以前はいつ書いたかわからないぐらいです。
今回はタイトル通り、今この瞬間に集中して生きる ということです。
なぜこんなことを書いたかというと、
先月、叔父が亡くなりました。小さい時からかわいがってもらい、
今でも年に何度かは必ず会い、
よく私の心配をしてくれていた叔父でした。
大変元気で、酒もよく飲み、食べ物もよく食べ、
肥満でもなく、よく働き、
今まで大きな病気をしたことがない人でした。
体もがっしりしていて、まぁ長生きするだろうなと思ってました。
ある日、ある会社に仕事で訪問し、
その会社のビルに入る直前に母親から連絡がありました。
なんだか嫌なタイミング、親父でも倒れたか?
と一瞬思いましたが、
次の一言で思わず「えっ!」と大声で叫んでしまいました。
「○○のおっちゃんが死んだ!」
人間というのは予想外の方の予想外の事には、すぐに体が反応したあとは
何も考えられないもんなんですね。
びっくりを通り越すというのは本当にあるんですね。
とにかく、仕事をキャンセルできないのでそのまま急いで仕事をすまし、
そのまま叔父の家に向かいました。
そこには、死因が不明でしたので、司法解剖を受けたあとの
体中包帯だらけの動かない叔父の姿が・・・
知らないうちに号泣していました。
とにかくなんとも言えない気持ちです。
死因はクモ膜下出血(脳動脈瘤破裂)
苦しむこともなくおそらく即死だっただろうとの事です。
様々なオカルトの勉強をしてきて、
魂は不滅、肉体は入れ物、次の新たな学びをするために、
新たに肉体に移り生を繰り替えす。
という宇宙の仕組みが分かっていても、
感情が先に走り、やはり悲しいものです。
この姿でしゃべる姿はもう見ることもできないので
そう思うとやはり悲しさでいっぱいになりました。
死というのは不思議なものですね、
目の前にいるおじさんはもう生命力を全く感じない、
人形のようでした。
しばらく時間が経ち、逆に考えてみました。
おじさんの気持ちで・・・
ある日朝起きたていつも通りベットから起き上がる。
今日はなんとなく体が軽い、調子いいなーと思いながら、
着替えようと思って服を手にとったら、
すり抜けてしまう。
「えっ?」
何度やっても服をつかめない。
ふと後ろを振り返ると、自分がまだベットに寝ている。
「????」
どういうこと?パニックになりますね。
重なってもダメ、様々なことをするが
何も変化がない、
何が起こったかわかないうちに、
やがて嫁さんが起こしに来る、
返事をするが、嫁さんには聞こえない、
必死に訴えるが、無視されて、ベットに寝ている自分を
起こそうとする。
起きない、
叔父の様子がおかしいことがわかった嫁さんは、
体を触ったり呼吸や脈を見る、その場で驚き叫び、
そして泣く。
「いやいや、これはなんかの間違いや、俺はここに元気でいるし!」
何度言っても聞こえないし、触れることもできない。
やがては親戚一同集まってきて、事態がだんだん深刻だと
いうことを霊体となった叔父も少し理解し始めるが、
やはりまだ信じることができない。
まだ俺は、やり残したことややりたいことがあった。
もし死んだとしたならば、伝えたいこともある。
おそらく、叔父もかなりの絶望感に襲われたと思います。
このあと、司法解剖もされ、死後の処置をされ、
最終的にはお葬式、火葬後の骨になるまでの自分を
自分で見ることになるわけですから。
そりゃーショックですよね。確実にもう戻れないということが
分かってしまいますから。
その間、もう一切こちらとコンタクトがとれないわけですから。
そりゃー悲しいでしょうし、悔しいとも思ったかもしれませんね。
そう考えるとか悲しいのは生きている人間だけではない、
3次元よりも精妙な構造に戻った叔父(霊体)の事を思うと
少し自分の悲しさがマシになりました。
葬式や49日というのは、3次元からの卒業を遺族が
受け入れる期間でもあり、
卒業した本人も死を自覚する期間でもあるんでしょうね。
このブログでどこまで書いたか忘れましたが、
魂といわれているものも、結局は意思をもったエネルギーです。
エネルギーは形が変わることがあっても消滅することはないです。
この3次元は実はどちらかというと、特殊な世界で、
あの世のほうがまだ現実的な世界だそうです。
ですので私達の真の本体の魂は不滅で増えることも減ることもない。
永遠に続くエネルギーの変化の中で、
より精妙なエネルギーに進化することを目標に存在しています。
これは宗教でもなんでもなく、
この宇宙の構造なんです。
まぁこの話はおいときまして、
この3次元の肉体がいつ期限が来るか、
正確にはだれもわかりません。
明日、目が覚めたら、
叔父のようにベットに横たわる自分を見るかもしれません。
それを自分も想像してみました。
今を漠然と生きていると、突然そうなったときに、非常に困る。
その時は現実を受け入れて別次元に帰るしかなくなるのだが、
じゃーこの世界にこの肉体を持って、
せっかく生まれてきているのだから、
この世で感じることができる喜怒哀楽をもっと感じて、
子供を抱っこした時のあたたかさ、愛しさ、ヨメさんへの感謝、
仕事でうまく行かなかった時の悔しさ、悲しさ、
うまく行った時のうれしさ、爽快感、
この世界のこの肉体をもって経験できるすべての事を、
もっといろんな現実を作り、感じるべきではないのか?
明日子供が抱っこできなくなるかもしれない、
ヨメさんとともに喜び合うことも、愛しあうことも、怒鳴りあうことも、
仕事仲間や友人とともに喜んだり、悲しんだり馬鹿話したり、
太陽が眩しかったり、そよ風が気持ちよかったり、
冬が寒かったり、夏が暑かったり、汗がベトついたり、
食べ物が美味しかったり、まずかったり、
空気が吸えたり、水が気持ちよかったり、
歩くことで感じる自分の体重や、速度、
この生きている一瞬をもっと噛み締めて生きていかないと
面白くないじゃないか!
と思いました。
生きていることに精一杯という表現がありますが、
たぶん精一杯を感じながら生きてないのがほとんどで、
流されているだけ、精一杯を感じるともっと違う世界があるかも
しれないんじゃないかと。
どうせこの肉体にいる期限は限られている、
その間に感じることはもっと感じないと、
なんか後悔すると思いました。
ポジティブになるとかそういう事ではなく、
例えば絶望の縁に立たされたとき、
その絶望の縁をもっと一生懸命感じるということです。
楽しい時もその楽しさをもっと噛みしめるということです。
質を上げて体験するといったほうがいいでしょうか?
今の一瞬一瞬を集中してもっと感じようと思ったのです。
この気づきがいったいになにになるのか?
それは分かりません。
まぁどのようにリアルに影響がでるか、
またそれは気が向いた時に報告致します。
それではまた!