「波動」

ということなのだろう。




年末あたりから、

今まで仲が良かった友人たちと遠ざかり、

代わりに、

数年前につき合っていた友人たちが、急速に近づいてきている。




相互にはまったく関係がない人たちなのに、

みんな突然連絡を取って来たり、

今までタイミングが合わなくて会えなかったのが会えるようになったり。




それも、もちろんある時代のときの人のまとまり=人的クラスターだ。

直接的な関係はないが、

僕のなかでは関係がある人たち。




確実にまとまりのあるものとして起こる出会いのシンクロ。

仕事のシンクロ。

まさに非因果律の世界。

これの暗示するものは何だろう・・・?




人生は本当に不思議で、

面白い。




PS.

今は、水口先生の「シンクロニシティ・セミナー」を受けたから、

その意味がはっきりと分かる。

今週末にまたあるけど、

本当に役に立つセミナーだなあ、と実感。



今週末、何が起こるか、楽しみです!
人生が幸せであるためには、

自分の周りにある『当たり前』が、

当たり前でないと、気づいて感謝していられるかだと思う。




たとえば、

働いて給料がもらえる幸せ、

会社がきちんとまわる幸せ、

毎日おいしく安全に食べられる幸せ、

生活できるお金がある幸せ、

友人がいてくれる幸せ、

親が自分のことを想ってくれている幸せ、

子供がいてくれる幸せ、

批判をしてくれる人がいる幸せ、

感謝をしてくれる人がいる幸せ、

勉強できる幸せ、

成長しようという気にさせてもらえる幸せ、

家がある幸せ、

仕事場がある幸せ、

楽しい時間を過ごせる幸せ、

息がすえる幸せ、

動ける幸せ、

などなど。




当たり前のことは、

きっと『誰か』が自分にしてくれていること。

自分がそれに気づき、大事に思わないなら、

それはいつか逃げていくだろう。




でもこれは、

『これで満足しなさい』

ということではない。




自分に与えられるものに感謝をしながら、

もっと幸せになればいい。




人というのは、喜んで与えてくれる存在だから、

喜んでいっぱいもらったらいい。




いつもブログ読んでくれて、ありがとう。

おかげさまで、

もっと良い記事を書こう、

もっと勉強しよう、

もっと成長しよう!

という気になります。

感謝。
人生には何度も、道に迷うときがある。

トラブルが起こったとき、

物事に失敗したとき、

新しく何かをはじめるとき・・・etc.




そんなとき、

僕は自分の胸に手を当て、

こう問いかける。




自分は正しい『人の道』にいるだろうか?

自分は『人』として『正しい行い』をしているだろうか?




たとえ他人がどうであれ、

僕は人として正しい道を歩きたい。

自分のたちの子孫たちに、祖先たちに、恥ずかしくない人生を歩みたい。




人を裏切っていないか?

自分の過ちをきちんと見つめているか?

他人の悪口をいっていないか?

自分の責任をきちんと取っているか?

感謝しているか?

ウソはついていないか?

成長を止めていないか?

傲慢になっていないか?

仕返しをしたりしていないか?

自分自身も大事にしているか?

他人を恨んだり妬んだりしていないか?




「自分の見え方」と「他人からの見え方」とは違うものだから、

相手のことをとてもとても大事に想っていたとしても、

ときにはすれ違いが起こる。




どんなに相手に合わせようとしても、

結局他人は他人。

他人に自分の気持ちをちゃんと理解してもらうことなんてできない。




人生に客観的な基準はない。

ある人がなにをしているから正しい/間違っている、ということはいえない。

行動がある程度は心を映しだしているからといっても、

やっぱり「ある心」=「ある行動」とはなりえない。




だから、

同じことでも、

人によって、

「それは間違っている/正しい」

「約束を破った/守っている」

「大事にしてない/している」

なんてなることは多々ある。




だから最後は、「自分の心」に問いかけるしかない。

自分は自分に恥じるような行いはしていないか?

自分は「正しい」行いをしているか?

と。




昔の人がいった通り、

自分の胸に手を当て、じっくりと考えてみたとき、

自ずとその問いの『答え』は浮かんでくる。




人生を「うまくやる」ことは難しい。

自分の見えないところで、間違うこともある。

でも僕はただ、『人』として何一つ『恥じる』ことなく生き、そして死にたいと心から思う。