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2012年4月18日(水)
筆 者は、東京電力福島第1原発事故を受け、内閣官房参与として2011年3月29日から9月2日まで、官邸において事故対策に取り組んだ。そこで、原発事故 の想像を超えた深刻さと原子力行政の無力とも呼ぶべき現実を目の当たりにし、真の原発危機はこれから始まるとの思いを強くする。これから我が国がいかなる 危機に直面するか、その危機に対して政府はどう処するべきか、この連載では田坂広志氏がインタビューに答える形で読者の疑問に答えていく。シリーズの3回 目。
現在、政府は、関西電力大飯原子力発電所3号機、4号機の再稼働に向け、安全確認を行い、福井県と、おおい町への再稼働受け入れ要請をしていますが、田坂さんは、この動きをどう見られていますか?
田坂:「政府の安全確認」が行われたことで、原発再稼働に向けての動きは、「地元の合意」を得る、という次の段階に移ったわけです。しかし、この「地元の合意」を得るというプロセスは、極めて難しい問題になっていくでしょう。
なぜでしょうか?
田坂:最大の理由は、福島原発事故によって、「地元」の定義が、根本的に変わったからです。
「地元=立地自治体」という論理は通用せず
事故以前は、「地元」とは、原発が立地されている「立地自治体」を意味していたわけですが、事故の後、「地元=立地自治体」という論理は全く通用しなくなりました。
福島原発事故は、単に福島県だけでなく、「放射能の影響」という意味では、東日本全体に、「風評被害の影響」まで考慮に入れれば、日本全体に甚大な被害をもたらしたわけです。
従って、もし「事故の影響が及ぶ可能性がある地域」を「地元」と呼ぶならば、いまや、100キロ圏、200キロ圏はもとより、東日本全体、さらには日本全体を「地元」と考えざるを得ない状況になったわけです。
たしかに、「地元」の定義が広がった結果、現在、福井県だけでなく、京都府や滋賀県の知事も再稼働には極め て慎重な姿勢を取り、大阪府・市は、再稼働に対して明確に反対の姿勢を取っているわけですね。今後は、より広域に存在する数多くの自治体の了解を取らなけ ればならないという意味で、極めて難しい問題になっていくわけですね?
田坂:いえ、そうではありません。「広域の自治体の了解を取らなければならない」ということが意味するのは、単に「数多くの自治体の了解を取らなければならない」ということではないのです。「協議相手の自治体が増える」ということが、難しさの本質ではないのです。
では、それは、どのような難しさなのでしょうか?
田坂:端的に言えば、「利益誘導」ができなくなるということです。
すなわち、これまでは原発を立地し稼働するために、「電源三法交付金」や「地元の産業・雇用の創出」という形で、地元に利益を供与し、そのことによって 「地元の合意」を得てきたわけです。了解を得るべき自治体が広域に広がり、増えるということは、こうした「利益誘導」による合意形成ができなくなるという ことなのです。
たしかに、立地自治体の首長や住民の方々の中には、原発が再稼働しないと、交付金がもらえなくなり、地元の産業・雇用が失われるということを懸念する方が少なくないですね。
田坂:もともと、原発が立地される場所は、人口が過疎で経済基盤の弱い地域が多いわけですから、こうした首長や住民の方々の気持ちは理解できるのです。
そして、福島原発の事故が起こるまでは、首長や住民の方々が、「原発が近くにあることの不安や、原発の事故が起こったときのリスクを受け入れる代わりに、我々地元が経済的なメリットを享受するのは当然だ」という主張をしても、それなりに説得力があったのです。
しかし、福島原発事故の後は、こうした論理が全く通用しなくなりました。事故の影響が、極めて広域に及ぶことが、深刻な現実を通じて明らかになったからです。
その結果、これからは、立地自治体が原発再稼働を受け入れた場合、立地自治体ではない周辺自治体の首長や住民の方々から、「あなた方は、経済的なメリッ トがあるから再稼働を受け入れることができるかもしれないが、我々は、そうした直接的経済メリットもなく、ただ、不安とリスクを負わされるのだ」という批 判を受ける状況になってしまったのです。
立地自治体の再稼動受け入れには「地域エゴ」の批判も
それが、田坂さんが、「地元の合意」を得るということが、「極めて難しい問題」になったと言われる理由ですね?
田坂:そうです。福島原発事故の後は、立地自治体が地元への経済的メリットを考慮して再稼働を受け入れたとき、最悪の場合には、周辺自治体から「地域エゴだ」との批判を浴びる状況さえ生まれてしまったのです。
では、これからは、「地元の合意」を得るには、どうすれば良いのでしょうか? 周辺自治体にも、「電源三法交付金」のメリットが享受できるように法律改正をするのでしょうか?
田坂:たしかに、一つの考え方とし て、法律を改正し、原発からの距離に応じて「交付金」を配るという政策もあるかもしれません。しかし、その場合、そのための予算が膨大になる可能性があり ます。それは、結果として、原発の「実質的発電コスト」の増大になることを覚悟するべきでしょう。「原発安全神話」とともに、「原発安価神話」も崩壊する ことになります。
いや、そもそも、福島原発事故の後は、「たとえ地元に大きな利益が落ちても、大きな不安とリスクをもたらす原発の受け入れには賛成できない」という国民が増大していることも、理解しておく必要があるでしょう。
では、政府と電力会社は、この再稼働の問題に対して、どう処すれば良いのでしょうか?
田坂:発想を根本から変える必要があります。「利益誘導」だけに頼った従来の古い考えを捨てなければなりません。
すなわち、原発の再稼働については、「地域へ利益を供与することによって、地元の合意を得る」という方法だけでなく、「社会全体へのメリットを提示することによって、国民の納得を得る」という方法へと発想を切り替えなければならないのです。
それは、容易ではないですね。政府も電力会社も、原発を再稼働することの社会全体へのメリットを、明確には示して来なかったのですから。
田坂:その通りです。今回の大飯原 発の再稼働についても、「今夏は電力不足に陥る」という危機を語るだけで、その危機判断の前提となる情報をすべて公開し、国民に説明するということをして いません。その背景には、国民に対する、「依らしむべし、知らしむべからず」という「お上」的な発想が、抜け切らず存在するのでしょう。
しかし、政府と電力会社は、そうした古い発想が、もはや限界に達したことを理解するべきでしょう。
国民も「電力を手に入れるためのリスク」を考えるべき
発想を変えるべきは、政府と電力会社だけでしょうか?
田坂:それは、大切な質問と思います。
言うまでもなく、国民もまた、発想を変えなければなりません。
これまで、我々は、電力供給については政府と電力会社に任せ切りにしており、「お金さえ払えば、電力はいくらでも手に入る」という感覚を無意識に抱いていました。
しかし、これからは、「必要な電力を手に入れるために、社会全体として、どのようなリスクを負わなければならないか」を一人ひとりの国民が深く考えることが求められるのです。
そうですね。「リスクの大きな原発は嫌だ。しかし、電力は潤沢に使いたい」という発想ではならないということですね。
田坂:そうです。もし「原発を減らしたい」「原発を無くしたい」と希望するのであれば、同時に、国民がどの程度「節電」や「省エネルギー」に協力できるかも問われるのです。
そして、リスクがあるのは原子力エネルギーだけではありません。石油や天然ガスなどの化石エネルギーにも、国際紛争などによる価格の高騰などの「地政学的リスク」があり、自然エネルギーにも、開発途上の技術であることによる「不確実性リスク」があります。
このような、それぞれのエネルギー源の持つリスクも深く考慮したうえで、国民は将来のエネルギー源を選択していかなければならないのです。
そうした意味で、まさに、この原発再稼働の問題は、「国民一人ひとりの意識の成熟」が問われているとも言えるでしょう。
そうした「意識の成熟」が進まなければ、何が起こるのでしょうか?
田坂:残念ながら、狭い視野での社会心理、いわば「地域エゴ」と呼ばざるを得ない現象が、少なからず生じるでしょう。
例えば、先ほど述べた「地元にお金が落ちるのだから、社会全体のリスクには目をつむろう」という発想や、逆に、「原発の恩恵には浴してきたが、その結果発生する放射性廃棄物を自分たちの地域に受け入れるのは嫌だ」といった発想です。
田坂さんが新著『官邸から見た原発事故の真実 』で述べられた、「NIMBY心理(Not in My Backyard:我が家の裏庭には捨てないでくれ)」ですね。これも、ある意味で「地域エゴ」と呼ぶべき社会心理でしょうか。
田坂:それも、ある意味での「地域エゴ」的な社会心理でしょう。
そして、我々国民一人ひとりが、この時期に、「狭い視野での社会心理=地域エゴ」を脱して「意識の成熟」を遂げていかなければ、今後、我々が直面する極めて大きな問題に、正しい答えを出していくことができないのです。
国民の「意識の成熟」が問われる究極の問題
それは、どのような問題でしょうか?
田坂:「高レベル放射性廃棄物の最終処分」の問題です。
なぜ、それが、国民の「意識の成熟」が問われる問題なのでしょうか?
田坂:高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題は、「世代間倫理」の問題だからです。
すなわち、これは、「現在の世代のエネルギー需要を満たすために、未来の世代に重い負担を押し付けてもよいのか」という倫理が問われる問題だからです。
ご承知のように、高レベル放射性廃棄物や使用済み燃料は、数万年から10万年の長期間にわたり人間環境から隔離しておくことが求められる廃棄物であり、 未来の世代にとって廃棄物の長期管理や環境汚染のリスクという負担を残すものです。現在、世界の多くの国で、この高レベル放射性廃棄物は、地下深くの地層 中に埋設処分する「地層処分」という方法が考えられていますが、この方法については、まさに「世代間倫理」の観点から難しい議論がなされています。
なぜ、その「世代間倫理」の問題が、難しい議論になるのでしょうか?
田坂:なぜなら、地層処分施設は、原子力発電所などとは異なり、「現在の世代」に被害を及ぼす可能性はほとんど無い施設だからです。従って、この施設の建設を「利益供与」と引き換えに地元住民に問うならば、多くの住民は受け入れる可能性が高いからです。
すなわち、この問題は、「現在の世代」が「成熟した意識」を持たず、利益供与に惹かれて「世代エゴ」で判断するかぎり、結果として、「現在の世代さえ良ければ、未来の世代の負担や被害など関係ない」という無責任な判断に、安易に流されてしまう可能性が高いからです。
それは、「地域エゴ」の問題と同様の心理ですね?
田坂:そうです。「地域エゴ」の問題が、「我々の地域さえ良ければ、他の地域の負担など関係ない」という無意識の社会心理であると同様、この「世代エゴ」の問題は、「我々の世代さえ良ければ、未来の世代の負担など関係ない」という無意識の社会心理なのです。
「未来の世代の便益」の発想を
そのことが、この再稼働の問題において、「地元の合意」という言葉の意味を深く考える必要があると、田坂さんが指摘されている理由なのですね?
田坂:まさに、その通りです。「地元の合意」という問題に、従来のような「狭い地域に対する利益誘導」という手法を用いている限り、我々は、これから直面するさらに難しい問題、「高レベル放射性廃棄物の最終処分」の問題に、正しい答えを出していくことができないのです。
いま、深刻な福島原発事故を経験したこの時期にこそ、政府と電力会社は、狭い意味での「地元の合意」を得るという発想を超え、広く「国民の納得」を得るという発想へと切り替える必要があるのです。
そして、国民もまた、狭い視野で「地元の利益」や「現在の世代の利益」だけを考えるのではなく、「社会全体の便益」や「未来の世代の便益」を考える発想へと、成熟していく必要があるのです。
