先ほどTVで少し「いじめ」のことをやっていて

思ったことがありました。





「いじめをやめよう!」

「いじめが起こったら、こういう対策をしよう」

とさかんに訴えているけれど、

じゃあ「いじめ」ってどういうことなのか?

いじめる側も

いじめられる側も

分かっていないんじゃないのかな。

と感じました。





いじめる側の

おそらく大きな原因は

自分がやっていることが「いじめ」だと

わかっていない。




「まさか、あんなことになるなんて・・・」

そう思っている人がほとんどじゃないかな。

全部が全部だとはいわないが

そういう部分は多い気がします。





「いじめ」は

あくまで「結果」。

被害者が

「いじめられている」

と認識したとき

はじめて「いじめ」になるからです。

わかりにくい。





前にも書きましたが、

「いじめ」が起こる原因は明らかで

「ヒマ」だからです。

「つまらない」からなんとなくやっていることが

いつのまにか結果として「いじめ」になってしまう。





極端な話、

「ムシャクシャするから

 誰かを殴っていた」

「生意気だから

 金を貢がせていた」

という人でも、

「いじめをしている」

と認識、案外ないと思うんです。





わざわざ

「誰かをいじめてやろう!」

と思って何かをはじめていない人というのは、

案外そういうものなんです。





だから

「いじめはやめなさい!」

と言われたって

分からない。

分からないから

やめない。




いじめに関わっているそれぞれの人は

「自分は殴っているだけだ」

「自分は金を貢がせているだけ」

とか

「自分がやっていることは大したことがない」

「自分は話さないようにしているだけ」

「自分は関わらないようにしているだけ」

そんな風に認識しているんだと思う。





被害者の人が体験している

「全体」

って見ることはできないから。

知らない間に

「負のシナジー」

が働いてるんですよね。





友人、

教師、

親、

まわりの人

そんな全体の

「バランス」が

ひどいいじめを作りだす。





だから

◯◯をやったら「いじめ」に繋がってしまうんだよ。
だから◯◯って「いじめ」なんだよ。

いじめにあっている当人はこう感じるんだよ、

だから、こういうことはこうしよう、

みたいな、

そういうことを説明するガイドブックみたいなのは

必要だと思うんだよね。




分かりやすくいうと

・「無視」は「いじめ」です。

・「みんなでからかう」のは「いじめ」です。

・「脅す」のは「いじめ」です。

・「できないことを強要する」のは「いじめ」です。

・「一人ぼっち」にするのは「いじめ」です。

もし上のことを小さなことでもあなたがやっているなら、

あなたは「いじめ」を、まさにしていることになります。

それが「いじめられている人」からするとどう見えるか・・・

・・・みたいな。




これで根本的な解決にはならないけれど、

「認識」があるかないか、

それでだいぶ違うんじゃないのかな?





正直な話、

「おれは『いじめ』とわかってていじめてるんだよ!」

という人なら

それはそれで

「事件」になったとき

もっときちんと罪や責任を負うと思うんですよね。





「殴ってたら死んじゃった。

 いじめる気はなかった。」

というのは、

バカバカしい言い訳にも聞こえるけれど、

加害者本人にとっては、「違う」んですよ。

「違う」から「怖い」、

「怖い」から逃げる。





また「傍観者」という「加害者」は、

まさか自分たちも「いじめ」の加害者であることなんて

ふつうはあんまり認識していない。

「そうかも・・・」とは思うけど

思うことと

「私は『いじめ』をしているんだ!」

と認識することとは全く違うことですから。





すでにあるのでしょうか、

そういうもの?

こどもに伝わってる?





少なくともTVで見た限りでは、

そんなものの存在や、

そういう認識は感じなかったけれど。。。