前にもブログで記事にしたことがあるが、

人間が幸せに、そして創造的に生きるためには、他人にいっぱい迷惑をかけなければいけない。



というのは、人がそれぞれ違う、ということは、絶対に他人のしていることをぶつかるからである。

迷惑をかけない、という生き方は、

結局、人がそこにいてはいけない、ということにしか繋がらない。



では、どうしたらよいか?



答えはこうだ。

自分がやりたいことはどんどんやる。

助けがほしかったらどんどん助けを求める(助けてもらえるかどうかは人徳)。

そして・・・いっぱい恩返しをすることだ!!!




自分がかけた迷惑は、自分が他の事で返せばいい。

人はいつまでも順調ではないから、どんな人だって絶対に助けが必要なときはある。

もちろんそれは「今」でなくてもいいし、その人「本人」でなくていい。

これが昔の日本人が大事にしていた「義理」というものだ。



「あの人にはたくさん助けてもらったから、あの人の友人だから助けてあげよう」

「お父さんにはいっぱい良くしてもらったから、今、子供である君を応援してあげよう」

これが豊かな社会だ。



「恩に着る」「借りをつくる」

そういう言葉が日本にはいっぱいある。

着たり、借りたりするのだから、「返す」ということは前提になっている。

だから、今は助けてもらうけど、自分がうまくいったら、いや絶対にうまくいって、恩を返す!

こうやって人は、活性化していくのだ。



人は一人では生きていけない。

迷惑をかけずには生きていけない。

「迷惑をかけずに・・・」なんていっていたら、あなたがそこに存在しているだけでも、一部の空間を占拠し、有限の酸素を吸っい、誰かの邪魔になっているのだから、生きていることは不可能なのだ。



この地球は有限だ。

だから、迷惑をかけあって、

そして、一生懸命恩を返しあって、

そして生きていこう。




そうすれば、子供が親にかけた迷惑は、子供たちに「恩」として返っていく。

みんなが他人の助けに感謝し、その恩に答えて、がんばって「利子」もつけて返せばいいではないか。



そんな世界をぜひ一度想像してみて欲しい。

今とくらべてどれだけ呼吸がしやすいく、軽々と動ける世界だろうか。

どれだけ気持ちの良い社会だろうか。





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下の続きです。


もう一ついえば、人間の脳は、「枠」で物事を捉えることが必要です。

それがないならば、人格と世界はその人のなかで崩壊します。

現代は、自由すぎるからこそ、人はフラフラして、不幸せになってしまう。
なぜなら、完全に自由=自分は誰でもない、ということに繋がってしまうからです。

だから、会社などを首になったり、友人や恋人がいなくなると、神経症や精神病になったりする人がいます。
アイデンティティの崩壊、ということです。

そのときに「道」さえあれば・・・そのときの迷いや苦しみさえも「具体」として結実するのです。



どうせ人生が苦しむのなら、最後の足がかりはあった方がいい。

それが昔の人にはわかっていたのでしょう。

「道」は自由だから、どうせ何をやっても同じだったんです。

「道」を歩めない人が、言い訳として「道」を批判したのでしょう。

いや、それは言いすぎかな。本人は、うまくいかないのは「道」のせいだと思ったのかもしれない。

でも、そこが原因じゃなかった。

うまくいかないのは、「道」のせいじゃなかった。

それは自分の「やり方」だったんです。

「道」は「空」だから、なんでもできた。

でも、しなかった。それは自分の「こだわり」「思い込み」があるから。



苦しみを生むのは「こだわり」です。

「こだわり」は「抽象」だから、「具体」である「道」ではなかったんですね。



これくらいで「道」については終わりにしましょう。

まあ、これは、分かる人には分かる話で、分からない人には分からない話ですから、あまり書いても仕方がないですね。

ちなみに「分かる分からない」というのは、「頭が悪いから」とかそういう意味ではなく、

タイミングや状況、経験、個性などそういったことからくることです。

まあ、「言葉」というのは、そういうものですね。



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続きです。
やっぱり短くは無理でした。

こうやって、自由にほっぽりだされてしまったのが今の日本人です。
どこにも結実せず、人生のムダ使いです。

まあそれで本人が良ければもちろんかまいませんが、実際に苦しんでいる人がほとんどですね。

「拘り」がなければ「道」を進んでいて苦しむことはありません。
「苦しみ」は「道」から生まれるのではなく、「拘り」から生まれるのです。
また「道」は「拘り」ではなく、「具体」です。
この「具体」といっている意味が分からなければ、僕の「道の思想」の気づきは理解できないでしょう。

ようは自分がやっていることをどんな「具体」に結実させるか「だけ」の問題です。
あとは「自由」です。
「道」が「決まっている」から「自由」なんです。
自由だから、楽しいことをするのも、苦しむのも自由です。


続く・・・



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