社会に通じる、

というか、

大人になって社会の中できちんと自分らしく生きていくために、

子供には、

「注意してやること」

を教えることが大事です。




何をいっているか、

というと、

子供に

「◯◯しないで」

「■■は危ないからダメ」

という替わりに、

「(やりたいことは)しっかり注意してやりなさい」

と伝える、

ということです。




この文脈ではあれば、

子供がしっかりと注意をしていないときには、

子供がただ危ないことをしていた場合には、

「そのやり方では危ないでしょ?」

ときちんと叱ることができます。




また、

子どもが自分で考える、

状況を判断する、

計画する、

リスクを読む、

ことができるようになっていくのです。




人生において、

というか、

自然において、

危険つまり「リスク」は必ずあります。




もし「危ないからダメ」といって育てるなら、

「リスクがあることはやってはいけない。」

ということになり、

また「リスクをいかに回避するか」ということへの対応は、

「やらない」

の一点だけになってしまうのです。




こうなると、人生は窮屈になります。

リスクは無限にありますから、

あえて「脳天気バカ」になってリスクを心のなかで「無視」するか、

「やらない」ということしか選べなくなってしまうのです。




たとえば、

よく子どもの時に教えられる、

「知らない人にはついていかない」

ですが、

「危ないことはやらない」という文脈でいうなら、

大人になったときにも、

1,ついていかない、

か、

2,勝手な安心感からついていく

の2つしかできなくなります。




「しっかり注意してやる」

という文脈で育てるなら、

「何かあったときに本当に逃げたり、助けをよんだりできるか?」

ということを念頭に置きながら、

知らない人を接するようになるでしょう。




これは実際には海外で起こっていることで、

知らない人でも不注意でついていったり、

何の根拠もなく信頼して犯罪にあう、

ということが日本人はよくあります。

「平和ボケ」ともいわれるように「カモ」になりやすいのです。

これは確実に「知らない人にはついていかない」=「危ないことはやらない」で育てられた日本人ならでは、

といえるのです。




ふつうは、日本以外のほとんどの海外では、

「人というのは注意して接するもの」

です。

なぜなら、ほとんどの国ではいろいろな民族や宗教、文化、思想の人が交流するから、

「自分勝手に信頼する」

ということはないからです。

これは「人を信じていない」ということではなく、

「きちんと注意する」ということです。

現実問題として「人を無条件に信じる」という、

言葉的には美しいかもしれませんが、

たくさんの危険をはらんでいる、

というのは分かることだと思います。





このように、

「(やりたいことは)注意してやる」

というパターンを子どもの頃からしっかりと身につけるなら、

人間関係においてだけでなく、

あらゆることにおいて、

積極的かつ安全に配慮して、行動をすることができるようになります。




もちろんこれは「技能」ですから、

経験と実践によって培われます。

子どものころから練習をさせておくのが、圧倒的に良いのです。




親としては、

子どもが何に注意をしているかを観察しながら、

「あそこがまだ危ないから注意してやって」

「こういうこともあるから気をつけてやってね」

と伝えて接していけば良い。




子どもに「ダメよ!!!!」と大声でどなることなく、

きちんとした人間性、

そして子どもの可能性を、

育んでいくことができるのです。
12月26日に、意味なく突然、うちの娘を生かせている保育園の園長が解任されてから早一ヶ月。

ずいぶん長い戦いが続いています。




この経験を通して、ほんとうに分かったことは、

こういう時にはまだまだNLPなんかはちっとも役にたたないなあ、ということ。




なんというか、

人生で起こるで出来事って、

結構、「期間」が長いわけです。

ほいで、「自分」ではどうにもならず、

やっぱり「他人」を動かしていかないと、しゃーないなあ、ってこと。

あと、それに対応させ、「自分」がどうあるべきか、ってこともあります。




新しい流れの心理学では、

基本「どうあるべきか」というのが抜けている、

というか、

心理学はやはり基本的には「クライアント」がいて成立する学問やスキル、メソッドなので、

「自分」が当事者になると、これなかなか意味をなさないんですね。




で、役にたったのは、

陰陽道です。

もちろん、播磨陰陽道ですよ、




もちろん、

細かいシーンなどではNLPもコーチングも役にたってますし、

「場の動き」などを見るのは、やはりプロセスワークでの経験があってこそですが、

それでも、やっぱり「播磨陰陽道」というベースがあってこそ、

有効に活用できるといえるでしょう。




さすがに、何百年、ひょっとしたら何千年もかけて、実践的に磨き上げられてきた伝承だなあ、と実感しましたね。

本当に陰陽師の尾畑さんに教えてもらっていたとおりに、人って動くんですねえ。単純なほどに・・・




いやあ、陰陽師で良かった★




いい勉強をしました。

園長再任まで、あとひと踏ん張り。
最近子育てについていろいろな質問をいただき、

ちょっと嬉しい私キマですが、

その中で、

気づいたことを今日はシェア。





いつもお母さん(たまにお父さん)の質問を聞いていて思うのは、

「完ペキな子育て」

をつい目指してしまっている、

ってことです。





でも不思議なことに、

「なにが『完ペキ』なのか?」

という指針がない、

ということがよくあります。





本で読んだこと、

人から聞いたこと、

TVでみたこと、

愛情があるがゆえにそういった情報に振り回されてしまう。

そんな状況が、

「子育て」を大事にしている親、だからこそ、

あるような気がします。




でも、

「完ペキな人」って何なのでしょうね。

「完ペキな人」でないと、いけないのでしょうか。




僕は、多くの親御さんが、

「完ペキな子育て」を目指すばかりに、

自然に生まれてくるトラブル?それとも可能性?

を許容できていないんじゃないか、

と感じるのです。




ウチにも娘がおりますし、

5月には次の子が生まれます。




教育にはポリシーがあり、

「ここだけはゼッタイ」という2~3の項目だけは定めていますが、

あとは、まあ子供が理解すればいいし、

ダメならダメで、何か生まれるかもしれない、

と思っています。




自然な現実、というものはいつもそうですが、

やればうまくいくものでも、

やったからうまくいくものでもない。

でも、最善の努力は尽くしつつ、

あとは「無理」はせず、天にまかせるしかありません。





植木をステキに育てようと思っても、

管理しすぎると「悪い虫」がついてしまったり、

一番ステキなかたちを強要しすぎると、グルリとまわって反対の方向にいってしまったり、

無理に「ここは駄目だ」と曲げると、その木自体がダメになってしまったりするものです。




自然には、ある程度の「無責任さ」も大事、ということです。

あとは「子供の力」自体を信じるしかない。




子供の力を信じてダメなときもあるでしょう。

それは当然です。

人は自然の一部なのですからね。

でも、それを手放さなければならない。

自分ができることを全部やりつくし、あとは放り出すしかない。

そうしないと、それこそ子供は自然の力をもって生きていけません。




自然は「サイコロ」と一緒です。

最後は、

結果は、

未来は、

どうなるかは誰にも予想はできない、

ということです。




もちろん、ある程度のレベルでは、

「環境」を整え、「仕掛け」をつくることにより、

欲しい「サイコロの目」を「導く」ことはできます。

それも忘れてはいけませんが、

やはりそれも「絶対」ではないので、

やっぱり最後は「サイコロ」に任せるしかないのです。





みなさん、自然をよく知りましょう。(^-^)