今日は、1年の締め括りとして記事。




人生相談をしていますと、

「私、幸せになれますか?」

というご質問をよく受けます。




まあ、正直にいって

そもそもこういう質問をしているようでは、

幸せにはなれません。




「幸せ」とは、

「女優になる」とかと違って、

才能が必要なものではないからです。




幸せとは、

してもらうものであってり、

ならせてもらうものではなく、

させてもらうものでもなく、

『自分でなる』もの。




なぜなら、

「幸せ」は、

自分の内にしかないものだから、

自分がコントロールしないとどうにもなりません。




「幸せとは自分でなるもの」

という前提があってはじめて、

「どうやったら幸せになれますか?」

という質問に意味が出てくるのです。
実は「人間関係の解決」が

得意なキマですが(あまり腕を奮う機会もないのですが)

人間関係において、

ずーーーーっといいたかったけれど、

うまく伝えられなかったことを説明する

うまい「喩え」がようやく見つかりました。




まあ、これは「組織論」というか

「場」の話でもあるのですが・・・




人間関係において

一番難しいのは、

実は

自分もその「場」のプレイヤーである、

ことなんです。




あの人が悪い、

この仕組が悪い、

こういうことができないから悪い・・・

そんな話もありますが、

その「場」の構成要素として、

実は自分もいます。




もちろん、

「全ては自分にも責任がある、ってことでしょ?」

という風に取られると、

間違ってはないのですが・・・

というところから、

うまく説明できないでいました。





では、その「喩え」を説明しますね。





ボウルや洗面器に

せっけんとか洗剤をいれて(必ずしもなくてもいいのですが)

水をジャバジャバとして、

『泡』をたくさんつくってください。





この『泡の総体』が、

その場であり、

泡の1つ1つがあなたや誰か、

ということになります。




泡の1つが動いたり、割れたりすると、

「全体」が同時的に動きますね。

全ての1つ1つの小さな要素が、繋がりあい、

「全体」に影響を与えています。




相互依存的、ともいえるかもしれません。




ある「場」において、

僕らはいつもこのように繋がっています。

「誰か」とか「何か」で問題があるとき、

その問題が起こる「理由/原因」のなかに、

つねに「自分」も入っているのです。




いつも自分は、

その場のプレイヤーなんです。




だから、

たしかに自分がその場の

全ての責任を負っているわけではないけれど、

全体の責任を負っている


のです。




もちろん私たちは、

「水の泡」のように

素早いスピードでは動きませんが、

このように関係し合い、動いている、

ということなのです。




これは、

物理空間的にも、

心象空間的にも、

同じような働きがあり、

家族で「役割」があって、

親がそれを果たせないと子どもがその役割を担ってしまう、

というのも同じような構造によるものです。




まあ「理屈」ではなく、

とにかく「泡」をまずはよく見てみましょう。

1つ1つが独立しているのではなく、

要素は全体に、全体は要素に、

という自然の存在のあり方をよく観察してみてください。




今夜の「晩酌」のビールの泡、

でも眺めてみてはいかがでしょうか?(^^)

軽いギックリ腰になりました。

ちょうど最近、

「気温」と「体温」と「体感温度」のことを考えていたので、

まさに「研究テーマ」を与えられた感じです。




まず、ギックリ腰で面白な~と思ったのは、

「水風呂」に入ると、

調子が良くなる。




これから踏まえると、

「体を温めすぎて、体が緩みすぎていたんじゃないか?」

と思うんですよね。




人間の体が面白いのは、

「モノ」とちがって

冷えるから温める、

暑いなら冷やす、

ということが「通用しない」ことです。





最近、あらためて発見したのは、

体が冷えている(と感じる)ときには、

体の「ほんの一部」だけを温める

方がいい、ということです。




どうも人体というのは、

体の「先端」の温度に差があるとき、

体の血流を流すのかもしれません。




「寒い!」

という朝に、

指先に43~45度程度のお湯にしばらく漬けてみてください(蛇口からでもいいです。)

そうすると、なんか全身がポカポカしてきます。(と感じるだけなのかわからないですが。)

「足湯」の原理ですね。




まあそもそも、

人体ってのは、基本的には35~37度くらいに保たれているわけで、

「体が冷える」ってのはおかしい訳で、

ようするに

「体が冷える」=血流が悪い、

で「一部だけ」が冷えているか、

「体が冷える」=「寒い」と認識している

なのでしょう。

まあ、「基礎体温が低い」という場合もあるでしょうが、

これは短期的には問題ではありませんし、

そもそも認識できませんし。




でも、運動すると冷える場合もあります。

汗をかくと冷えるからです。

なので、全身を温めると冷えます。

また、

冬の寒いときに普段から温め過ぎていると、

体が「温かい季節」用に緩んでしまい、

寒い空気などに触れた瞬間に耐えられないのだと思われます。

これが、僕のギックリ腰の原因と思います。




今年はなんか早くから、

ずいぶん厚着をして、

部屋を温めていましたから。

やり過ぎたんですね。^^;





「温度に認識」に関しては、

熱いお風呂や、水風呂に入る時に、

「ちょっとした入り方」で

水温の感じ方がまったく変わります。





たとえば熱いお湯ですが、

まず1秒くらいで、お湯に肩までザブっと入って、

サッと出ます。

そうするとなんかジワ~~~んと体にしびれるような感覚があり、

温かさが広がります。

これをもう一度した後は、

45度のお湯でも、

小さい子どもでも平気では入れてしまいます。




冷たい水風呂は、

まず腰くらいまで入って、

心臓や肩くらいに、何度か水を手でかけます。

心臓や肩あたりが「ヒヤッ!」としなくなったら、

そのまま水に浸かれば、それほど冷たさを感じません。

(追加で、お湯のときのように、1~2度、肩まで使ってスグ出る→しばらくしてまた入る、をやれば、さらに冷たさを感じなくなります。)

さっきまであんなに冷たかったのに!




つまり「体感温度」なんてものは、

かなりアテにならないんですね。




・・・で、

最終的には、

冬は長袖2枚くらいで、

「首」の部分さえ冷やさないようにしておいたらいいのかな?

というのが今のところの結論ですね。

寒い冬は、それなりに寒い方がいい、ということです。




ただ、

温度と人体の関係にも

「閾値」のようなものがあり、

熱すぎる時は火傷しますし、

寒すぎる場合もあります。

それはそれで注意してください。

氷点下で長袖2枚、はさすがにダメですよ。^^;