「神からの報い」p149-p150より
ジョン・ウエスレー
以下の個所には、笑顔でゴールに到達した大勢の人の
ことと、彼らが厳しい戦いと華々しい勝利ののちに獲得し
さらに高次の栄光について書かれている。
黙示録14:1、15:2、19:1、20:4。
もう一つの世には、想像もできないようなさまざまな段階
の報いがある。
どんな怠け者も、
「天国に行けさえすれば、それで満足だ!」と
言ってはならない。
そのような者は結局 天国に入り損なうかもしれない。
世的なことにおいては、人はできるだけ高く昇ろうと野心
を燃やすものである。
クリスチャンには はるかに崇高な野心がある。
この世の一番高い地位と一番低い地位の違いは、
栄光の度合いの差のうちの一番小さいものと比べても
取るに足りない。
聖句引用個所(新共同訳)
黙示録14:1
”また、わたしが見ていると、見よ、
小羊がシオンの山に立っており、
小羊と共に 十四万四千人の者たちがいて、
その額には小羊の名とが記されていた。”
黙示録15:2
”わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。
更に、
獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。
彼らは 神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていた。”
黙示録19:1
”その後、わたしは、大群衆の大声のようなものが、
天でこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。
救いと栄光と力は、わたしたちの神のもの。”
黙示録20:4
”わたしはまた、多くの座を見た。
その上には 座っている者たちがおり、
彼らには裁くことが許されていた。
わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、
首をはねられた者たちの魂を見た。
この者たちは、あの獣もその像も拝まず、
額や手に獣の刻印を受けなかった。
彼らは生き返って、キリストと共に千年の間 統治した。”
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どうであろう・・。
わたしは、”どんな者でも”・・・、
キリストを受け入れ、信仰を告白し、聖霊を受け、洗礼を受けるならば
”天国に行ける” と、信じていた。いや、そう信じています。
たしかに、怠けることは良くないのですが、
それでも、”信じて救われた”こと自体、不可思議な賜物です。
熱心に働ける人もいましょう。されど、悲しいかな、確信の差により
悩みのままの生涯をおくる人もいるのだと思います。
救いの門をくぐったけれど、その先の困難に圧倒されて なかなか
スッキリしない道を行きつ戻りつしている人。
(わたしもそうだ)
”どんな怠け者も、
「天国に行けさえすれば、それで満足だ!」と
言ってはならない。
そのような者は結局 天国に入り損なうかもしれない”
このようなことは、衝撃であります。
この言葉には、どのような深い意味があるのでしょう。
怠ける口実として 「天国に行けさえすれば、満足だ!」と言う
その心根がよくないのでありましょうか・・。
しかし、わたしも 時に 思うのであります。
「天国にさえいければ、幸いなのだ」と。
これは、現状打破できぬ者ゆえのもがきの言葉なのかもしれませぬ。
それでも、やはり、思います。
「天国に行けるのであれば、幸いだ。」
信じること、ただ、そのことのみによって、道は開けたのだから。と。
ハレルヤ