「菜の花工房の書籍修復家」~ 日野祐希 | こけ玉のブログ

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不惑の年などもうとうに過ぎたのに、いまだに自分の道も確立できていない。
そんな男の独り言。

これまで読んできた本の中に、自分が影響を受けた本は何冊かある。

2~3度読み返した本もある。

しかし、本が壊れるまで読んだことは一度もない・・・と思う。

後々また読み返してみたい、あるいは読み返してみたほうがいいだろうなと思う本もある。

だけれども、おそらくこれからも「壊れるまで本を読み尽くす」という経験はないだろうなと思う。

そういう意味では今後の人生の中で書籍修復家と交わることはほとんどないだろう(それに買うのはほとんど文庫本ばかりだし・・・)。



本書は書籍修復家を目指す女の子を描く青春ストーリーである。

まあまあ展開は読めるかなあ・・・などと考えながら読みすすめていたら、不覚にも終盤でウルッと来てしまった。

おじさんも年を取ってきて涙腺がもろくなってきたのか。

でもよくよく自分の心情を覗いてみると、女の子への共感というよりも彼女が目標とする書籍修復家の方への共感に感化されたようでもある。

あなたならどちらにより深く共感を覚えるか。是非読んでみて欲しい。



菜月には忘れられない小学生の頃の思い出がある。

4歳の誕生日に祖父母がプレゼントしてくれたお気に入りの絵本が壊れてしまったのだ。

その絵本が本当に好きで、幼稚園のころはその本を毎晩読んでくれないと眠れないほどのお気に入りだった。

その毎日読み続けてきた絵本が小学一年生のある日、ページがバラバラになってしまった。

それが悔しくて朝からずっと泣き通しだった。

母は「新しいのを買ってあげる」というが、菜月にとっては「この絵本」が宝物だったのだ。

それがもとで母と喧嘩をしてしまう菜月だったが、肝心なのは「この絵本」を元に戻すこと。

「本といえば図書館」と思いついた菜月は母には内緒で図書館へと走った。



しかし、対応してくれた図書館のお姉さんは「うちではできない」と言う。

その言葉にショックを受けまた泣き出してしまう菜月。

すると、周囲から「先生」と呼ばれたおじいさんが声をかけてくれた。

菜月が一生懸命事情を話すと、周囲の戸惑いをよそにその「先生」が絵本の修理を請け負ってくれたのである。

菜月にとってはそれが人生初めての書籍修復家との出会いであった。

その絵本が一週間後に見違える程綺麗に蘇ってきたことは言うまでもない。

菜月にとってその「先生」は「優しい魔法使い」であった。



時を経て高三の夏。

最終的に進路を決定するために提出しなければならない「進路希望表」を前に夏希は思い悩んでいた。

無難で堅実な進路としての大学はもう決まっていた。

これまでの面談でもその大学で決めていたし、先生から太鼓判ももらっていた。

けれど、菜月を悩ませていたのはやはりあの思い出だった。

あのおじいさんは書籍修復家であることもわかったし、それになるための専門学校があることも分かり、両親に内緒でそこのパンフレットも取り寄せていた。

しかし、現実問題として職人になることの大変さ、将来の生活保障の不安定性などを考えるとなかなか踏み出すことができず、親にも先生にもその夢は語れずにいた。



もともと本好きな菜月は部活も「図書部」で、市立図書館でのボランティアもしていた。

その図書部の二年先輩だった蒼は希望する大学図書館員に合格したという。

望み通りの道を歩む先輩に比べ自分は何をしているのか。

焦燥感を抱く菜月は市立図書館の司書の渡辺に初めて書籍修復家になりたい夢を相談してみた。

実は渡辺は、例の思い出の菜月に対応してくれた「図書館のお姉さん」だったのである。

彼女にでさえ初めて話す夢だったが、彼女はその夢の原点があのエピソードにあることをすぐに気がついてくれた。

そんな渡辺も書籍修復家がマイナーな職業でもあり、生半可な覚悟ではなれないという。

しかし、真剣に悩む菜月にある講習会への参加を勧めてくれた。

それは「図書修復入門講座」であった。

 

進路決定の参考になれば、と。

そして、その講座への参加で菜月の運命が動き出していくこととなる。

講座の講師はなんとあの「優しい魔法使い」の豊崎俊彦であった。



豊崎との再会は菜月の進路を決定づけるものだった。

もちろん、実際に体験した書籍修復作業も大変面白く、将来の職業選択として菜月の気持ちをゆるぎないものにしてくれた。

しかしそこからが大変だった。

講座終了後にすぐ豊崎への弟子入りをお願いするもにべもなく断られる。

その後も何度も工房を訪ねるも暖簾に腕押し。

全く相手にもされない。

親に書籍修復家への夢を語るも、あえて不安定な道を進もうとする菜月は大反対に合う。

書籍修復家になるには専門学校へ進むという選択肢ももちろんあったが、菜月にとっては「豊崎に弟子入りする」ことに意味があるようにしか思えなかった。



菜月の夢に主に反対したのは母親であった。

これまで常に母親の選択肢を言われるがまま受け入れてきた菜月にとって初めての抵抗であったが、母親としても娘の人生の重大な岐路である。

安易に許すわけには行かない。

繰り返される激しい衝突に、普段は何も言わず、母親に従うことの多い父親が割って入る。

父親の提案は8月一杯に弟子入りが認められなければ一旦それは脇に置き、気持ちを受験へと向ける、志望先はそのときまた検討する、というものだった。

菜月は一応それに納得し、豊崎詣でを始めた。

しかし、豊崎の壁は厚く、びくともしなかった。

そしてとうとう約束の期限は今日という、もう半分諦めた菜月に、あるエピソードが起きる。

それをきっかけに豊崎の壁がほんのちょっと動いた。



それは「これから卒業までの半年と、卒業後一年間に書籍修復の技術を教える。その後テストを行い、それに合格したら『書籍修復家として食べていけるようにしてやる』」というものだった。

弟子でもないので給料も出るわけでもなく、曖昧で不安定なものだったが、「技の伝授」を約束してくれたことは母親を説得するには大きな要因だった。

もちろん、父親の援護射撃があってのことだったが・・・。



その後菜月は様々な書籍修復技術を学んでいくことになる。

本書でも概略が紹介されているので、普段知ることのない書籍修復家の仕事の一端を知ることができ、そのことだけでもちょっとした新鮮な感動がある。

菜月が少しずつ技術を学んでいく様子。

一足先に夢を実現させた葵先輩との交流。

かつては菜月と同じ夢を持っていた豊崎の孫とのちょっとした確執。

やがて訪れる運命のテスト。

そして挫折。

修復不可能と思われた豊崎との決裂はどうなるのか。

そもそも書籍修復家への夢はどうなってしまうのか。

ぜひお読みいただきたいと思う。



昨今は本もデジタル化され、単に「若者の本離れ」という理由だけでなく、ますますもって本が売れなくなってきているという。

昭和生まれの自分としてはなんとも味気ない時代になったものだと思う。

確かに「知識」という点では本だろうが電子書籍だろうが変わりはないのだけれど、そんな味気なさを感じているのはきっと自分だけではないだろう。

そして、そんな思いは単なるノスタルジーかもしれないが、人の成長過程として本で読むことに意味があると思えてならない。

以前読んだ記事であるが、タブレットで絵本を読まされて育った子供が、本物の絵本を見せられた時に一生懸命タップするも画面が変わらないものだから癇癪を起こしてしまったのだとか。

それまで軽くタップすればページがめくれていたものが、いくらタップしてもめくれないとすれば怒るのも当然だろう。

もしかしたら、「本をめくる」ことはすぐに覚えられて、タブレットと本物の本との使い分けもすぐに覚えるのかもしれない。

両者の使い分けができないのはほんの一時期のことで、些細なことかも知れない。

しかし、自分には実体としての本の存在を感じ取りながら読むことと、タブレット上だけで読むのとでは達成感の違いなど何かしらの違いが生じてしまうような気がしてならない。

書籍修復家と交わることはないかもしれないが、「本」の存在は、実体として存在することにも意味があると、改めて感じさせてくれた本書であった。