創世記21:22~34「平和の契約」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

 

隣人と「平和の契約(友情契約)」を結ぶことは、自らを守る最善の方法である。

 

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」(ロマ12:18)。

 

アブラハムは、この原則を実行した旧約聖書の偉人である。平和の神が、私たちを平和の人にしてくださるように祈ろうではないか。

 

 

(アーメン)

 

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「事を穏便にすませる」ため、

案外 「自分が我慢すればよい」と考える時もある。

 

アブラハムさんなど、聖書の偉人のやり方を見ていると、「正義」を押し曲げてまでも隣人に譲ったりはしていないような気がする。 事の経過の正しい認識を示す。 「公平」にものを見て 譲るべきは譲り、守るべきは守り、主張するべきは主張する。 「平和」の土台にある「善」の道。

 

それでも、「悪」のなすがままにされてしまう時もある。

ここに「信仰」が求められるのかもしれない。

 

「お人よし」という言葉があるけれど、

聞えはよさそうだけれど、

「おひとよし」の結果となるまでの見えざる内面の葛藤。

「放棄」なのか、「忍耐」なのか。

 

「聖書」の神は、「おひとよし」ではありません。

「峻厳」と「慈愛」。

「裁き」と「赦し」。

 

世間一般のイメージする「隣人愛」からは

とてもとてもかけ離れたものなのだと思います。

「神の愛」と「ヒューマニズム」。

似て非なるもの。

 

より深い聖書の神の世界へ

より多くの日本人の方が触れてほしいと願います。

 

ハレルヤ

おねがい

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本日の通読箇所

・レビ記6~7章

・ヨハネ福音書18章

 

今日も配信ありがとうございました。

m(_ _)m