で、お金とは何か?

というテーマの続きです。




で、

「お金」は「社会的な力」で、

「お金」で「幸せ」は買える、

ということですが、

決して

「お金=幸せ」ではない、

ということも大きなポイントです。




「幸せ」は、

どうやっても私たちの心が生み出すものですから、

「幸せ」は「お金」とは別にあります。




「幸せ」を得る能力は、

それはそれで別に存在している、

といえましょう。



(ここまで書いていて思い出しましたが、

今、友人と「幸せになるための最低限の能力を開発する」ための教材、

を作成しています。

やっぱりつながっているんだなあ、と自分で実感・・・笑)




「幸せ」になる能力がなければ、

いくらお金があっても、

それはそれで、

「キ◯ガイに刃物」状態。

しかもその刃物は「両刃の剣」なので、

その人自身も滅びやすくなる、

というわけです。




だから、

前の記事の、

「力を持つと周りの人が寄ってくる」

ということと合わせて、

「お金なんてたくさん持つものじゃない」

という信念も生まれてくるわけですねえ。




つまり、

「お金」とともに、

私たちは「幸せを得る能力」

も増やしていかないといけないわけです。




もちろん、

「幸せになりたくない」

「穏やかにいきたくない」

というなら別です。




お金を持てば持つほど、

「強力な武器」

を持っていることなります。




それはどんなに隠していても、

その「力」ゆえに、

だれかが「その存在」を嗅ぎつけてくるでしょう。




「幸せ」には、

お金がなくてもなれますが、

社会的な力がない状態でもいいのか?

という問題もあります。




個人的には、

「幸せ」というのは、

ある意味で、

「最低ライン」

なのではないか、

と思うのです。




まず、「幸せ」があり、

「幸せ」をさらに加速させたり、

展開させたり、

他人も巻き込んでいくために、

「お金」を得る。

そういう順番ではないか、

と思うわけです。




(こう書いていると、

ますます「幸せになるための最低限の能力の開発」教材をつくらなきゃ!

と自分が思いたった経緯が見えてきて面白いです。

ああ、そういうことだったのか!!!と。笑)




「お金があっても幸せになれない」

というのは、

確かに間違いはないですね。

「お金が持ったからといって、幸せになれるわけではない」

という方が正確でしょうかね。




また、

「幸せになったからといって、それが最高(または、豊か)なのではない。」

ともいえるかもしれません。

お金を持つことで、

もっともっと幸せに、

そして可能性を広げていけるのだと思います。




「幸せ」と「お金」、

その両輪を上手に育んでいくことが、

たった1回の人生を、

もっともっと大事にしていくことであろうのではないでしょうか?




ご質問、ご要望、ご相談などがございましたら、

いつでもお気軽にメールでご連絡ください。

それでは、また。


お金とは何か?

と7~8年前からずっと考えてきました。




きっかけは、プロセスワークを学んでいる時、

「お金がないとそもそもセラピーに来られない」

という問題を聞いたのがきっかけ。




たしかに、優れた心理学、

とくに新しい流れの心理学では、

セラピーに来たら、

短時間でいろいろなことが解決するのは確か。




でも、そもそもお金がないと、

来られないんですよね。




そんなわけで、

「お金」についての研究をはじめたわけですが・・・




知れば知る程、

「お金」というのは複雑なわけです。




「お金」を得れば幸せになるわけではない。

でも、「お金」を得たら、

幸せになれるかもしれない確率、

は上がるかもしれない。




そんな漠然とした混沌のなかで、

数年ビジネスに関わったり、

リッチな生活をしてみたり、

お金のについての本を読んだりして、

勉強してたわけです。




で、

今日はなんとなく、

庭掃除をしながら
(というか、こういうときが一番アイデアが閃きます)

お金について、だいぶ考えがまとまったわけですね。




お金というのは、

やっぱり「社会的な力」である、

ということですね。




どんなにココロがボロボロであっても、

人としてダメでも、

社会的には力があるのが「お金」というもの。




お金さえあればハッピー、

というのもあながち否定できないところがあります。




どんなに心が強靭で美しくても、

お金がなければ、なかなか勉強はできません。




人生でどうしようもないものが「時間」だとして、

「お金」があれば、「時間」の短縮が容易なのです。




たとえば、「幸せになる方法」を、

自分で研究をつづければ果てしなく時間がかかりますが、

お金があれば、それを教えてもらうことができる。

教育を買うことも、

人に出会うチャンスも買える、

というわけです。




お金で幸せは買えない、

といっても、

環境が良くなれば、

人は幸せになりやすいので、

そういった意味で、

「お金があれば幸せだ」

ともいえます。




ところが難しいのは、

「お金」という「力」、

というか「力」ですね。

は、周りの人が放っておいてくれない、

という不便さがあります。




まあ、当たり前といえば当たり前。

お金を持つ、ということが、力がある、ことで、

あなたがお金を使う=力を行使する、ならば、

「力を行使される」人々が周りにいるからです。




力を行使される人々は、

やはり「その力」が欲しくなる、

または恩恵にあずかりたくなるので寄ってくる・・・

というのは、当然です。




これで、

「人々が卑しい」

とか

「汚い」

とか

「信じられない」

と思うのは筋違いで、(実際にそういっているお金持ちに何人か会いましたが)

それは自分にもってしまっている「力」のせいです。




カンタンにいうと、

「エネルギー保存の法則」みたいなものですが、

「周りの人になにかをさせるだけさせておいて、

周りの人はなにも自分にはさせようとするな。」

というのは、無理な話、というわけです。




逆に言えば、

そんなに嫌なら、

自分が「力」つまり「お金」を捨てればいい、

というだけですよね。

捨ててみれば、

あざやか!と思えるほど、すぐに人は自分から離れていくでしょう。



で、話は戻って・・・

と思いましたが、

長いので続きは明日にしましょう☆

つづく。

















今日は、保育園の園長先生と定期的にしている

「幼児教育勉強会」

をしにいってきました。




今日の研究会の話題で面白かったのは、

「幼児教育とはどうあるべきか?」

という本質的な問題でした。




というのは、

たとえば一般的な幼児教育でいわれているのは、

愛情をいっぱいかけたり、

褒めたりする、ってことですよね。




でも、そうやって育てられた子供は、

たしかに人としては、

幸せな人生をおくれるかもしれない。




でも、

こういった満ち足りた子が、

社会的に「成功」するかどうか、

というと、

そうではないです。




成功者の姿を追うと、

愛情への欠乏、

お金への欠乏、

偏った育てられ方、

などした人も多い。




彼らが「幸せ」になったか、

は別として、

そのハングリー精神の産み出す力は、

やっぱり社会的には強烈です。




ヘレン・ケラーの耳が、

もしちゃんと聞こえたら?

100年以上歴史の残るような人物になったでしょうか?

たぶんならなかったでしょうね。




「突出した才能」とは「偏り」であるとするなら、

愛情を受けて、すくすくと育った子には、

「突出した才能」は育ちにくい。




世の中で活躍している人には、

子供の頃から、

「英才教育」

ある意味では、

「非常に厳しい教育」

を受けた人であることも多いですね、実際。




もちろん、

「愛情」と「社会的成功」

の間に関係性はないかもしれません。




でもどう考えても、

「才能」と「偏り」の関係はあります。

(というのは、「才能」とは、

周りとの「差異」による価値だからです。)




心理学をやっていたものとして、

子供の頃の親からの「愛情」は、

人として幸せに、

落ち着いて生きて行くためには、

やはりとても重要なものだと思います。




結局は、

子供にどんな人生を与えたいか、

という親の意志とサポート、

そして、

子供の個性、

との化学反応、

ということになりますね。




個人的には、

わが子にどう接していけばいいのかは、

毎日観察しているのでわかりますが、

やっぱり一般論としては難しい!

ということでした。(^^;)




ちなみに、

幼児教育研究会のメンバーも増える?

という感じで、

将来的には、もっとも学術的な集まり、

になっていきそう。

楽しみです♪