前に、「幸せって何だろう?」と考えると良い、と記事に書いたけれど、

ちょっと誤解を生んだようなので、追記しておきます。



「幸せ」とか「愛」というのは、

それ自体について考えてはいけないものだ。

考えることによって、そのことに意識の焦点を当てるのは非常に良いことなのだが、

それ自体について「これは幸せだろうか?」「これは愛だろうか?」とか考えてはいけない。



というのは、「幸せ」や「愛」というのは「体験」またはもうちょっと別の表現でいうなら「感覚」だからだ。

そして「感覚」というのは、考えると逃げていくものなのだ。



たとえば、ある人のことを好きになったとする。

「あの人のことが好きだ、好きだ・・・」と思い続けていくと、いつのまにかそれは「思い込み」に変わっていく。

そうすると、その「思い込み」をその人にぶつけるようになったりする。



感覚は、思い出せるものではない。「起こる」ものだ。

だから、過去の感覚に捉われてはいけない。



よく見るシーンだけど、よく考えると変な言葉をよく聞くことがあって、

「あの人のこと好きだったはずなのに、なんか最近変なんだよね。もう好きじゃないのかなあ・・・?」

とかいう言葉。



「好き」というのは感覚、つまり一時的なものであって、好きになったら好きである、みたいなものではない。

好きだと感じたときが好きという体験であって、それ以外のときは好きじゃないんだよ!(キライ、という意味じゃないよ。)



このあたりが分かってくると、プライベートな人間関係はよくわかってくるんだけど、



人が好きなのは、その人に「好きだ!」と思わせる体験を与えるからです。

だから、それができなくなったら、もう「好き」はなくなります。

だから、ある人と長く恋愛関係を保とうとおもったら、いつも相手を「好き!」と感じさせなければいけないわけ。

一度好きになったからその後もずっと、、、っていうのは不自然な話なんですね。



どこがわからないかが説明しにくいので、理解したい人は質問求ム。



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最近は、友人たちとみんなで夢日記のブログをつけるようになりました。

夢日記をつけることが、大変に有益なことが分かっていても、

小さい子供もいる環境の中では、ついついおろそかになってしまいます。

でも、みんなでお互いにやっている強制力が働けばやっぱりやりますねえ。

やらないと罰則というわけではないのですが、やっぱり仲間内でなんとなくそういう雰囲気になれば、自然と「ああ、今日もがんばろうかな。。。」という気になります。

やはり「場の力」と「十分な理由」は行動を促しますね。



特定の仲間としょっちゅう集まっていると、あるときに何かのきっかけで突然みんなの行動が変わっていくときがあります。

この意図的でも動かないし、でも意図がなければ動かないというこの「場」が、今とても楽しいです。



プロセスワークをはじめ、僕の今までの数々の研究のなかで、

僕は実は「場」の研究、

つまり「どうやって多くの人と一緒になにかを生み出していくか」ということを勉強していたようです。



そして今、水口先生の「意識場」理論や、陰陽師の「ヌシ」の概念などを聞き、その扱い方を習いながら、

水口先生の主催する「夢のプラットホーム」での経験や、

ホロンネットでの組織のマネジメントの経験を

プロセスワークで実地で培った集団のダイナミクスを扱う経験を融合し、

すこしずつ面白い経験がつみあがってきています。



あまりに複雑な要素の絡み合いなのでうまく説明できませんが、、

いろんなシンクロによって、僕は「場の研究」に運ばれてきたようです。



社会は一人一人の人間という構成要素の意志によって動いているが、

その構成要素が集まるとまた違う動きをする。



木と森の関係。

木も健康でなければよい森はできないけれど、森が健全な森でないと良い木が育たないという関係。



この集団のダイナミクスが少しずつですが、だんだんと分かってきました。



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