前回の道の思想にコメントをいただいたので、回答をかねてこちらに書きます。
コメントは1000字までしか書けないそうで、書きたいことがかけません。
「道」は「頂上」を目指すものではありません。
なぜなら、それは他人と比較しているだけだから、当然苦しみます。
「道」は「うまくいく」ものではありません。
世の中を見渡してみても、「うまい道」なんてないでしょう?
そもそも道は「前」に伸びているだけで、どこへ向かうかは進んで見るまでわからないものです。
また「道」の中身は「空」です。
自分で探していくもの。創っていくものです。
だから「拘るもの」なんて「道」以外に何もない。
私が気づいた「道」は、あえて別の言葉でいえば「フレーム(枠」です。
枠の中身は何を入れてもいいし、自分でつくってもいい。
でも、フレームがあるから、そこに「絵」として存在できるのです。
フレームがなくなってしまえば、どこまでが「絵」なのかわからなくなってしまいます。
実際、現代美術で「フレーム」をなくしてしまった作品がありますが、結局それは「作品」としては無理があります。
(なぜなら状況が変われば、永遠と無限につながってしまうからです。)
「道」のなかで、「楽しいこと」をやっていくことは楽しいでしょう。
「茶」という「道」のなかで楽しいことをやればいい。
でも、もしここに「茶」という「道」がなかったら・・・?
ただ、楽しいことをやっているだけの人になっていきます。
もちろんどこにも結実しません。
続く・・・
クリックよろしくね★
↓↓

コメントは1000字までしか書けないそうで、書きたいことがかけません。
「道」は「頂上」を目指すものではありません。
なぜなら、それは他人と比較しているだけだから、当然苦しみます。
「道」は「うまくいく」ものではありません。
世の中を見渡してみても、「うまい道」なんてないでしょう?
そもそも道は「前」に伸びているだけで、どこへ向かうかは進んで見るまでわからないものです。
また「道」の中身は「空」です。
自分で探していくもの。創っていくものです。
だから「拘るもの」なんて「道」以外に何もない。
私が気づいた「道」は、あえて別の言葉でいえば「フレーム(枠」です。
枠の中身は何を入れてもいいし、自分でつくってもいい。
でも、フレームがあるから、そこに「絵」として存在できるのです。
フレームがなくなってしまえば、どこまでが「絵」なのかわからなくなってしまいます。
実際、現代美術で「フレーム」をなくしてしまった作品がありますが、結局それは「作品」としては無理があります。
(なぜなら状況が変われば、永遠と無限につながってしまうからです。)
「道」のなかで、「楽しいこと」をやっていくことは楽しいでしょう。
「茶」という「道」のなかで楽しいことをやればいい。
でも、もしここに「茶」という「道」がなかったら・・・?
ただ、楽しいことをやっているだけの人になっていきます。
もちろんどこにも結実しません。
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