日本が経済的に弱くなって久しい。

僕は僕なりの視点で、それなりに経済について研究し、考えてきたわけだけど、

まあ個人的に、

「なんで日本の経済が弱くなったか」

についての結論を得たように思う「気づき」がありました。




日本では、よく「消費」を刺激しようとする。

うん、たしかに、

消費をしないと経済は回らない。

でも、

それは「経済が活発になる」、ということとは違うのだ。




日本人に欠けているのは、

「生産」という意識だ。

日本は「生産」にもっと意識を向けるべきだ。




ここで「生産」と書くと、

「製造」と勘違いする人がいるかもしれない。

「生産」とは「生み出すこと」。




大思想家、バックミンスター・フラーは、

「『進化』とは価値を加えることだ。(=Add Value)」だと言った。

それこそが「生産」だ。




「創造(Creation)」と言い換えてもいいかもしれないが、

やっぱり僕は「生産(Production)」にこだわりたい。

というのは、自然はやはり「生産(Production)」によって動いているからだ。

「創造」は「生産」の中の1カテゴリーにすぎない、と思う。




たとえば「仕事をすること」は「創造」ではないが「生産」だ。

「仕事をすることがくだらない」と思うなら、

世界が動かないだろう。

(必ずしも「仕事」は「賃金労働」ではない。)




親になったことがある人はよく分かると思うが、

やはり生物というのは「産まれる」ところから力が産まれる。

「生まれる」ことによって、新しい何かが突然はじまるのだ。

一方、死にゆく人を見て元気になる人なんてほとんどいない。




自然を見ていれば、分かる。

「死」は基本的に「恐れ」や「逃げ」を生むだけで、

これはドンドン窮屈になっていく。

「消費」は、根源的な力を生み出しはしないのだ。




「生み出してばっかりじゃ、いつか行き詰まっちゃうじゃない。

受容と供給のバランスがとれてこその経済じゃないの?」

と思う人もいるかもしれない。

しかし「生み出す」とは「供給」のことでもない。




あまり概念的な話だけでは分かりにくいので、

そのあたりはこれ以上は割愛させていただくけれど、

本題はようするに、

人はもっと「生み出す」ということに価値を置くべきなんだ、

ということ。




話すこと、

やること、

つくること、

動くこと、

考えること、etc...




「生産」は無限だ。

「消費」は有限。




いつも私たちが、

「私(たち)は何を生み出せるだろう?」

と考え、行動しているなら、

社会が窮屈な方向へ向かうことは決してなく、

私たちは、いつもイキイキとした未来へと歩んでいけるだろう。




今日からあなたもこう考えていこう、

「私は何を生み出そうか?」

「私は何を生み出せるだろうか?」

と。




追記:

個人的には、この問題は、かなり根深い心理学的・哲学的なパラダイムとも関係すると考えている。

「生産」を中心として人間のメンタリティの構造を組みなおしていく心理学があっても良いのではないかと思うのだ。

今、心理学の主流は、「幸福」を目標とした「ポジティブ心理学」となりつつある感があるが、

超自我的(トランスパーソナル)な視点を加えて考えると、

「生産」の方により価値をもたせた方が良いのではないかと思う。

(ロゴセラピーなんかはそれに近い感がある。)




個人の幸福を追求するより、

死んでもこの世に遺すべきことを重んじる方が、

私たち人間という生物にとってより自然であると思う。

まあ、これは、極めて東洋的な世界観であるのだろうが。

キマです。

一昨日、二番目の子どもが生まれました。(*^-^*)



さて、こういう時に気をつけなければいけないのは、

1,「お(/兄)ちゃんなんだから!」と言わないこと。

2,どちらかというと上の子を大事にすること。

です。




全部書くと長くなるので、

2については、まだ後日書く予定。

今日は1の、

「お姉(/兄)ちゃんなんだから!」と言わないこと、

について書きます。




これ、最近の育児本にはときどき書いてあると思いますが、

なんでなのでしょうか?




それは、

この「お姉ちゃんなんだから、◯◯しないで/しなさい!」

という言葉は、

ドラえもんで、ジャイアンが

「のび太のくせに生意気だ!」

とのび太に言って、マンガを奪ったするのと、

ほとんど変わらないからなんですね。




つまり、

理由になってない

あまりに不条理

だから。




こんなところを想像してみてください・・・

・・・

あなたの名前が「田中さん」だとしましょう。

で、たとえば職場や近所の人にことあるごとに、

「田中さんなんだからもっとがんばりなさいよ。」

といつも言われたらどうでしょうか?




もちろん、あなたも仕事や人生は一生懸命できるだけがんばるでしょう。

でも、

何か「どうしてもやりたい」と思うことがあったとき、
「これはできない!」と思うことがあるとき、

「あなたは田中さんなんだから、ダメでしょう!」
「あなたは田中さんなんだから、もっと頑張りなさい!」

と怒られる。

こんな意味の分からない、辛いことってありませんよね。

まさにジャイアン。




もちろん、

もし上の例でいう「田中さん」

本題では「お姉ちゃん」が、

もっとしっかりしなきゃいけない子どもが納得する理由、

頑張らなきゃいけない子どもが納得する理由、

があれば別です。

でも、たいていは・・・

親が自分が便利だから使っている

だけの言葉であることがほとんどです。

だから、それを言い続けていると、子どもの心は、

どこかでネジ曲がっていきます。




「無理」は「理が無い」と書きます。

で、

「無理を通せば、道理が引っ込む」

といいます。

このように、

きちんとした理由がないことを通したら、

道理(道=自然のこと。つまり自然の理)が引っ込んでしまいます。

なので、子どもの心はギクシャクしていってしまうのです。




「じゃあ、どうすればいいのよ!」

と当然思われるとおもいます。

子育て中のお母さんは大変ですから。




これ、実はある意味単純で、

ちゃんと子どもを「一人の人間」として扱ってあげていればいいだけ。

「◯◯ちゃん、お母さん、こうこうこういう理由で★★だから、××してくれる?」

と普通にお願いしたりすればいいのです。




大事なのは、きちんと「コミュニケーション」をとること。

子どもにはちゃーーんと伝わります。




もちろん子どもも「一人の人」として、

イヤなものはイヤ、

で、

ダメなものはダメ、

ですけどね・・・

そこも、大人の
「一人の人」と対応するのと同じです。(苦笑)




まあ、少しめんどくさいですけど、慣れてしまえばなんてことない。

後々やーやこしくなることを思えば、数十秒程度ガマンして伝えればいいだけですから、

結局楽チンですよ!!!♪