<新共同訳>
【男児殺害の命令】(2)
18エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。
「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。」
19助産婦はファラオに答えた。
「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。 彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」 20神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。 民は数を増し、甚だ強くなった。 21助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。
【モーセの生い立ち】(1)
22ファラオは全国民に命じた。
「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」
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残酷な話しですネ。
女性にとってあまりにも悲しいことですネ。
女性の体は 乳飲み子のために変化しているはずです。
なんのための出産だったのか。虚しすぎます。
助産婦たちの「おこない」は
神の恵みを生じさせました。
神の御心に適うということは
神の恵みに与るということなんですネ。
「恵み」は
神に喜ばれた「結果」でもあるんですネ。
御心に適った生き方をしているならば
「恵み」は自ずとついてくるのですネ。
きっと。
「お恵みください」と祈るより先に
「主よ、御心を行わせてください」と
祈り求めるのが正しい順番かもしれませんネ。
(*^_^*)
(雑感)
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<clay>
神は、私たちが情報を正確に伝えるかどうかよりも、神に対して従順であるかどうかを問題にされる。
「神に対して従順であるかどうか」
(アーメン)
私たちの今の生き方は、神の祝福を受けるものとなっているだろうか。もしそうでないなら、私たちもまた「束縛状態」にあり、「解放」を必要としている。
私たちに与えられている「キリストにある自由」について、黙想してみよう。
「今の生き方」を問われれば、
私は まだまだ「束縛状態」であります。
悲しいかな。
そういえば、ふと思ったのでした。
その昔、私は信じた。
「復活」を信じた。
「イエス」は「神」と信じた。
そして「聖霊」を信じた。
信じると決めたとたんに 何もかもが軽くなった。
「信じる」ことが「スタート」だった。
「キリストにある自由」
ほんとうにそうだな、と思った。
「キリストにある自由」を
もっと真剣に
もっと黙想してみるのも いいのかもしれませんネ。
ここまできたらもう
「キリストにある自由」を謳歌したい!
とこそ 願う!
それしかない気がしてきました。
(-.-)・・。
すべては、
「信仰」と「希望」と「愛」。
この三つのみが 最後に残るもの。
感謝でした。
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天の父なる神さま。あなたは私のすべてをご存じです。どうか私をあらゆる束縛から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
創世記 47~48、マルコの福音書 16
本日も配信ありがとうございました。
m(_ _)m
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1月24日(月) ☀のち☁
本日は 「ぬくい」日でした。
そして、なんだかジメジメしていました。
快適とはちょっとほど遠かったカナ。
明日は洗濯日和との予報。
さて、どうなるかなぁ。
今日から、耳読復活。
通読箇所をCDで聞き流し作戦デス。
ながら・・・作戦です。
手抜き「通読」で
なんとかついていこう、と
必死であります。
ただ、やはり
集中力は続かないもので、
ときおり 話しが飛んでます。
💦
で、再生を繰り返す感じ。
なにはともあれ、
ついていければ幸いです。
ハレルヤ
今日も一日
イエスさま ありがとうございました。