隣人と「平和の契約(友情契約)」を結ぶことは、自らを守る最善の方法である。
「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」(ロマ12:18)。
アブラハムは、この原則を実行した旧約聖書の偉人である。平和の神が、私たちを平和の人にしてくださるように祈ろうではないか。
(アーメン)
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「事を穏便にすませる」ため、
案外 「自分が我慢すればよい」と考える時もある。
アブラハムさんなど、聖書の偉人のやり方を見ていると、「正義」を押し曲げてまでも隣人に譲ったりはしていないような気がする。 事の経過の正しい認識を示す。 「公平」にものを見て 譲るべきは譲り、守るべきは守り、主張するべきは主張する。 「平和」の土台にある「善」の道。
それでも、「悪」のなすがままにされてしまう時もある。
ここに「信仰」が求められるのかもしれない。
「お人よし」という言葉があるけれど、
聞えはよさそうだけれど、
「おひとよし」の結果となるまでの見えざる内面の葛藤。
「放棄」なのか、「忍耐」なのか。
「聖書」の神は、「おひとよし」ではありません。
「峻厳」と「慈愛」。
「裁き」と「赦し」。
世間一般のイメージする「隣人愛」からは
とてもとてもかけ離れたものなのだと思います。
「神の愛」と「ヒューマニズム」。
似て非なるもの。
より深い聖書の神の世界へ
より多くの日本人の方が触れてほしいと願います。
ハレルヤ
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本日の通読箇所
・レビ記6~7章
・ヨハネ福音書18章
今日も配信ありがとうございました。
m(_ _)m