キマです。
今日は、また人生について、1つ大きな気づきを得たと思います。
人生に迷っている人、
「私はどうしたらいいの?」と思っている人、
「人生ってむなしい・・・」と感じている人など、
ぜひ読んでみてください。
正直、小難しい記事になってしまいましたが・・・・
さて、
人は「自分」のために生きようとするのではなく、
『家』のために生きるべきである。
というのは、
僕が日本の昔の考え方を学び、
自然を見ていると、そうである、と思えるものでしたが、
この言葉のもう1つ深いところの意味を今日、理解したように思います。
というのは、
『家』のために生きる、
というのは、
『子供』のために生きる、
のとは違う、
ということです。
自分も2歳半の娘を育てながら、
「やっぱり人は子供のために生きているなあ…」
なんて思ったりもしながら、
どうもそれで起こる微妙な「難しさ」みたいなものを感じていました。
というのは、
文字通り「子供のために生きる、」と、
子供のためにならないことがあるからです。
カンタンにいってしまうと、
子供を「甘やかし」すぎてしまうし、
親が「子供に依存」してしまう可能性が高くなってしまいます。
「そのあたりは『バランス感覚』でしょう」、
なんて、
たしかに正しいんだけど曖昧な言葉では、
正直それは非常に難しい。
なんてたって「子供は可愛い」しね。
でも、ここで注意しないといけないのが、
「子供のため」と親が考え過ぎると、
『場』の中心が「子供」になってしまう。
つまり、それで何が起こるかというと、
これは恐ろしや、恐ろしやですが・・・
ようするに『生意気な子供』、
『親よりも偉いと勘違いしている子供』
ができてしまう。
そう、
「人は子供のために生きる」
と自分で書きながら、
おぼろげに感じていた違和感はコレだったんだな。
日本には今、
両極端の人が溢れている。
1つは、『自分大好き』の人。
「自己実現」のために、なるべくはやく子供を預け、
「自分の仕事」「自分の夢」のために生きようとする人。
これは西洋思想であり「自己」を大事にする「個人主義」が生んだ産物。
高度経済成長にともなって増えてきたタイプで、
「団塊の世代」から、バブル時代までに大人になった人、いわゆる「バブル世代」に多い。
彼らに待っているものは、
「人生の虚しさ」だ。
これは欧米でもだいぶテーマになってきているようだけど、
「自分中心」で生きていると、
『死んだら全て終わり』となってしまうから、とても苦しく、虚しい。
「老いる」ことは「怖い」ことになる。
子供も「自分のため」に生きるから、
親は見捨てられるのだ。
こういう人は、そもそも子供や家庭を持たない人も多いから、
そして、人生の最後は孤独と恐怖のなかで過ごすことになる。
一方、こういう親を持った子供は、
永遠の「寂しさ」におそわれる。
誰といても、いつまでも『孤独』を感じる。
とにかく「さびしい・・・さびしい」と、
「人とのふれあい」を求め続けるが、
もちろん満たされることはない。
もう1つは、「自分」を失い、「生きる理由」を見いだせない人。
自分の人生を、我が子に捧げてしまう。
「団塊の世代」以前と、「バブル崩壊後の世代」で増えつつある。
バブル崩壊後の世代で増えているのは、
「自分の人生」を大事にする親に育てられたからだ。
ようするに上のタイプの親が増えたことによる自然な反動。
このタイプの人は、
「自分探し」に奔走する。
一部の人は、「自分の夢」を見つける。
でも多くの人は、当然ながら見つけられない。
全ての人が「自分のやりたいこと」「自分の夢」なんてあるワケがないから、
当然といえば当然のことなのだけど・・・
最終的に彼らが反応するのは「他人のために自分を犠牲にする」ということ。
人を癒すこと、
人が喜んでくれること、
人を助けること、
が嬉しい。
恥ずかしながら、僕もどちらかといえば、コチラの世代だ。
もちろんそれ自体は悪いことではないけれど、
ときどきいろいろなトコロで話題になるように、
「自分のため」に他人が必要なので、
注意していないと、
「搾取」というカタチになったり、
「相互依存」というカタチになりやすい。
このタイプの親を持った子供は、
人生でいつも重圧を感じ続ける。
というのは、自分に親の人生がのっかってくるからだ。
重圧で潰されてしまう子、
自分の夢を失ってしまう子。
また子供によっては、そんな親をバカにし、また「大人」をバカにするようになる。
だって、人生は自分を中心に回っている、と思ってしまうからだ。
でも、甘やかされて育ったので、社会に出ると容易に潰されるため、自立ができない。
これはどちらも問題で、
そして、どちらも日本にたくさんいる。
じゃあ、どうしたらいいの?
自分のために生きるべきか?
子供のために生きるべきか?
そう、そこで出てくるのが、
『家』のために生きる、
ということ。
『家』とはどういうことかというと、
「祖先」「自分」「子孫」
が全部大事にされている、ということだ。
自分は祖先(もちろん「親」も含め)のお陰で、
ここにこういう状態でいられる。
それに感謝し、
その恩に報いるため、自分は自分を大事にしつつ、子供のために生きる。
子供のために生きる、
といっても、
祖先の愛情を感じて、自分も大事にしなければいけない、
自分も素晴らしい人生を歩まないといけない。
そして、
祖先からの想いを繋げていくために、
子供が「立派な大人」になってもらわないといけない。
つまり、
『家のため』と判断基準を持つと、
「自分のため」と「子供のため」のバランスを取りやすくなるのだ。
自分も最高の人生を生きなければならない。
子供も最高の人生を歩んでもらわないといけない。
「自分のため」そして「他人のため」に生きる。
ちょっと難しい言葉を使うと、
ようするに『高い抽象度』をもって子育てができるようになる、
というワケ。
「高い抽象度」を持てば、
自分が今やっていることの意味・結果・状況を客観視できる。
ちょっとカンタンにしてみよう。
子育てで悩んだときに、
「コレは、『家』が繁栄していくことに繋がるだろうか?」
と考えたらいい。
そう考えたとき、
あなたの判断には、
「あなた」と「子供」だけでなく、
ずーーーーーーーーっと繋がっていく祖先たちと、
ずーーーーーーーーっとつながっていく子孫たちが含まれていく。
これって、とても力強いことですよ。
だって、ものすごくたくさんの人と一緒に生きている、ってことなんですから。
というわけで、
今日はうまく表現することが困難だったので、
なんか小難しい文章になってしまいましたが、
楽しんでいただけたでしょうか?
今日は、また人生について、1つ大きな気づきを得たと思います。
人生に迷っている人、
「私はどうしたらいいの?」と思っている人、
「人生ってむなしい・・・」と感じている人など、
ぜひ読んでみてください。
正直、小難しい記事になってしまいましたが・・・・
さて、
人は「自分」のために生きようとするのではなく、
『家』のために生きるべきである。
というのは、
僕が日本の昔の考え方を学び、
自然を見ていると、そうである、と思えるものでしたが、
この言葉のもう1つ深いところの意味を今日、理解したように思います。
というのは、
『家』のために生きる、
というのは、
『子供』のために生きる、
のとは違う、
ということです。
自分も2歳半の娘を育てながら、
「やっぱり人は子供のために生きているなあ…」
なんて思ったりもしながら、
どうもそれで起こる微妙な「難しさ」みたいなものを感じていました。
というのは、
文字通り「子供のために生きる、」と、
子供のためにならないことがあるからです。
カンタンにいってしまうと、
子供を「甘やかし」すぎてしまうし、
親が「子供に依存」してしまう可能性が高くなってしまいます。
「そのあたりは『バランス感覚』でしょう」、
なんて、
たしかに正しいんだけど曖昧な言葉では、
正直それは非常に難しい。
なんてたって「子供は可愛い」しね。
でも、ここで注意しないといけないのが、
「子供のため」と親が考え過ぎると、
『場』の中心が「子供」になってしまう。
つまり、それで何が起こるかというと、
これは恐ろしや、恐ろしやですが・・・
ようするに『生意気な子供』、
『親よりも偉いと勘違いしている子供』
ができてしまう。
そう、
「人は子供のために生きる」
と自分で書きながら、
おぼろげに感じていた違和感はコレだったんだな。
日本には今、
両極端の人が溢れている。
1つは、『自分大好き』の人。
「自己実現」のために、なるべくはやく子供を預け、
「自分の仕事」「自分の夢」のために生きようとする人。
これは西洋思想であり「自己」を大事にする「個人主義」が生んだ産物。
高度経済成長にともなって増えてきたタイプで、
「団塊の世代」から、バブル時代までに大人になった人、いわゆる「バブル世代」に多い。
彼らに待っているものは、
「人生の虚しさ」だ。
これは欧米でもだいぶテーマになってきているようだけど、
「自分中心」で生きていると、
『死んだら全て終わり』となってしまうから、とても苦しく、虚しい。
「老いる」ことは「怖い」ことになる。
子供も「自分のため」に生きるから、
親は見捨てられるのだ。
こういう人は、そもそも子供や家庭を持たない人も多いから、
そして、人生の最後は孤独と恐怖のなかで過ごすことになる。
一方、こういう親を持った子供は、
永遠の「寂しさ」におそわれる。
誰といても、いつまでも『孤独』を感じる。
とにかく「さびしい・・・さびしい」と、
「人とのふれあい」を求め続けるが、
もちろん満たされることはない。
もう1つは、「自分」を失い、「生きる理由」を見いだせない人。
自分の人生を、我が子に捧げてしまう。
「団塊の世代」以前と、「バブル崩壊後の世代」で増えつつある。
バブル崩壊後の世代で増えているのは、
「自分の人生」を大事にする親に育てられたからだ。
ようするに上のタイプの親が増えたことによる自然な反動。
このタイプの人は、
「自分探し」に奔走する。
一部の人は、「自分の夢」を見つける。
でも多くの人は、当然ながら見つけられない。
全ての人が「自分のやりたいこと」「自分の夢」なんてあるワケがないから、
当然といえば当然のことなのだけど・・・
最終的に彼らが反応するのは「他人のために自分を犠牲にする」ということ。
人を癒すこと、
人が喜んでくれること、
人を助けること、
が嬉しい。
恥ずかしながら、僕もどちらかといえば、コチラの世代だ。
もちろんそれ自体は悪いことではないけれど、
ときどきいろいろなトコロで話題になるように、
「自分のため」に他人が必要なので、
注意していないと、
「搾取」というカタチになったり、
「相互依存」というカタチになりやすい。
このタイプの親を持った子供は、
人生でいつも重圧を感じ続ける。
というのは、自分に親の人生がのっかってくるからだ。
重圧で潰されてしまう子、
自分の夢を失ってしまう子。
また子供によっては、そんな親をバカにし、また「大人」をバカにするようになる。
だって、人生は自分を中心に回っている、と思ってしまうからだ。
でも、甘やかされて育ったので、社会に出ると容易に潰されるため、自立ができない。
これはどちらも問題で、
そして、どちらも日本にたくさんいる。
じゃあ、どうしたらいいの?
自分のために生きるべきか?
子供のために生きるべきか?
そう、そこで出てくるのが、
『家』のために生きる、
ということ。
『家』とはどういうことかというと、
「祖先」「自分」「子孫」
が全部大事にされている、ということだ。
自分は祖先(もちろん「親」も含め)のお陰で、
ここにこういう状態でいられる。
それに感謝し、
その恩に報いるため、自分は自分を大事にしつつ、子供のために生きる。
子供のために生きる、
といっても、
祖先の愛情を感じて、自分も大事にしなければいけない、
自分も素晴らしい人生を歩まないといけない。
そして、
祖先からの想いを繋げていくために、
子供が「立派な大人」になってもらわないといけない。
つまり、
『家のため』と判断基準を持つと、
「自分のため」と「子供のため」のバランスを取りやすくなるのだ。
自分も最高の人生を生きなければならない。
子供も最高の人生を歩んでもらわないといけない。
「自分のため」そして「他人のため」に生きる。
ちょっと難しい言葉を使うと、
ようするに『高い抽象度』をもって子育てができるようになる、
というワケ。
「高い抽象度」を持てば、
自分が今やっていることの意味・結果・状況を客観視できる。
ちょっとカンタンにしてみよう。
子育てで悩んだときに、
「コレは、『家』が繁栄していくことに繋がるだろうか?」
と考えたらいい。
そう考えたとき、
あなたの判断には、
「あなた」と「子供」だけでなく、
ずーーーーーーーーっと繋がっていく祖先たちと、
ずーーーーーーーーっとつながっていく子孫たちが含まれていく。
これって、とても力強いことですよ。
だって、ものすごくたくさんの人と一緒に生きている、ってことなんですから。
というわけで、
今日はうまく表現することが困難だったので、
なんか小難しい文章になってしまいましたが、
楽しんでいただけたでしょうか?