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さるうさぎのブログ

原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

http://sankei.jp.msn.com/region/news/111006/hrs11100602370002-n1.htm

あすドイツ放射線防護協会長が講演 広島市

2011.10.6 02:36

 核兵器廃絶を目指すヒロシマの会(HANWA)は7日、広島市中区の区地域福祉センターで、医師でドイツ放射線防護協会会長のセバスチャン・フルークベイル博士を招き、講演会を開く。

 フルークベイル博士は旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の影響についての専門家。「チェルノブイリ、ドイツ、福島-放射能被害の真実」と題して、放射線リスクに関する研究成果などを説明する。

 午後6時半~8時半。資料代500円が必要。問い合わせはHANWA事務局((電)082・532・1311)。


さきほどの小出先生の記事で出てきた「伊方原発訴訟」 恥ずかしながら初めてこんな訴訟があったことをききました。 30年も原発反対を訴え、闘ってきた事実があったんですね。 こちらに貴重なビデオがあります

http://www.dailymotion.com/video/xletih_20111001

消される前にみてくださいね。 題名は「伊方原発」ですが、内容は福島とからんでいます。

10分目くらい、中学生が非常にいい質問を元原子力技術者に投げています

番組内容:(転載)

2011年10月1日、NHKにてドキュメンタリーWAVE「伊方原発 問われる“安全神話”」が放送されました。その動画をご紹介いたします。住民が原発を推進する国を訴えた、日本初の訴訟です。 元電力会社の原発推進の技術者が、重要な証言をしています。

『“フクシマ”によって崩壊することになった原発の安全神話。その神話が形作られていくきっかけとなったのが、四国電力の伊方原子力発電所の安全性を巡って30年近く争われた裁判である。当時、四国電力で原発設置を担当したある技術者は、裁判後、徐々に社内で蔓延していく「絶対安全」に対して、異論を訴えたが黙殺され続けてきた。裁判資料を読み解くと、地震のリスクなど専門家の調査結果が無視されている部分も多い。第2のフクシマは防ぎたいと、今でも原発の危険性を訴える技術者の思いを軸に、現在でも“安全神話”が続く原子力発電の現場を見つめる。』

原発事業者、原子力安全委員会、保安院← どう考えてもいらないです。解散させましょう。
http://www.j-cast.com/tv/2011/10/06109207.html?p=all

スタジオに40通の手紙が並んだ。福島のお母さんたちが、子どもの心の叫びを政府に知ってもらいたいと手紙に書かせたものだ。

「きれいな空気が吸いたい。なんで原発をこんなにたくさん作ったのですか。死にたくないです(早く)」

 

「そとで遊びたい。ほうしゃのうはいつなくなるの。びょうきになりたくない。もっと福島にいたいけどもういられない」

 

「外で遊べたり、プールでのびのびと泳げるのはいつですか?」

 

「放射能がなくなりますように。犬をかえますように」

 

「早く除染をして下さい。責任をとってください」

いま京都に移り住んでいる小学5年の小林茉莉子ちゃん(11)が手紙を読んだ。「官僚のみなさんへ 福島の子どもたちは、原発の事故以来ずーっと外遊びをしていません。早く除染をして下さい。原発事故で避難をする人たちは、家や友だちを失いました。責任をとってください」

手紙に描かれた遊んでいる子どもの絵には、大きく赤いバツ印がついていた。「外で遊べないということを、官僚の人たちに伝えたかった」

 

事故後、福島県内の公立小中学校から県外に転校したのは8987人。茉莉子ちゃんも8月(2011年)に、 仕事のある父親だけが福島に残って母親と京都に移った。転校まで1度も外で遊んだことはないという。

 

事故で子どもたちの生活は一変した。外出時は必ずマスク、帽子、長袖、長ズボン。校庭が除染されていないので遊べず、教室の窓も閉め切ったま ま。「プルトニウム、ストロンチウム」も覚えた。政府が「ただちに健康被害を及ぼすわけではない」というと「ただちに」に疑問を持った。

 

8月17日には、福島の子ども3人と衆院議員会館で官僚に向かって手紙を読んだ。このとき、中学2年の橋本伽耶さん(13)は「大人が勝手に 作った原発で、なぜ福島の子どもたちが被ばくしなくてはならないのか。安全な場所に避難できるよう真剣に考えてください。その間に、学校も田畑も森も山も 川も福島県全域を徹底的にきれいにするようにしてください」と迫った。

 

官僚の答えに、茉莉子ちゃんは「最大限ってどういうことですか」と切り込んだ。しかし、役人たちはマイクを譲り合った。「やる気がなさそうだった」

 

京都にはもう1人、小3の佐藤龍起くん(9)がいた。母と妹とおばとで移ってきた。サッカー少年だ。京都だとマスクをしないでサッカーができる。虫をとったり草に触れる。福島では「がんになる不安」があった。

 

「いつになったら放射能がなくなりますか。僕たちを助けたください」

 

龍起くんは作文にこう書いた。「菅そうりだいじんへ いつになったら放射能がなくなりますか。僕は大人になれますか。どうか僕たちを助けたください」

 

こう書いたのは、「いま放射能でがんになったら死んじゃうから」という。

 

司会のみのもんた「ショックですよね。僕は大人になれますか、がんになったら死んじゃうからと。これ以上の言葉はない」

 

お母さんの前では口にしないことが、手紙だと出てきているのだそうだ。