出エジプト記1:15~17「シフラとプア」・・助産婦たちの選択 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

<新共同訳>

【男児殺害の命令】(1)

15エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。 一人はシフラといい、もう一人はプアといった。 

16「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女のコならば生かしておけ。」 

17助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた

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引用します。

 

※「牧師の書斎」出エジプト記(改)1※

参照リンク→神を畏れる助産婦たちの勇気ある行動

3. 神を恐れる助産婦たちの勇気ある行動

神の計らいが実現していく背景に、神を恐れる助産婦たちの存在があったことを聖書は明確に記しています。

1章には、なんと9回(7回は名詞、2回は動詞)も登場します。

 

「助産婦」は「産む、生む」という動詞「ヤーラド」(יָלָד)の名詞形です(15, 17, 18, 19, 19, 20, 21)。この動詞が強意形のピエル態で使われると、「産むことを助ける、産婆として助ける」という意味になります。

 

二人の助産婦の名前は「シフラー」(שִׁפְרָה)と「プーアー」(פּוּעָה)。この二人の名前が記されているのは、おそらく、彼女たちがエジプト王の命令に背いてでも、神を恐れて男の子を殺さなかったことが高く評価されているからだと思います。王に問い詰められたときにも、「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです」と機知に富んだことを述べています。しかし、これはある意味で「いのちを賭けた行為」であり、神はこのことのゆえに彼女たちを大いに祝福しています。ヘブル人のすべての助産婦がこの二人と同様にしたのではなかったのかもしれません。

 

・エジプトの男児殺害計画がいつまで続いたのかは記されていませんが、過酷な重労働はこのあとも、つまり、少なくとも80年は続いていくのです。エジプトの王の命令にも決してひるまなかった二人の助産婦の存在は、この世にあって寄留する私たち神の民にとっての大きな励ましです。イスラエルの民をエジプトから救い出すために用いられたモーセの誕生は、こうした神を恐れる助産婦たちのいのちを賭けた行動によるところがきわめて大きかったと言えるのではないかと思います。

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<clay>

古代の法律では、子どもの人種は、父親によって決まった。イスラエル人の女がエジプト人と結婚して子を産むなら、その子はエジプト人となり、エジプトの人口増加につながる。あるいは、イスラエル人の女を別の人種の奴隷と結婚させて子を産ませるなら、奴隷の数は増える。いずれにしても、イスラエル人の女の子を生かしておくことは、エジプトにとって好都合である。しかし、男の子の場合は、そうはいかない。成人すると、エジプトへの反逆をてるかもしれない。それで、男の子だけを殺せという命令になったのである。

「シフラ」と「プア」

・彼女たちは、助産婦集団を統率する管理者であったと思われる。彼女たちは、エジプト人の王を恐れるか、神を恐れるかの選択を迫られた

 

助産婦たちは、神を恐れることを選び取ったこの選択は、神の義にかなったものである

 

無力な助産婦たちは、信仰によってパロに勝利したのである

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※BIBLEnavi66p※

--1:17-21--

パロの命令に反して、助産婦たちはヘブル人の男の子を生かしておいた。 神への信仰心が助産婦たちに、正しいことのために立ち向かう勇気を授けたのだ。 このような状況において、権力者に従わないことは適切な選択である。

 

聖書には、自分から進んで自らのいのちを犠牲にしてまでも神に従うことで、他の人々を救う者たちが、良い模範として数多く記されているエステルとモルデカイ(エステル3:2,4:13-16)シャデラクメシャクアベデ・ネゴ(ダニエル3:16-18)などは、その一例である。 

 

どんな国でも、全体が不道徳(民族間での憎しみ、奴隷制度、投獄や虐待)に陥ることはありうるので、多数派や権力に従うことは、常に正しいわけではない

 

神のことばに従うなと命令されるときは、人間の権力ではなく、神のことばに従わなければならない(使徒5:29)

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使徒言行録5:29

ペトロとほかの使徒たちは答えた。

人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません

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「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」

 

言うは易し、なのです。

「言うは易く行うは難し」

 

キリスト者への迫害の歴史。

耳を疑うほどの凄まじさです。

また、

20世紀におきたユダヤ人迫害。

それらを見聞きするにつけ

いずれも、

「人間」が「人間」にすることだろうかと

思わざるをえません。

 

 

「恐怖」に打ち勝って

「己」を捨て

「神のことば」に従う。

 

イエスさまは

その姿をも見せてくださいました。

 

すごいお方だなと

あらためて思いました。

 

「シフラとプア」さん。

聖書にお名前が記録された女性。

神に従う女性たちがいてこそ

「モーセ」が誕生し、守られた。

 

神に従う力を与えてくださるのも

また 神さまであることを思うと

どこまでも

神さまによりすがっていくことの

幸いを 感じました。

(雑感)

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<clay>

聖書には、「【主】を恐れることは知識の初めであるか者は知恵と訓戒をさげすむ」(箴1:7)とある。

 

この2 人の助産婦の選択を自分の生活に適用してみよう。日々の生活において選択を迫られた時、私たちは何を基準に道を選んでいるだろうか。【主】を恐れることこそ、知恵ある道であり、祝福を受ける秘訣である。

全知全能の神よ。私の内に、あなたへの恐れを作り出してください聖書が教える知恵と知識を私に体験させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

創世記 45~46、箴言 4

 

本日も配信ありがとうございました。

m(_ _)m

 

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1月23日(日)☔&☁

天気予報はおおいにハズレ。

汗ばむどころか 寒いし湿っぽい。

まぁ、こんなこともあるんですネ。

 

天気予報をあてにして

日曜日に予定をたてていたものの

こんな天候ではなぁ・・・と

あきらめることにしました。

 

ちょっと先延ばした結果が

こんなんです。

 

まだまだ、先延ばしの癖には

悩まされます(>_<)。

 

「シフラ」さんと「プア」さんのように

自身の職業が

神のご計画のために用いられ

その名が何千年もめんめんと

後の世代へと知られることとなった、

そんな勇気ある女性たちの存在を覚え

 

どんなに地味な仕事でも

神さまの栄光を拝せるのだと

そう信じたいな と思わせて頂けました。

 

今日も一日

イエスの御名を崇めさせ給え。

ハレルヤおねがい