やっぱり人生を幸福にする5つの鍵自分で考えること自分で探すこと自分で決めること自分でつくることそして、決して自分にウソをつかないこと。・・・ちなみに、自分にウソをつかないこととやりたくないことをやることとは全く別のこと。やりたくないことだってやらなきゃいかんときはある。自分にウソをつかない、とは、やりたくないことは「やりたくない!」と思っていられること。
「いじめ」 をする・・・ってどういうこと?先ほどTVで少し「いじめ」のことをやっていて思ったことがありました。「いじめをやめよう!」「いじめが起こったら、こういう対策をしよう」とさかんに訴えているけれど、じゃあ「いじめ」ってどういうことなのか?いじめる側もいじめられる側も分かっていないんじゃないのかな。と感じました。いじめる側のおそらく大きな原因は自分がやっていることが「いじめ」だとわかっていない。「まさか、あんなことになるなんて・・・」そう思っている人がほとんどじゃないかな。全部が全部だとはいわないがそういう部分は多い気がします。「いじめ」はあくまで「結果」。被害者が「いじめられている」と認識したときはじめて「いじめ」になるからです。わかりにくい。前にも書きましたが、「いじめ」が起こる原因は明らかで「ヒマ」だからです。「つまらない」からなんとなくやっていることがいつのまにか結果として「いじめ」になってしまう。極端な話、「ムシャクシャするから 誰かを殴っていた」「生意気だから 金を貢がせていた」という人でも、「いじめをしている」と認識、案外ないと思うんです。わざわざ「誰かをいじめてやろう!」と思って何かをはじめていない人というのは、案外そういうものなんです。だから「いじめはやめなさい!」と言われたって分からない。分からないからやめない。いじめに関わっているそれぞれの人は「自分は殴っているだけだ」「自分は金を貢がせているだけ」とか「自分がやっていることは大したことがない」「自分は話さないようにしているだけ」「自分は関わらないようにしているだけ」そんな風に認識しているんだと思う。被害者の人が体験している「全体」って見ることはできないから。知らない間に「負のシナジー」が働いてるんですよね。友人、教師、親、まわりの人そんな全体の「バランス」がひどいいじめを作りだす。だから◯◯をやったら「いじめ」に繋がってしまうんだよ。だから◯◯って「いじめ」なんだよ。いじめにあっている当人はこう感じるんだよ、だから、こういうことはこうしよう、みたいな、そういうことを説明するガイドブックみたいなのは必要だと思うんだよね。分かりやすくいうと・「無視」は「いじめ」です。・「みんなでからかう」のは「いじめ」です。・「脅す」のは「いじめ」です。・「できないことを強要する」のは「いじめ」です。・「一人ぼっち」にするのは「いじめ」です。もし上のことを小さなことでもあなたがやっているなら、あなたは「いじめ」を、まさにしていることになります。それが「いじめられている人」からするとどう見えるか・・・・・・みたいな。これで根本的な解決にはならないけれど、「認識」があるかないか、それでだいぶ違うんじゃないのかな?正直な話、「おれは『いじめ』とわかってていじめてるんだよ!」という人ならそれはそれで「事件」になったときもっときちんと罪や責任を負うと思うんですよね。「殴ってたら死んじゃった。 いじめる気はなかった。」というのは、バカバカしい言い訳にも聞こえるけれど、加害者本人にとっては、「違う」んですよ。「違う」から「怖い」、「怖い」から逃げる。また「傍観者」という「加害者」は、まさか自分たちも「いじめ」の加害者であることなんてふつうはあんまり認識していない。「そうかも・・・」とは思うけど思うことと「私は『いじめ』をしているんだ!」と認識することとは全く違うことですから。すでにあるのでしょうか、そういうもの?こどもに伝わってる?少なくともTVで見た限りでは、そんなものの存在や、そういう認識は感じなかったけれど。。。
自分との約束今でも覚えていることがある。中学生のとき、「中学生の自分が見て、 『ああ、あんな風にはなりたくない』 と思うような大人にはならない。」と心に決めた。今の僕の姿をみて、中学生の自分はどう思うだろう?。きっと「なかなか頑張ったじゃん?」っていうんじゃないかな。僕は今も、むしろ昔よりずっと、未来に希望を持ち日々に喜びを感じ1日1日を一生懸命考え一生懸命楽しんでいる。たしかにこどもがみる「夢」のような生活をしてはいない。「ここではないどこか」へ行けたわけでもない。未来に「夢」を持っているわけではない。でも、子どもの頃には想像できなかったようなそんな毎日を送っていると思う。未来を創っていくこと。僕は「ここ」に希望と幸福を作りだすことを見つけた。僕は「大人になると時間が早くすぎる。」なんてことはこれまで1日だって感じたことがない。いつも1年は長く、そして苦しく、そしてまた、むせかえるほどの幸せと楽しさ、色とりどりの出来事で詰まっている。明日何が起こるか?そんなことが僕は今だってわからない。それは僕にはとてもとても嬉しいことだ。不安もある恐れもある。でも、期待もある希望もある。僕はまだ人生を冒険している。「未来」はあの頃と変わらず、今だって僕の手の中にある。後ろに後悔も自責もなくただ前へ!僕は、自信をもって「あの頃の自分」に今もまっすぐ向き合えると思う。それは僕にとってはとても誇れることだなあと、今夜ふと思ったのでした。たまには照れくせえことも書いてみました★笑