を畏れる」ことに
長けていたのかもしれませんネ。
だから、あれほど
謙遜であったのかもしれませんネ。
(雑感)
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<clay>
・彼は、「自分よりも弁
べん
が立つ人が派遣された方がいい」と言っているのだが、これは苦し紛れの言い訳である。
・人間の器官を造ったお方は、それを用いることも出来る。問題は、人間の側の意欲である。
・モーセは、「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください」と答えた。言い訳が尽きたので、懇願するしか方法がなくなったのである。
・ついに神は、モーセの優柔不断な態度に怒られた。
ここで神は、
①わたしがあなたに語る、
②あなたはアロンに語る、
③アロンは民に語る、という順番を示された。
この順番は、「啓示」という概念を理解するための助けになる。
(A)神がモーセの口を通して語る。
(B)アロンがそれを聞いて民に伝える。
(C)イスラエルの民がそれを聞く。
(D)その内容が文字として書き記され、出エジプト記として残る。
神の啓示は、A→B→C→Dという順番で私たちに与えられた。
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<clay>
その後の展開を見てみると、最初はアロンがモーセの代弁者として語るが、次第にその回数は少なくなって行く。モーセが自分の弱点を誇張していたか、経験が増すに従って弱点が克服されて行ったかのいずれかであろう。
私たちも、自分に与えられている賜物を過小評価してはならない。神から与えられている賜物を燃え立たそうではないか。
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたから与えられている賜物を正当に評価することができますように、私の目を開いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
出エジプト記27 ~ 28、ヨハネの福音書11
本日も配信ありがとうございました。
m(_ _)m
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2月9日(水)現時点で☀。
さきほどまでの曖昧なお天気が
ウソのよう。
明暗くっきりな風景あらわる。
ついつい
何が足りないのか と
思案しがちになるけれど
すっかり忘れてしまいそう
「感謝」を数えること
気分を明るくするために
気持ちを強くもつために
「感謝」を数えよう。
「感謝します」と
千回は無理でも せめて
百回・・・・
50回は 心の中でも
繰返してみようヨ、なんて
そんな思いがやってきました。
常に喜び絶えず祈り
すべてのこと感謝させ給え。
ハレルヤ
主イエスの御名によって
感謝せん。