前回、の記事、途中で消えてしまってましたね。
申し訳ないです。
子供を叱るべきときは、
「親が子供をどういう人にしたいか」
によって決まります。
逆に言うと、
「親が子供をどういう人にしたいか」
という「ヴィジョン」がブレている、
または決まっていないのと、
子供は当然ながら、思った通りに育ちません。
もちろん
「決まっている」からといって、「思った通り」に育つわけではないですよ。
子供も当然「個性」を持っていますから、親が「予定した通り」には育ちません。
「じゃあ、あなたがいう『思った通り』って、どういうことよ?!」
といわれるかもしれないので、説明しましょう。
子供(人)を育てるときに、
一番分かりやすいのが「植物」です。
ガーデニングや盆栽をやっている人ならすぐ分かると思いますが、
植物は、どんなにコチラが願っても、「思った通り」には育ちませんよね。
でも、
その植物が育つ様をみて、
その植物が伸びるように、育つように、育てながら、
コチラが導いたり、余分な部分を取り除いてあげることにより、
「思った通り」に育つのです。
あえていうなら、
「自然と人との協演」
といえましょうか。
子供の親としては、
「あるヴィジョン」へと、
子供の「現実」を見ながら、
方法論をその場その場で考えながら、導いていく。
その子の中で自然に育ったものも育てながら、
それを活かして、育てていくのです。
この時に登場する「方法論」の1つとして、
「叱る」があるのです。
植物でも、
「いらない枝」、
つまり、
その植物が伸び伸びと大きく、美しく、イキイキと育ってくれるためには「切らなければいけない枝」、
があります。
でも、
じゃあ、やたらめったら「思うとおりにならなかったら」切っていたらいいか、というと、
あんまり切り過ぎると、「一番大元の枝」が「歪んで」きてしまったりして、
もう元にはもどれない姿になってしまったりしますね。
「叱る」
とは、まさにそういう「切る」感じですね。
「こうあって欲しい」という姿を、
夫婦でしっかりと相談して、明確にしながら、
「今ここ」に「現実」としている子供を見ながら、
「ここぞ!」という時にだけ、「ビシッ!」と強く叱るのです。
あんまり人工的に形をつくりすぎた植物はイキイキしません。
自然のままに放っておいた方がイキイキはしますが、「自己破滅」することも多くなります。
この「バランス」を見ながら、
叱ったり、話しあったり、ともに育ったりするのが、
「子育て」なのではないでしょうか。
申し訳ないです。

子供を叱るべきときは、
「親が子供をどういう人にしたいか」
によって決まります。
逆に言うと、
「親が子供をどういう人にしたいか」
という「ヴィジョン」がブレている、
または決まっていないのと、
子供は当然ながら、思った通りに育ちません。
もちろん
「決まっている」からといって、「思った通り」に育つわけではないですよ。
子供も当然「個性」を持っていますから、親が「予定した通り」には育ちません。
「じゃあ、あなたがいう『思った通り』って、どういうことよ?!」
といわれるかもしれないので、説明しましょう。
子供(人)を育てるときに、
一番分かりやすいのが「植物」です。
ガーデニングや盆栽をやっている人ならすぐ分かると思いますが、
植物は、どんなにコチラが願っても、「思った通り」には育ちませんよね。
でも、
その植物が育つ様をみて、
その植物が伸びるように、育つように、育てながら、
コチラが導いたり、余分な部分を取り除いてあげることにより、
「思った通り」に育つのです。
あえていうなら、
「自然と人との協演」
といえましょうか。
子供の親としては、
「あるヴィジョン」へと、
子供の「現実」を見ながら、
方法論をその場その場で考えながら、導いていく。
その子の中で自然に育ったものも育てながら、
それを活かして、育てていくのです。
この時に登場する「方法論」の1つとして、
「叱る」があるのです。
植物でも、
「いらない枝」、
つまり、
その植物が伸び伸びと大きく、美しく、イキイキと育ってくれるためには「切らなければいけない枝」、
があります。
でも、
じゃあ、やたらめったら「思うとおりにならなかったら」切っていたらいいか、というと、
あんまり切り過ぎると、「一番大元の枝」が「歪んで」きてしまったりして、
もう元にはもどれない姿になってしまったりしますね。
「叱る」
とは、まさにそういう「切る」感じですね。
「こうあって欲しい」という姿を、
夫婦でしっかりと相談して、明確にしながら、
「今ここ」に「現実」としている子供を見ながら、
「ここぞ!」という時にだけ、「ビシッ!」と強く叱るのです。
あんまり人工的に形をつくりすぎた植物はイキイキしません。
自然のままに放っておいた方がイキイキはしますが、「自己破滅」することも多くなります。
この「バランス」を見ながら、
叱ったり、話しあったり、ともに育ったりするのが、
「子育て」なのではないでしょうか。